改新
年が明けた。大化二年である。この年から、有名な大化の改新がはじまった。その内容は様々である。断っておくが、一九六〇年代後半の調査により、日本書紀に記された大化の改新の際に発布されたとされる「改新の
わが国において、国家の黎明期は長い。弥生時代末には大陸の文献に記されている有名な邪馬台国が、おそらくはじめての進歩的な国家として存在していたが、律令国家の仕組みや権力の集中が一応の完成を見るのは、四百年ほども絶った今描いている葛城らの時代のことであり、葛城や鎌は我が国の歴史においてはじめて国をまとめ上げた、あるいはその仕組みを作ったという功績により、長く歴史に名を刻んできた。だが、実際のところ、当たり前のことではあるが、それらは葛城や鎌により、ある朝突然行われたものではないし、推古天皇の時代、聖徳太子――厩戸皇子と呼ぶべきか――などによりその骨子は出来上がっていた。葛城らは、それを受け継いだに過ぎぬのだ。
いや、受け継いだと言うより、奪ったと言ってもよいのかもしれない。なにせ、聖徳太子が自在に改革を進められる地位に就いたのは、蘇我氏の力なのである。葛城らが殺した入鹿の祖父、馬子の代のときである。のちに入鹿が聖徳太子の血縁の跡取りを攻め殺したりもするが、当時、我が国の基礎工事の陣頭指揮を採っていたのは、間違いなく蘇我氏であったと言える。
無論、馬子とて権力に溺れていた向きは大いにあり、自らの意思で推古天皇を即位させ皇太子を聖徳太子に決めたり、その前には人に命じて天皇を殺させたりしている。
今となっては、彼の心のことは分からぬ。しかし、もし、馬子が焦っていたのだとしたら。
隋に使節を派遣したり、朝鮮半島諸国の緊張に気を配ったりしていた馬子は、早くこの国を、それらと対等に渡り合える国にしなければと考えていたとは思えぬだろうか。そのため力を欲し、旧きものにしがみつく者を斬り、滅ぼし、この国のすべてを刷新しようとしたとは考えられぬか。もしそうなら、ここで描いている葛城などより、為政者として、ある部分において、よほど力があったと言える。
それを、あの日、槻の広場に降り立った一匹の獣が喰らい、奪った。
この物語において、葛城は何故そのようなことをしたのか。それは、はじめに書いた。
彼は、
――俺を、見下ろすな。
と。
その怒りの強さは尋常ではない。葛城とは、そういう心の持ち主であった。
だが、ここにおいて描く彼は、少し変わり者である。
日本書紀に記された改新の詔とは、歴史の授業で習ったことが懐かしく思える「公地公民制(天皇や豪族自らの所有する人、土地などを全て廃止し、公のものとする)」、「令制国の整備」において、権力が一点に集中することを抑止し、公のものとした土地を人に貸し与える「班田収授の法」により再分配を行い、「租、庸、調」を定め税のありようを明確に定めるというものが主なものとされている。
これらの四ヶ条は無論、鎌ら右左の大臣達により考え出されたもので葛城は例によって猫と遊んだり、妻や妹と戯れたりしていただけなのであろうが、彼が鎌らがこれらのことを提案してきたときにあっさりと受け入れたのは、難しい話がよく理解できなかったからではない。
まがりなりにも、彼は若い頃から人に教わり、大陸の書などを読み散らかし、国とは、王とはかくあらねばならないという理想を強く持っている。だからこそ深く理解し、憧れた。彼にしてみれば、
「そのような国の王に、なりたい」
というところであったろう。そういう、ある種子供のような熱っぽさが彼にはある。
「ところで」
と葛城は言う。
「鎌よ。あらたな世とは、それだけのことか」
一月の寒い空の下、猫と棒きれ遊びをしてよく引き締まった筋肉から湯気を立ち上らせながら問うた。
「それだけ、とは?太子」
葛城の屋敷の庭の縁に控える鎌が、反問する。
「それで、しまいか」
鎌は、訝しい顔をした。
「人のことは、よいのか」
「太子の仰ることが、分かりませぬ」
「たとえば」
葛城は、同じように汗を流して肩で息をしている猫から興味を失い、鎌の方を向き直った。
「男はこのようにして日々を過ごす、女はこのようにして日々を過ごす、というような法を明らかにする」
鎌は葛城の頭の中を覗いてみたい好奇心にかられ、続きを待った。
「それに、交通。今までの国や
葛城は、その辺に脱ぎ捨てていた緋色の上衣を拾い、纏った。
「それに、世襲はやめよう」
役職を、氏族の中での世襲により継がせることを廃止するという。たとえば鎌の家である中臣氏は代々、朝廷の祭司を担当していたが、彼の実家は葛城のこの一言で役職を失ったことになる。
「その代わり、冠位を増やし、細かく定めよう」
聖徳太子の定めた冠位十二階。役職の世襲を廃止する代わりに、実務を執り行う者を多く起用し、中央集権の動きを加速させようと言う。
「あとは」
墓のことである。
「
と彼らが新たに定めた王の呼称を用い、
「――の墓は、七日で造れるものとすること。殉じて死ぬことも、死なせることも認めぬ。蘇我のように馬鹿馬鹿しく大きな墓を生前から作り、己の力を示すような真似は要らぬ。人の死を、ただの死とするのだ」
鎌は、背中が寒くなってきた。葛城の頭の中には、具体的に、新たな世を作るための仕組みと、それを行う人間の一人一人のことまであるらしい。怖い。と思った。この獣は、やはりただの獣ではない。自分に御することが出来るかどうか、不安にもなった。
そこへ葛城が、あくのない笑顔を浮かべ、鎌の顔色をむしろ窺うようにして、
「と、俺は思うのだが、どうだろうか、鎌」
と小首を傾げて見せたのには、もっと驚いた。鎌は、しまった、と思った。彼が自らの大望を容れるに値する器を探しているとき、別の皇子にも接触をした。しかし、どれもこれも頭は冴えず、ただ血が尊いからそこに居るだけというような、置物のような男ばかりであった。その中、葛城だけが違ったのだ。葛城は頭が冴えるどころか、何もかもを飲み込むような懐の深さを持っていた。細かいことにこだわらず、それでいて確固たる自らの意思を持っていた。それを、鎌は、野原のようだと思った。野原は、ただ野原である。だが、そこに鳥は遊び鹿は跳ね、人は営み陽は昇り、月は沈む。これこそ王の器、と鎌は感動した。
葛城がいなければ、鎌はただ頭の中で志を煮詰めるだけの詰まらぬ男で終わったであろう。葛城こそが、鎌に行動を決意させ、一人の人間として持ちうる全てを傾け、国を作るということに走らせた。
ただ、鎌が思う葛城という野原には、火がついていた。それに、鎌は気付いていなかったのだ。一匹の獣がその野原に降り立ったときに落ちた雷は火を呼び、瞬く間に熱と風を巻き起こす。それを、人の力でどうすることも出来ぬ。
ならば、その野から離れ、火の消えるのを待つか、自らも薪のようにして共に焼かれるかのどちらかしかないではないか、と鎌は思った。
大化の改新とは、葛城と鎌のそういう面をよく表しているのではないかと、筆者は想像する。
これらの全てがすぐに実行されたわけではなく、法や仕組みを整えるのに数年を要するものもあった。大化と呼ばれる五年の間、鎌と葛城は、更に別のことにも手を付けることとなる。
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