9-3 月夜の湖

 リーベル率いる魔物の部隊との戦闘はこちらの大勝だった。


 怪我人は出たもののエイミーが直ぐに治せるような傷であり、逆に魔物達は全員返り討ちに出来ていた。


 しかし、こうして敗残兵が戦力も差ほど整えずに襲ってきたという事は、また勝利が見えなくても破れかぶれで襲ってくる可能性があると、兵士の人達が周りを警戒している。


 だが、正直な所そんな事を気にしている余裕がない。


 ロンザリアからの誘いもそうなのだが、それ以上にあいつの嫌がらせにしか思えない行為に。


「リョウさん大丈夫ですか?先程から顔色がすぐれないようですけど」


 近くの木に手を付きうな垂れる俺を見て、心配そうにエイミーが顔を覗き込む。


 覗き込まれた顔をブンッと横に振り目を逸らす。


「あ、あの、本当に大丈夫でしょうか?」


 不可思議な行動を取る俺にエイミーが心配そうに身を寄せてくれる。


 体に当たる体温と、仄かに匂う香りに鼻息が荒くなってきた。


 やばい、これは本当にやばい。


 エイミーが何時もよりも魅力的に見える。


 いや、何時も可愛いのだが、今は性的な意味で非常に魅力的に見える。


 更に頭の中に響くロンザリアの艶かしい声による官能的な言葉が、理性をガリガリと削っていく。


 ロンザリアはサキュバスだ、多分なんらかの方法でこちらに精神攻撃をしてきているのだろう。


 襲えと、自分の物にしてしまえと、頭の中にロンザリアの声が響いていく。


「くおおおおお!!!」


 頭に響く声を振り払おうと頭を木へと何度もぶつける。


「え!?リョウさん行き成り何を」


 頭をぶつけるのを止めさせようとエイミーがこちらに抱きつき、木から引き剥がそうとする。


「あーやばい!やばいんだって!」


 抱きつくエイミーに対して理性が崩壊しかかっている。


 エイミーから離れようとじたばたしていると、頭の上に雷が落ちてきた。


 衝撃に目がチカチカと瞬く。


「これでちょっとは目が覚めた?ていうかアンタなにやってるの?」


 雷を落としたリーナがこちらに近付いてくる。


 一瞬は確かに雷の衝撃で正気に戻りかけたが、直ぐにロンザリアによる精神攻撃が再開されていく。


 駄目だ、とてもじゃないがこのままでは耐え切れない。


「ちょっおっと俺行かなくちゃいけない所があるから行ってくるな!あっ別に気にしなくて良いから、追って来なくても大丈夫だからな!」


 必死に言いながら指定された道順へと必死に逃げていった。


「リョウさん待って!」


 追おうとしたエイミーをリーナが腕を掴んで止める。


「ちょっと待った、どう見ても様子がおかしいわ」


「でも一人で、危ないですよ」


「分ってる、分ってるけどちょっと待って。アイツは追わなくて良いって言ってた、て事は何かアタシ達が追ったら駄目な理由があるのよ」


 言われて心配そうな顔のまま、エイミーが立ち止まる。


「ですが、このまま待っているのは、私は心配です」


「そうね、何かピンチなのは確かだろうし」


 悩む二人の下にレオや兵士の人達がやって来た。


「さっきリョウが走って行ったけど、何があったの?」


 涼が走り去った方を見て、レオが何事かと心配そうに尋ねる。


「それが今の所はさっぱり。戦いの後からちょっと調子悪そうだったけど、突然変な行動を取り始めて走って行ったのよ」


 戦闘中か、戦闘の後に涼の身に何かあったのだとは思うが、リーナ達には見当が付かなかった。


 考えていると兵士の一人が一つ思い当たった。


「あれは誰かから精神攻撃を受けたんじゃないか?」


「でも、今回攻撃してきた魔物にそんな攻撃するのは居なかった筈だけど」


 敵の種類を思い出しながらリーナが答えるも、「いや、今回の戦いには居なくてもかける方法はある」と兵士が話す。


「一度精神攻撃を成功させた相手なら、離れた所からでも再びかけて操る事が出来ると聞いたことがある。君達の旅の中で精神攻撃が得意な相手と交戦した事は?」


 言われて三人が考える。そして一人の魔物を思い出した。


「もしかしてサキュバスのロンザリア?」


「でもあのサキュバスは私達が倒しましたよね?」


「いや、僕達は最後の爆発から逃げるのに必死で、止め自体は刺していない。もしもあの爆発から生きてたのならリョウを真っ先に狙うのも合点がいく」


 三人の会話を聞いて兵士も「成る程」と頷いた。


「そうかサキュバスか、ならリョウがエイミーさんやリーナさんに近寄られて様子がおかしくなったのも……まぁ、んんっ、そういう事なんだろう」


 咳をしながら言う兵士の言葉を聞いてリーナとエイミーの顔が少し赤くなる。


「まぁ、サキュバスだしね、別にリョウが悪いって訳じゃないから今回は何を考えてたにせよ……おほんっ、許してあげましょう」


「そうです、悪いのはサキュバスです。ですが、だからリョウさんのこちらを見る目が……」


「あー、お二方、これ以上はリョウの名誉が傷つきかねないので止めておいてあげて下さい」


 二人は顔を赤らめながら頷く。


 レオは何だか分っては居ない様子で話を続けた。


「それで敵がロンザリアだとして、リョウは助けに行ったほうが良いんでしょうか?」


 聞かれて兵士が答える。


「そうだな……来なくても良いと強調していたのは、何らかの不利益が誰かしらの人質に生じる可能性があるな」 


「人質に?」


「ああ、敵の要求はリョウ一人が敵の下へと来る事、リョウに来させる為には断れない理由が必要になってくる。恐らく向こうの戦力が多くない事を考えると、人質を取って脅している可能性が高い」


「だが人質を取られてるとすると、俺達も下手には動けないな」


「人質がどんなもので、何処に居るか分れば良いのですが、そう簡単には行かないでしょうね」


 兵士達が意見を交わして考えていくも、現状では打開策が浮かんで来ない。


 どのようにこちらを監視して、どのような方法で人質を取っているか分らない以上、下手に動かない方が涼と人質の身の安全を考えても正しい行動だった。


「リョウさん、どうかご無事で」


 動けぬ中でエイミーが涼の無事を祈った。




 涼が森の中を走り抜けた先に湖が見えた。


「おい、来てやったぞ!いい加減頭の中で変な声を出すのを止めろ!」


 叫ぶと頭の中で「は~い」と返事と共に、湖を泳いでいた裸のロンザリアが水を滴らせながら上がってきた。


「ちゃ~んと一人で来て偉いね、お兄ちゃん」


「待ってるから服ぐらい着ろ」


 そう言われるも、濡れた体を月明かりに照らし、いやらしい顔を浮かべてロンザリアが裸のままこちらへと擦り寄って来た。


 水に濡れたひんやりとした肌の感触が伝わってくる。


「いいんだよ、我慢しなくても。さっきはいっぱい、いっぱい、我慢したもんね。お兄ちゃんの熱い思いを全部吐き出しても良いんだよ」


「いい加減キレるぞ」


 体をなぞるロンザリアを睨みつける。


「んふふ、もう怒ってるじゃん」


 にんまりと笑いロンザリアが体から離れた。


 離れたロンザリアの体に、服が魔法により生成されていく。


「それじゃあ、お話しようか。お兄ちゃんは人質がどうやって取られてるかは分ってる?」


「見当はな」


 ポケットから呪具の場所を指し示すコンパスを取り出した。


 そのコンパスは目の前の湖を指している。


「大方他の場所にも仕掛けてたりするんだろ?」


「そうだよ、ここと他の村に2箇所」


 ニヤニヤと笑いながらロンザリアが答える。


「それで、俺に何の用だ」


「簡単だよ、お兄ちゃんがロンザリアの物になれば良いだけ」


「俺を人質にするって事か」


「まぁ、そうでもあるね」


 村を人質に取られている事が事実かどうかは確かめようがない。


 しかし、そういう事で罠をかけて来る様な性格でもないだろう。


「俺がそんな見ず知らずの人の為に捕まるとでも」


「でも見捨てられないんだよね~?」


「……今の俺ならお前から逃げてレオ達を呼ぶなんて簡単に出来るんだぞ」


「でもやらないんだよね~?」


 心の内を見透かすようなロンザリアの瞳に言葉が詰る。


「今ね、お兄ちゃんの心とロンザリアは繋がってるの。だからお兄ちゃんの想いはロンザリアには分る」


 自身の胸元を指でなぞりながらロンザリアが喋っていく。


「お兄ちゃんが誰かを見捨てられないのは自分の我侭、一度折れた心の後悔、自分の全てを賭けて誰かを救いたいという強い決意」


 こちらを慈しむ様な目をロンザリアが向けた。頭の中にまた甘い痺れが生まれてくる。


「それはもう簡単には手放せない、手放したらもう自分が自分じゃなくなってしまうから。こんな自分が存在していた証が一つも無い世界で」


 ロンザリアが優しく、こちらを支えるように寄り添う。


「でもね、そんな無理はしなくて良いんだよ。ロンザリアがお兄ちゃんの居場所になってあげる。お兄ちゃんの孤独をロンザリアが包んであげる」


「やめろ……」


 頭を抱えて、必死にロンザリアの誘惑に抵抗する。


「その折りたくない心を少しずつ溶かしてあげる。お兄ちゃんの仲間のレオ、あれは駄目、リベールが欲しがってるから。リーナ、あの子も駄目、ロンザリアが許さないから。エイミー、あの子は良いよ、お兄ちゃんに全部上げる、お兄ちゃんが好きに使って良いよ」


「やめろ!!」


 ロンザリアの体を突き飛ばすも、それを分っているようにロンザリアの顔の笑みは崩れない。


「リベールに会わせろ」


 その言葉もロンザリアには分っていた。


 今の状況を打破する為には人質を取られている前提を崩さなくてはいけない。


 相手を説得し、人質を解放させるしか道が無い。


 でも、そんな事が上手く行くはずがないとロンザリアは確信していた。


「いいよ~、案内してあげる」


 あのリベールが人質を手放す訳が無いと。


 そこで涼の心も折っていく為に、ロンザリアは涼をリベールの下へと連れて行った。

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