第二九話 タローとサブローと王子様っ!

 夢の中のことだって分かっていた。でも、それは私の中の過去の記憶。私は夢の中で、その出来事を思い出すように再生していた。忘れかけていた記憶。


 それは、小学生の夏の終わり、夕暮れ時。私はその頃飼っていた犬のタローを散歩に連れ出していた。途中、タローがもっと遠出をしたがったので、私は付き合ってあげることにした。家を出たのは遅かったけれど、きっと大丈夫だろうと。


 夏の日は長い。きっと明るいうちに帰ることが出来る。どうってことは無い。そんな風に思っていた。でも、それは夏の終わり。日が落ちる時間が早くなり始めていた頃で、それを私はすっかり忘れていた。

 タローにせがまれるがままに道を歩いていると、校区外こうくがいに出ていた。小学生だけで行ってはいけないと先生に言われていた場所だ。しばらく経って、日が随分と落ちてしまっている事に気付いた。あまり知らない場所、昏くなっていく街並み。

 私は少し心細くなりながら、タローのリードを引っ張った。「おねがい。帰ろう、タロー!」何度もリードを引っ張ってお願いすると、タローはハァハァ言いながら、ようやくこれ以上の遠出を諦めてくれた。

 でも帰り道、見知った校区内に辿り着く前に、日は完全に落ちてしまった。そして、更に悪いことに、突然の雨。それも、とびきり強いやつだ。突然の集中豪雨に私とタローはあっという間にずぶ濡れになった。しかも、長靴じゃないから、靴も滑りやすい。視界も悪い中、私とタローは泣きながら「多分こっちだ……」と家に近付くと思われる道を走った。


 ――ブッブーッ!


 歩道の無い少し細い道、豪雨の音の間隙、背後から車の激しいクラクション。タローが道路の中央に飛び出してしまっている。「タロー危ないッ!」 私は思いっきりタローのリードを引っ張った。でも、その勢いで私自身のバランスは崩れ、滑ってしまう。車は私達のすぐ近くをすり抜けて、そのまま走り去っていった。


 私は滑って転んで道脇の溝に落ちていた。しかも、転んだ拍子に足をぐねってしまったようだ。痛い。それに、変な態勢で落ちたから、頑張っても身動きが取れないような体勢になっていた。道路に残したタローを見る。痛そうで、泣きそうな顔。タローは車に轢かれていた。ハァハァ言っているが、足を轢かれたようだ。骨が折れているのかもしれない。多少の車通りはあるものの、人通りが少ない路地の片隅で、視界も確かじゃない雨の中取り残された。


 ――誰か助けて! 誰か助けて! 誰か助けてよぅ!


 車は何台か通っていったが、誰も私達に気付いてくれなかった。大雨が降る中、不安さばかりが募っていった。


未央みおちゃん、大丈夫?」


 男の子は私に近寄って広げた傘を差し出してくれた。


 木之瀬幹哉くん。同じ町内の同い年の男の子。可愛い顔をしているんだけど、ナヨナヨしていて弱っちょろい。喧嘩の強い子の嫌がらせから、いつも私が守ってあげている男の子。遊ぼうというと、いつも動物のぬいぐるみで遊んだり、タローのお世話をやりたがったり。動物が大好きな女の子みたいな男の子。

 その幹哉くんが、レインコートを着て傘を差し出してくれていた。


 幹哉くんが、私を見つけてくれた。私は溝にはまったままコクリと頷いた。幹哉くんが手を引いてくれて、私は溝からようやく脱出できた。その力は意外と強かった。


 溝を抜け出すと、捻挫した足は、歩けない程ではないと分かった。それでも「大丈夫?」と聞くので「ウン」と頷くと、幹哉くんは腕に捕まるように言ってくれた。私はコクリと頷いて、その肩辺りの腕をギュッと掴んだ。


 タローは歩けなかった。幹哉くんは大雨の中、タローを抱えると、自分の傘を私に渡してくれた。「僕、レインコートあるし、両手、タローでふさがっちゃうからさ」


 幹哉くんに助けられて、私達は大雨の中、何とか家に辿り着いたのだ。両親もおばあちゃんもとても心配してくれた。温かいお風呂に入って上がると、おばあちゃんが私と幹哉くんに、温かいアップルティーを入れてくれた。その味は、心の中にも染み渡って、アップルティーの湯気越しに見る、幹哉くんの優しい笑顔が王子様みたいに見えたんだ。


 それから、しばらく、毎日のように、幹哉くんはタローの看病をしに来てくれた。動物病院にタローを連れて行くのも一緒に行った。タローが完全に元気になるまで、一ヶ月以上かかった。雨の日のことと、タローのお世話を通じて、私は幹哉くんの優しさと、本当の強さを知ったんだ。結局、タローは私達が中学生の時に、おばあちゃんが亡くなったのを追うように、死んでいった。


 タローはもう居ないけれど、幹哉くんとタローと三人で過ごした時間は私にとって全部、一生もの。タローと二人で幹哉くんに助けられた、あの瞬間は私の人生でたったひとつの恋に気付いた瞬間だったんだって思う。

 そう、それが、私が幹哉くんのことを好きだって気付いたきっかけ。


 幹哉くんは、いつもは弱っちょろいのに、私が困った時に必ず助けてくれる、私だけの王子様なんだ。


 まぶたの向こうから蛍光灯の光りが差し込む。薄っすらと目を開けると、徐々に視界が回復していった。見慣れない部屋、ソファの上で眠ってしまっていたようだ。まだぼやけた視界の向こうに、椅子に座ったほっそりとした男性の姿が見える。


 ――幹哉くん……?


「目が覚めたかい?」

 少し低いその声は、幹哉くんのものでは無かった。

 誰だろう? そもそも此処は何処だろう? 

 私は、ソファに沈んだまま、頭の中の記憶に呼び出しをかける。

 あ、そうだ。学校を飛び出して、走って来たんだ。何のために? そう、錦織さんに直接会って、話を聞いて、出来れば、無実の証明をしたいって……。そして、その結果は――。


 そこまで考えて、私は全てを思い出した。そして、背中を寒気が駆け上がる。自分の着衣が乱れていないこと確認して、両手で胸を覆うように体を抱きしめる。


「来ないでっ!」

 この男は私を脅して、私を自分のものにしようとしたんだ。許せない。

 でも、その脅迫を跳ね返す手段は今の私には――無い。


「おっと、僕は何もしてないよ。少なくとも『まだ』ね――。僕は自分から僕に抱きついてくれるような女性を大切にしたいんだよ」


 そう言って、錦織龍之介は両手を開いて肩を窄めてみせた。そして、一歩ずつ、私の眠っていたソファーに近付いてくる。目の前まで来るとひざまずき、錦織龍之介は私の顎を右手の親指と人差指で挟んでクイと持ちあげた。


「僕はこんなに君の事を好きだって言っているんだよ。未央ちゃん。どう? 君も僕の事を好きになって、僕の彼女になってよ――」


 ――助けて……! 助けて、幹哉くん!


 その瞬間だった。


 部屋の奥の方で、ガタガタガタっと音がすると、部屋の端から白い物体がスゴイ勢いで飛び出してきた! その白いモフモフはダッダッダッと綺麗なCEO室の絨毯の床を蹴飛ばすと、猛然と、私達の方――ではなくて、錦織さんの黒いワークデスクの方に向かっていった。


 ――シャバダバダバダバダーーーーーッ!


「おいっ! あ、ちょっとっ!」

 急な事態に、錦織さんが私から手を離し立ち上がる。あからさまに想定外の事態に混乱しているようだ。突然、CEO室に何処かから飛び込んできたその白いモフモフの正体は


「サブローくんっ!」


 それは、いつも幹哉くんがお世話をしている聖メティス学園のアイドル、ウサギのサブローだった。サブローくんは猛然と錦織さんの黒い机に近付くと、開いたままになっていた机の下のキャビネットの引き出しに突っ込んで紙の束を漁り始める。

 

 ――グシャグシャグシャグシャッ!


「あ、おいこらっ! それは、契約書だろっ! おいこら、止めろ止めろ! 原本、原本ッ! おいおいおいおいおい! だぁぁあぁあっ! それは、企画書、企画書! 駄目だろぉッ! おいっ! お前、ウサ公か? ウサ公ッ! やめてくれー!」


 なぜここにサブローが現れたのかは分からないけど、錦織さんがメッチャ嫌がることをやっているみたいだ。


 ――何だか分からないけど、サブロー、グッジョブ!


 自分の机に駆け寄った錦織さんは、サブローに自らの重要書類が齧られ行く様を、何故か、横でオタオタしながら、何も出来ずに足踏みを続けていた。


 ――あれ? なんでサブローにやられるがままなんだろう?


「錦織さん? それ、重要書類なんだったら、サブローくん――そのウサギを捕まえて、追い出したらいいんだと思いますけど?」


 何を敵にアドバイスしているんだろう、と思いながら、私は伝えた。まぁ、誰でも、思いつくことだと思うので、情報でもなんでもないんだけどね。

 すると、錦織さんは、今日一番の情けない顔をこっちに向けた。


「俺、こういう動物、苦手なんだよぉォォォォ〜!」


 ――知らんがなっ!


 それでも、意を決したように錦織さんは、「噛むなよ噛むなよ噛むなよ噛むなよ……」と呪文のように唱えながら、キャビネットからサブローくんを持ち上げて絨毯の上に放り投げた。

 たったそれだけのことで、錦織さんは物凄くダメージを食らったようで、ゼェゼェと肩で息をしている。


 ――錦織さん、弱いっ! 思ってたより、しょぼいっ!


 着地したサブローは「キュキュッ?」と首を傾げると、今度は、部屋の隅に別のターゲットを見つけたらしく、ダッダッダッと駆け出していく。

 その先は、黒いサーバラック。

 ラックマウント型のサーバが数台と、その下段の方にはルータかスイッチングハブだろうか、沢山のLANケーブルを前面から出した横長の機器も備え付けられていた。


 サブローはサーバーラックに飛び込むと、何か黒いケーブルに元気な前歯を突き刺す。そして「キュキュッ!」と首を傾げると、猛然とそのケーブルを齧りだした。


 ――カージカジカジカジカジカジカジッ!


「うわあああああぁぁぁ! おまっ! 基幹サーバのケーブル囓るんじゃねぇよぉっ! 大体社内向けだけど、一部、外部サービスに出してる奴もあるんだぞぉぉぉ〜! ウチのお客さんにはナァ! 一部上場企業も含まれてるんだぞぉォォォッ!」


 いや、知らないけれど……。少なくとも、一部上場企業との取引実績をウサギに説いても意味は無いと思いますよ、錦織さん。


 流石に背に腹は代えられないと思ったのか、錦織さんは、「ええいっ」と頭をクシャクシャと掻きながら、CEO室の入り口の扉へと向かっていった。扉の横の小さな機械に五本の指を当てる。指紋認証だろうか。扉の横のLEDライトが赤から緑に変わり、鍵が開錠された。


「おい、誰か! この白いウサギを追い出してくれっ! 何してもいいから!」


 錦織さんは、薄緑のロールスクリーンの降りたCEO室のガラス戸を内開きに開きながら、八階のフロアに居る社員さん達に聞こえるように、声を上げた。開いた扉の向こう側には、待機していたかのように二人の人影が見える。


 ガラス戸が開くと、待っていましたと言わんばかりに、一人の男性が急いで部屋の中に駆け込んできた。そして、その男の子は、サーバラックで暴れるサブローの方へ向かうのではなく、ソファに横たわる私に駆け寄って来た。私のすぐ側に跪いた栗毛の男の子は、私の顔を覗き込んでこう言った。


「未央ちゃん、大丈夫?」


 それは木之瀬幹哉くん。

 あの日からずっと、私が困った時に必ず助けてくれる、私だけの王子様。

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