第二八話 膝詰め談判するのですっ!

「それで、相談って何かな?」


 ネクストジェネシス株式会社のCEO室中央に置かれた応接机の上、私の目の前に、錦織龍之介はコトリとマグカップを置いた。温かい紅茶だ。錦織さん自身はホットコーヒーを入れたマグカップを手に持って、向かいの席に座った。

 「ミルクかレモン要る?」と聞かれたけど、「あ、大丈夫です」と両手を胸の前で振る。「そう?」と錦織さんは、にこやかにその両手の間に視線を走らせてから、私の目を見て少しだけ首を傾けた。


 大きな窓からは夏の日差しが真横に差し込み、ガラストップの机に反射している。

 オフィスビルの八階。机の上には光沢感のある大型ディスプレイとノートパソコン、ワークステーションが置かれ、壁面に掛けれた大画面高精細の液晶テレビが掛けられていた。


「えっと……、先週の講習会は、ありがとうございました。とても勉強になりました」

 私はペコリと座ったままお辞儀をする。錦織さんは「ご丁寧にどうも」と、眼鏡越しに目を細めた。


「その……質問なんですけど……。サイバーセキュリティの講習会の話題の中で、『ランサムウェア』についてのお話があったじゃないですか?」

「あったねぇ。ここしばらく、ずっと流行っているからねぇ。いろんな種類の物が出回っているしね。作る側にとっても、ただ、ウィルスをバラ撒くだけじゃなくて、収入源にもなるから、インセンティブがこれまで以上に明確だよね」


「頂いた資料の中でもチラッと書いてありましたし、少し興味を持って調べたWEBサイトにも書いてあったんですが、ランサムウェアで身代金要求をする時にはビットコインみたいな仮想通貨を使う事例が増えているって聞きました。どうしてでしょう?」

「よく勉強したね。その通りだよ。仮想通貨の負の側面だけどね。暗号化技術とブロックチェーンを基礎に据えた仮想通貨は匿名性が高い。それに、政府との繋がりが強い旧来の銀行機関とも無縁だしね」


「ランサムウェアの身代金送金において匿名性が重要な理由は何でしょう?」

「そりゃもちろん、匿名性が保たれなかったら、犯人がバレちゃうからね。ウィルス撒いたり、ハッキングするのなんて、バレたら速攻で警察沙汰。警察権力や司法と正面から事を構えて、勝てるハッカーなんてそうそう居ないからね。ウィルスをバラ撒くのはインターネット越しで、ある意味適当でもいいんだけど、ランサムウェアは身代金の回収の経路を常に維持し続けないといけない。ここの匿名性を維持するっていうのは、ランサムウェアの設計時にハッカーが気をつけないといけない部分なんじゃないかな?」


 そう言うと、錦織さんは一度眼鏡を外して、ポケットから取り出したハンカチでレンズを拭いた。拭きながら、ビルのガラス窓の外を眺める。私もつられて、少し窓の外に目を遣った。夏の日差しは眩しく、お天道様は少し西に傾いた場所からこの街の全てを照らしている。


「ちょっと、質問を変えてもいいですか?」

 両手でマグカップを持ち上げて、入れてもらったストレートの紅茶を一口飲んだ。まだ、熱かった。錦織さんは「どうぞ」と右手のひらを差し出す。


「ランサムウェアの身代金要求の代わりに、お金以外のものを要求するってことはあり得るんでしょうか?」

「――例えば?」

「何か物品の現物とか、何かの権利とか、何かのデータのファイルとか……」

 これ以上は錦織さんの顔を直視して話す事は出来なかった。机の上にコトリとマグカップが置かれる音がする。


「あり得なくは無いけれど、あまり賢くないし、得策とは言えないなぁ」


 ――あれっ?


 否定的な意見に、私は顔を上げて、説明を続ける錦織さんの顔を見る。もしかして、それじゃあ、錦織さんは、犯人じゃないの?


「例えば、物品を送るとなれば送り先の住所が要る、株式や土地みたいなものの権利を移転しようと思えば移転先の個人情報がそれなりに必要だ。それに、金額の規模も細かくしづらい。匿名性も規模感も不適切だし、いろいろ辛いよね。その点、お金っていうのは、高度に情報化された存在なんだ。一度移転してしまえば、出処も分からなくなるし、今じゃネット経由で数字を弄るだけで価値が移動する便利な存在なのさ。それに、大きさも色々調整できる。ランサムウェアの身代金って数万円くらいって規模が多いんだけど、パソコンのデータをとられた時に、『いくらくらいなら払ってくれそうか』っていう価格設定は大事なところなんだよ。もし、これが百万円とか一千万円なら、多くの人が払わずに、黙ってパソコンの初期化をするか、然るべき会社とか警察に駆け込むだろうね」


 ――なるほど。


 先週の講習会の時も思ったけれど、錦織さんの説明は分かり易い。時々、出て来る専門用語は分からなくなるところもあるけれど、例を交えながら、素人にも分かりやすく説明しようという努力が感じられて、好感が持てるのだ。


 同じIT技術に詳しい人間といってもノドカなんかは「素人放ったらかし」で突っ走る感があるけれど、それとは随分と違う印象を受ける。


「あの……、じゃあ、ファイルについてはどうなんでしょか? 例えば、欲しい、特定の人物の画像ファイルを指定して送信させるとか?」

 今度はしっかりと錦織さんの目を見て質問する。真剣に。

 錦織さんは「ウーン」と左手を顎に添えて考え込んだ。


「ファイル送信も物品送信に似たところがあるだろうね。受取り側は何かの受け口を準備しないといけないだろうし、もしファイルをアップロードさせるWEBページとかを準備したら、それが犯人への手掛かりになってしまう。ファイル送信サービスを使うっていうのもあるだろうけれど、そういうサービスって金融ほど匿名性に配慮していないと思うから、足が付きやすいんじゃないかなぁ? それに『特定の人物の画像ファイル』? それは無いんじゃないかなぁ」

 錦織さんは、何か、間抜けなハッカーの事を思い浮かべるように、愉快そうに「フフフッ、有り得ない」と笑った。


「そうなんですか?」

 そうやって「有り得ない」と笑う錦織さんの反応に、私は、少しばかりの希望を見出す。


――やっぱり、錦織さんは真犯人なんかじゃないのかも?


「ええ、だってそうでしょう? 『特定の人物の画像ファイル』なんて指定したら、犯人がその人物と何かしらかの利害関係にあることが分かってしまう。付随する情報が豊か過ぎる。そういう付随情報は、犯人を特定するための情報になってしまう」

「えっと……、そういう場合は、どうなってしまうんでしょう?」

 私がおずおずとそう尋ねると。


 錦織さんは机の上のマグカップを手に取ると一口啜り、椅子の背もたれへと体重を預けて天井を見上げた。


「そうだねぇ。ファイルを受け渡しする時の情報と、特定の人物を指定するプロファイル情報から、犯人は特定されちゃうんじゃないかなぁ? そして、犯人は警察か被害者自身によって乗り込まれちゃうんだ」

 視線を落とすと、錦織さんは眼鏡越しの黒い瞳で私をじっと見つめた。


「そう、未央ちゃん。君が今――しているみたいにね。……そういうことなんでしょう? 『相談』って?」

 私は弾かれたように体を起こす。それは突然の自白だった。


「え? ……あ、……いえ、その……」

「隠さなくてもいいよ。ランサムウェアの質問から入る誘導尋問は、なかなか良いセンスだったよ」


 ――え……、違う。誘導尋問なんかじゃないのに……。私は信じていたんです。

 何だか裏切られたような悲しさ、誤解されている寂しさがあった。


「でも、思いの外、辿り着くのが早くてビックリしたよ。これじゃ、『夏休みの宿題』にすらならなかったね……」

「……あの、……本当に、錦織さんが、今回の真犯人なんですか? 里中先生にランサムウェアを渡して、私に対するストーカー行為をさせた?」

 錦織さんは唇の端をくいと上げると、椅子の肘掛けに頬杖をついてコクリと頷いた。


「あぁ、そうだよ。僕が里中先生にお願いして、君の写真を一杯撮ってもらったんだよ」

「……どうして?」

「『どうして?』だって? 心外だなぁ。君の事が好きだからに決まっているじゃないか」


 真犯人であるということを自白したのに、慌てる様子はまるでない。むしろ、突然の言われなれない「好き」という言葉に、私の方が慌ててしまう。顔は赤面して、頭は混乱する。その様子を眺めながら、穏やかな笑顔で、錦織龍之介は続けた。


「学校案内パンフレットの仕事を社内で進めている時にね、君を写真で見た時から、可愛いなって思っていたんだよ。あぁ、この子が『西野未央』って女の子なんだって。手前に映る娘と違って、何ていうか純粋そうで可愛い、是非、お近づきになりたいなぁ、もっと、色んな姿を見たいなぁって、そう思ったんだよ。本当だよ?」

「な……」

 突然の告白に私は言葉を失う。十歳年上の男性に、そんなことを言われるなんて、想像もしていなかった。なんだか気勢が削がれる。


「でも、……だったら、何もストーカーみたいなことをしなくても。しかも、ランサムウェアを使って他人を操るなんて。直接……直接言ってもらえたら、良かった……のに」

 そう俯きながら呟く私の言葉を、錦織龍之介はフッと鼻で笑った。


 そして、応接机の上に置かれていたリモコンを手に取り、赤い電源ボタンを押す。壁面の大画面高精細の液晶テレビの電源が入り、その画面一杯に、川沿いの道を背景に歩く制服姿の女子高生の写真が映し出された。


 ――私だ。

 多分、ストーカー被害に遭いだしたことに気付いた、終業式の日の下校時の写真だと思う。これが物的証拠というやつだろう。これで間違いは無い。自白だけではなく、錦織さんが真犯人ということで本当に確定だ。


「学校案内冊子のモデルをしている時の少し作った表情だけじゃなくて、やっぱり、日常の姿も可愛いじゃないか。自然な下校時の姿もよく撮れている。里中もやるもんだ」

「――止めてくださいっ!」

 商工会議所のカフェで、先生と話していた時には、里中「先生」って言っていたのに、先生の居ない今は、呼び捨てにしている。


「どうして……、どうしてこんなことをするんですか?」

「どうして? 好きな人のことはもっと知りたいし、見ていたいからに決まっているじゃないか。当たり前の感情だろう?」

 錦織さんがリモコンのボタンをもう一つ押すと画面は切り替わり、今度は、私が、百貨店でお母さんと一緒に水着を選んでいるシーンになった。少し派手なビキニを自分の胸に押し当てて、鏡を覗き込んでいる。


 ――やっぱり、あの時も尾行されていたんだ。


 それは結局、買わなかった水着だ。でも、プライベートシーンを隠し撮りされているのが、こんなに恥ずかしいだなんて!


「錦織さんの気持ちは嬉しいです。でも、こういう盗撮みたいなことは、やめて下さい。そして、出来れば……、これまでに撮影された私の写真は、その……、全て削除して貰えないでしょうか。お願いします――」

 膝の上に握った両手を押し付けて、俯くように頭を下げる。誠心誠意お願いする。私のことを好きだって言ってくれている人だ。きっとお願いを聞いてくれるはずだ。


「――いいよ」

 錦織龍之介はあっさりと言った。私は驚きと共にホッとして顔を上げる。


「あ……ありがとうございます」

 しかし、顔を上げた先にあったのは、細いフレームの眼鏡の奥に光る双眼の黒くて淫らな輝きだった。

「ただし、君が……、僕のになってくれたらね」

 私は唖然とする。そして、俯きながら絞り出すように呟く。


「えっと……それは……無理です」

 拒否する私に、錦織さんはそれが織り込み済みであったかのようにウンウンと目を瞑って呟いた。

「だろうね〜。無理だろうね〜。そうだよね〜、未央ちゃんは

 急に飛び出した幹哉くんの名前に、私はビックリして目を見開いた。


「……どうしてそれを? なんで、幹哉くんの事を知って……?」

「ビンゴみたいだね」

 ニヤリと笑う錦織さんに、私は頷くこともできず、固まってしまう。


「どうして知っているかって? そうだねぇ、情報源には色々あるからね。まぁ、今はその詳細を話したりはしないよ。僕にも守秘義務ってものがあるから。……それと、『情報』の使い方にも色々あるんだよ。例えば、画像テータって情報の使い方にもね」


 錦織さんは、手の中で弄んでいたリモコンを再び液晶ディスプレイの方に向けた。

ボタンを押すと、写真が切り替わり、髪を濡らして水着を脱いだ女の子の写真が映し出された。

 青い花柄のビキニの下のみを身につけて、左手で緩やかに胸の先端だけを隠した私だ。上半身裸の私の写真が、大画面高精細の液晶テレビに大きく、肌理きめ細やかに映し出されたのだ。私は恥ずかしさの余り両手で口を覆う。そして、経験したこともない焦燥が背中から頭の上まで駆け抜けた。


「本当に可愛いよね。ずっとこの写真を壁紙にしておきたいくらいだよ……。あ、そうそう、未央ちゃんが僕の申し出を断った場合なんだけど、君の写真はインターネット上にばら撒かれるよ。そして、君の上半身裸の水着姿はネット上で何度も何度も複製されて、永久に消えないんだ。君の残りの人生は、そんな羞恥心とずっと離れられないものになるんだよ」

 そう言って、錦織龍之介はニヤニヤと笑った。


 私はあまりのショックに焦点を失う。茫然自失というのはこういう心持ちを言うんだろうか。なんだか力が入らない。

 私は何を間違っちゃったのだろう。あの時、先生がUSBディスクを受け取って学校のPCにインストールすることを止めていたら、こんな事にはならなかったのだろうか。


 ノドカだったら「やれるものならやってみなさいよ!」って啖呵を切るのかもしれない。でも、私には出来なかった。

 私だって普通の女子高生。自分の下着姿や、水着姿がネット上にばらまかれるのは恥ずかしい。絶対に嫌だ。どうしたら、どうしたら良いんだろう? もう、この人の言いなりになるしか無いんだろうか? 


 その時、壁時計が音を鳴らした。午後四時だ。

「おっと、もうこんな時間か。どうしようか? 続きは、夕方でも良いかな? 変なことされても嫌だし、ちょっと眠っておいて貰おうかな?」

「えっ?」

 確か、錦織さんは午後四時以降には用事があるって言っていた。でも、話は終わっていないし、眠っておいて貰うって?


 急な言葉に戸惑っていると、私の視界の中に、錦織さんの右手に掴まれた、スプレー缶が大きく現れた。そして、それが一吹きされる。


 ――あっ……。


「ゴメンね。夕方には戻ってくるからさ。それまで、ちょっと眠っておいてよ」


 紳士的に笑う男の言葉を聞きながら、私の意識は急速に遠ざかっていったのだった。


 そして、私の意識は飛んだ。

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