第二四話 恋にドキドキするプールのはずなのにっ!

「未央〜! 幹哉くんが迎えてに来てくれたわよ〜!」


 階段の下から、お母さんの声が聞こえる。私は部屋のベッドに座ったまま「は〜い!」と返事をした。目の前にはプールバッグが。昨日買った水着も入っているのだ。


 準備万端で、チャイムが鳴った時に、すぐに駆け出して自分で玄関に出ることだって出来たけど、楽しみにしすぎていたみたいなのも恥ずかしいので、わざとお母さんに出てもらったのだ。

 私は「よしっ!」と何のためかよく分からない気合をいれると、床の上のプールバッグを手にとって、部屋の扉を開けて、階段を駆け下りた。


「お待たせ、幹哉くん」

「おはよう、未央ちゃん」

 今日は、休日。学校に行くんだけど、制服じゃなくても良い日だ。幹哉くんも、半袖のポロシャツにジーンズという出で立ちのカジュアルスタイル。

 久しぶりに近くで見る幹哉くんの私服姿にちょっと嬉しくなりながら、私は玄関に並べていたサンダルに足を通した。ちょっとだけ靴底ソールの厚い、白いストラップの可愛いサンダル。ちょっとだけ身長が高くなって、今日の私はスタイルが良く見えるんだからね。


「じゃあ、行こっか?」

 扉を半分開いたまま、夏の日差しを背負う幹哉くんに私は「うん」と頷いた。


 夏の川沿いを歩く、学校までの二人の時間は、なんだか幸せな時間だった。太陽の日差しはちょっと強くて、眩しかったけど、夏の日差しが河原の自然、人々、川の流れ、すべての景色を鮮やかにする。右を見ると、幹哉くんが同じように、左の河原を眺めていて、嬉しかった。

 でも、強い日差しはお肌の敵だし、熱中症の元。もともと、インドア系の部活の私だから、急な日焼けはさらに危険なのだ。


 プールバッグから、折りたたみの日傘を取り出す。黒くて白の水玉模様。ちょっと大人っぽいけど、可愛くてお気に入り。実は、昨日の百貨店で、これもお母さんが買ってくれたんだ。


 歩きながら、バサリと目の前で開いた日傘を、頭の上に持ち上げた。


「おっと、あぶない」

 広がった日傘の先をかわすように、幹哉くんが、外側に上半身を倒した。


「あ……、ごめん」

 そっか、傘を開くとスペースをとっちゃうんだね。急いで私は開いた日傘を少しだけ左に逸らした。

「あ、ううん、気にしないで。日差し強いからね。最近は熱中症のニュースも多いし、日傘は大切」


 そう言って幹哉くんは笑顔で自分の頭を手のひらで押さえて見せた。

 幹哉くんは帽子もかぶっていない。広げた日傘を天に向けて歩くけど、傘の広がりが幅をとって、上半身を傾けるか、幹哉くんとの間隔を半歩広げないと、ぶつかってしまいそうだ。


 隣を歩いているんだから、日傘を少し持ち上げれば、日陰を少し分け合うことだって出来るよね。私はそう思って、日傘を持ち上げようとして、ふと立ち止まった。


 ――それって、相合傘あいあいがさじゃんっ!


「どうしたの?」

 急に立ち止まった私を振り返り、幹哉くんが立ち止まる。南からの日差しに、目を細める。あ、やっぱり暑そうだ。これから楽しいプールなのに、熱中症とかダメ絶対。


「えっと……、日傘……幹哉くんも入る?」

 私がクイッと傘を持ち上げると、幹哉くんは「え?」と一瞬目を丸くして、急に照れたように両手を胸の前で振る。


「いいよ、いいよ、いいよ! このくらい、日差し大丈夫だからっ!」

 こういうことは男子の方が敏感なんだと友達が言っていた。幹哉くんでも、そうなのかな? でも、そうやって、過剰反応されると、私も何だか意識しちゃうじゃない?


「いいの。入って。だって、今日はプールも炎天下だし、朝から熱中症のダメージとか、出来るだけ受けない方がいいでしょ?」

 私は三歩前に出て、幹哉くんの頭の上に日傘を突き出す。いつもの身長差なら、ちょっと疲れるけど、今日は厚底のサンダルがちょっとだけ味方をしてくれる。


「――うん。じゃあ、お言葉に甘えて……」

 幹哉くんはそう言って小さな折りたたみ傘の陰の中に、自らの頭を差し入れた。


「うん。ご遠慮なく」

 少し距離が近付く。

 幹哉くんの腕が私の肩に微かに当たった。あっ、と思って、右隣の横顔を見上げる。幹哉くんは少し照れたような、それでいて満更でもないような顔で、前を向いていた。

 夏の川沿いを歩く、学校までの二人の時間は、なんだか幸せな時間だった。


 ――カシャッ!


 校門の前に辿り着いた時に、カメラの音を聞いた。

 ビクッとして、背筋に寒気が走る。


「……どうしたの?」

 急に立ち止まった私に、幹哉くんが振り返る。

 でも、まだ、幹哉くんにはストーカーの事は話したくない。少なくとも、この楽しいプールが終わるまでは。


「ううん、何でもない。行こうっ!」

 私は日傘を下ろして、幹哉くんの横をすり抜けて、校門の作る境界線を抜けた。


 きっと、ストーカーも学校の中までは追ってこないだろう。まずは、精一杯プールを楽しもう。そして、プールが終わったら、ノドカと幹哉くんにちゃんと打ち明けるんだ。

 

 幹哉くんと別れて、女子更衣室に入ると、クラスの友達や見たことのある先輩方も居た。


 夏休みに入って初回の『プール開放日』。みんな、考えることは一緒だなぁ〜。

 水着に着替える先輩達の中に、ポニーテールの先輩の姿があった。


 ウサギ小屋騒動があった時の当事者だ。目があったのでペコリと頭を下げると、向こうもにこやかに「ハロー」と右手を振ってくれた。

 あの一件以来、ボブカット先輩の方には完全に目の敵にされてしまったみたいだけど、ポニーテール先輩とは仲良くさせてもらっている。

 来ていた一年生の他の友達も、それぞれに華やかな水着を持ってきていて、早速見せあいっこが始まっていた。


「あ〜、未央ちゃんの水着、可愛いじゃん〜」

「ありがと。そっちの水着もめっちゃ似合ってるよ〜」

「へへー、昨日、彼氏と買いに行って来たんだ〜」

「え? マジで? 彼氏いるの? 聞いてないんだけど〜!」

「まだ、誰にも彼氏、見せてないよー。出来たの七月入ってからだし」

「今日来てる? 来てる? 今日来てるノッ!?」

 なんだか、もう水着の話なんかは何処へやら。女子更衣室はみんなの黄色い声で盛り上がっていった。


 ――あ〜ぁ、彼氏かぁ……。いいなぁ。私も、幹哉くんのことを幼馴染ってだけじゃなくて、彼氏って呼べるようになりたいなぁ……。


 そんな事を考えている頭の中に、幹哉くんと白いワンピース姿のノドカがケーキ屋さんから出て来る映像が、鮮やかに蘇った。ほんの一週間前の日曜日の映像だ。


 ――でも、無理かも。


 私はロッカーに脱いだ下着を放り込んで、鍵を掛けた。


 プールサイドへの入り口にあるシャワーを浴びたら、その幹哉くんが待ってくれていた。


 空は抜けるように青く、西の空には白い積雲がこんもりと浮かんでいる。

 プールサイドには聖メティス学園の生徒だけではなくて、OB・OGらしい大学生、また、家族連れの姿も見えた。さながらレジャープールだ。


「お待たせ」

 シャワーで濡れた髪を左手で押さえながら俯きがちに言う。


「じゃあ、早速泳ごうか?」

 幹哉くんは、手持ちぶさたに組んでいた腕を解くと、人差し指でプールの方向を指差した。私はコクリと頷く。あ、でも。

「プール入る前に、準備体操は必須だよ。幹哉くん」

「あっ、そうか。そうだね〜」

 幹哉くんは、お母さんか先生に指摘された子供のように頭を掻いて、屈伸運動を開始した。私もその横で簡単なストレッチを始める。


 プールサイドの方に目をやると、先輩や同級生含めて何人かの女子と遠目に視線がぶつかった。なんだろう? と一瞬疑問に思ったが、直ぐに理由は分かった。


 ――これが嫉妬の視線なのか〜


 改めて、近くにいる幼馴染の姿に目に視線を移す。決して、筋肉質ではないけれど、スラリとした上半身は水着以外一糸纏わぬ姿で夏の太陽の光を浴びていた。

 美男子イケメンは脱いでも美男子イケメンだったのだ!


 今年に入ってからも、同級生、上級生含めて片手の指で足りないくらいは告白されたと噂に聞く。本人はそういうことを私に話したがらないので、直接は聞いていないのだけれど。やっぱり、幹哉くんはモテているのだ。

 幼馴染というだけで、そんな彼を独占している自分は、彼女達にとってみたらズルすぎる存在なのかもしれない。


 ――いつか、私、刺されちゃうかも。


 そんなことを思いながら、前屈をする幼馴染の姿を見る。


「さてと、ストレッチ完了。プールに入りますか〜」

「そうだね」

 私達はプールの降り口へと歩き出す。


 ――カシャッ!

 

 視線を感じた。そして、カメラの音がした。立ち止まり、振り返る。音は近かった気がする。


 え? ストーカーって学校の中にも入ってくるの? 学校のなかは安全なんじゃないの?


「どうしたの? 忘れ物?」

 立ち止まった幹哉くんが、私の顔を覗き込む。きっと、私の顔は今、蒼白になっている。でも、このプールは楽しむんだ。だから、幹哉くんを心配させちゃいけないのだ。私は精一杯の気丈さで笑顔を生み出した。

「ううん。なんでもないよ。行こう!」

 私は、幹哉くんの隣へと、足を踏み出して、エイッと、プールの中に飛び込んだ。


 ザバーンと派手な水飛沫を上げた私を、ステンレスパイプの梯子に足を掛けた幹哉くんは、驚いた顔で見ていた。腰に巻いた青いフレアパンツが水の中で開く。水中から顔を上げて、クルリと体を回すと、私を見ているのは幹哉くんだけじゃなかった。プールサイドから何人もの他の男の子達も私のことをポカンとした顔で見ていた。あれ? 注目集めちゃった? 恥ずかしい。


 私はブクブクブクと、泡を立てながら水中に沈んだ。


 ――カシャッ!


 場所は学校だけど、今日は楽しい、幹哉くんとのデートだ。私の女友達も声を掛けてきてくれたし、幹哉くんの友達も何度か声をかけてきて、グループが混ざったこともあったけれど、幹哉くんは、最後まで基本的に私と一緒に居てくれた。幼馴染の特権って素晴らしい。そして、ちゃんと、約束を守って、私を放ったらかしにしない、幹哉くん。偉いぞ。未央さまが褒めてつかわす 。


 ――カシャッ!


 それなのに。それなのに。楽しみにしていた、大切な時間なのに。背中に、胸元に、横顔に刺さる。私以外にも、水着姿の人が一杯いるから、カメラの回数は控えめな気もするけれど、ファインダーは私の体を覗いてる。


 フッと首を回すとプールサイドの向こう側、フェンスの向こう側、コンクリートの段差の下に誰かが隠れるのが見えた。それがストーカーなのか、誰なのかは分からない。でも、ずっと感じる視線はアイツだ。金曜日の放課後から、ずっと私の後をつけているアイツだ。


 私はプールの水で濡れた顔を両手で擦る。右手の甲でもう一度。左手の甲でも左目のまなじりをもう一度。


 ――あれ? なんだろう?


 左手の甲で擦って落としているのは、プールの水なんかじゃない。

 プールの底から両足の爪先を外して、重量に身を任せて、花柄のフレアパンツに包まれたお尻をプールの底まで落ちるに任せる。私の顔は水中に落ちて、両目の周りをプールの真水が満たす。水中で目を開くと、そこは水の世界で。プールではしゃぐ皆の胸から下が見えた。こうすれば、体の外から流れ込む水も、体の中から流れ出す水も一つになってくるくる回る。

 

 今日は恋にドキドキする楽しいプールのはずだった。なのに何なの? 

 楽しい気持ちはどんどん、恐くて、陰鬱な気持ちに支配されていく。楽しい気分が、悲しい気分に上書きされていく。もう嫌だ。ほんとうに嫌だ。


「プハーッ!」

 プールの底を両足で力強く蹴って飛び出すように、プールから頭を突き出した。

「うわっ!」

 その水飛沫を浴びて、幹哉くんが顔を両腕で覆う。


「へへへ……」

 私は追い打ちで、水面を中指で弾いて、幹哉くんに水を掛けた。その追い打ちの一撃を右手の平で易々と受け止めると、大きく一歩、幹哉くんは間隔を詰めてきた。私の目の前に、裸の幹哉くんの褐色の胸板がある。ちょっと驚いて離れようとする私の両腕を、幹哉くんは掴んだ。思わず、私もその顔を見上げる。


「……未央ちゃん。……大丈夫? 何だかちょっと様子が変だけど?」

 心配そうな幹哉くんの瞳が私を覗き込んでいた。


 ――いつもは超鈍感なくせに、どうして、こんな時だけ、敏感なんだっ! 

 でも、このプールだけは。このプールだけは、最後まで楽しませて欲しいの。


「やだなー、何にも無いよ〜。大丈夫だよ! あと、三十分くらいかな? 楽しもうっ? 誰かのグループと合流してゲームでもする?」


 自分自身で「空元気からげんきってこういうことを言うんだろうなぁ〜」なんて考えながら、精一杯の明るい声を振り絞った。『プール開放日』は混雑を避けるために、一人二時間までと決まっているのだ。


 少し納得し難いような表情を浮かべたけれど、私の言葉に「そうだね」と頷いた幹哉くんは、水中でそっと私の右手を掴んで引いてくれた。きっと私が何かに怖がっていることを察してくれたんだと思う。学校の皆から隠れるように、幹哉くんが掴んでくれた右手は、水の中だったけれど、暖かくて、嬉しくて、なんだか胸が締め付けられた。


 それからの時間は、執拗にまとわり付いていた視線も感じなくなっていった。なんだか、いつも以上に優しくて、時々、水の中で手を引いてくれる幹哉くんの気遣いが嬉しくて、プールを出る頃には、私の気分は随分と持ち直していた。


 プールサイドから別れて、入った更衣室で鍵を出してロッカーを開ける。

 行きの時と違って、ちょうど人の少ないタイミングだったのか、女子更衣室には私一人だった。バスタオルを取り出して、肌についた水滴を拭き取る。


 流石にちょっと、日焼けしちゃったかなぁ、なんて考えながら。髪の毛を拭く。何だか気持ちを掻き乱されることもあったけれど、やっぱり、楽しかった。やっぱり幹哉くんは優しい。私は、幹哉くんに引いてもらった右手をしげしげと見つめる。ちょっと、思い出したら、自然と頬が緩んだ。


 バスタオルをベンチに置かれたカゴに一旦置くと、ビキニの水着の上に手を掛けた。


 ――お母さんに買ってもらった、このビキニも大正解だったな。友達にも「可愛い」って言ってもらえたし。


 そして、ビキニの上を脱いで、心持ち左腕で自分の決して大きくない二つの膨らみを隠しながらロッカーの中の白いブラジャーに手を伸ばした。その時だった。


 ――カシャッ! カシャッ!


 また、カメラのシャッター音が鳴った。


 ――え? ええ?


 血の気が引いて、胸を隠したまましゃがみ込んだ。女子更衣室なのに? 女子更衣室なのに、どうして? しかも、撮られたかもしれない。私、裸を写真に撮られたかもしれない。


 ――カシャッ!


 またシャッター音がした。

 もう嫌だ。もう無理だ。

 私の心はそんなに強くない。私はゆるりと立ち上がりバスタオルを手に取った。一刻も早く、着替えて、この場所を立ち去ろう。そうしないと、心が持たない。

 バスタオルを胸の上に巻くと、恐る恐る、最新の注意を払って、下着を身に着けて、服に着替えた。もしも、写真に撮られても、最小限の被害で済むように。


 プール更衣室を出るのにどれだけの時間がかかっただろうか。いつもの二倍はかかったんじゃないかと思う。幹哉くんは待ってくれているだろうか。先に帰っているなんてことは無いと思うけど。


 周囲を見渡すと、幹哉くんが少し先のグラウンドの端、いつものポプラの樹の下で立っているのが見えた。向こうも気付いたようで、笑顔で呑気に右手を振ってくる。


 私は駆け寄ると、そのポロシャツの胸の辺りを掴んで、彼の胸に勝手に顔を埋めた。幹哉くんのポロシャツを自分の両目に引き寄せるように。

 ずっと堪えていたものが溢れ出して、そして、嗚咽とともに涙が流れだした。


 何か言いたいけれど、悔しくて、悲しくて、恐ろしくて言葉にならない。

 子供のように泣きじゃくる私の頭を、幹哉くんは「どうしたの?」と、優しく撫でてくれた。

 まだ少し濡れている髪の毛に、幹哉くんの手のひらが少しくすぐったくて、暖かかった。幹哉くんはプールの中でも少し心配してくれていた。幹哉くんなりに何かに感づいて、予想していてくれたのだろう。


 しばらくして、私も少しだけ落ち着きを取り戻すと、ポプラの樹の下、サブローのウサギ小屋の前のベンチで、私はこの三日間で起こったこと。ストーカー被害に遭っているようだということについて、一つ一つ、幹哉くんに説明した。気持ちが動転していて、話があっちに行ったり、こっちに行ったりしていたかもしれない。


 それでも、幹哉くんは、最後まで、私の話を静かにきちんと聞いてくれた。

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