第一九話 私はアップルティーが大好きですっ!

 昼過ぎまで降っていた雨が止み、空は嘘みたいに晴れていた。夏至を過ぎたばかりで日が長い。完全下校時間が迫ったこの時間でも、まだ西の空に太陽はあり、山々の上で徐々に空を紅く染め始めていた。


 校庭の片隅、ベンチから遠くの西空を目を細めて見ていると、視界に紙コップがニョッキリと現れた。

 驚いて視線を動かすと、背の高い栗毛の男の子が両手に一つづつ紙コップを持って立っていた。


「未央ちゃん、アップルティーだよね?」

「――あ、幹哉くん。……ありがと」

 私はコクリと頷いて、幹哉くんからアップルティーの入った紙コップを受け取る。まだ、熱い。幹哉くんは背負っていた鞄を肩から外すと、私の隣に腰掛けた。


「ほんと、こんな暑いのに、ホットのアップルティーなんてよく飲むよね」

 幹哉くんは少し呆れ顔だ。いつものことだけど。

 私はアップルティーが好きだ。アップルティーの甘くて暖かな味わいには、色んな想い出も閉じ込められている。


「えへへ、昔から好きだから……。幹哉くんはアイスコーヒー?」

 一口飲んでから下ろした紙コップを片手に、幹哉くんはコクリと頷いた。


 ポプラの樹の下、雨上がりの涼やかな風が気持ちいい。西日がちょっと眩しいけれど、ウサギ小屋の中のサブローくんは今は、すやすやと眠りについていた。


 理事長の呼び出しを終えて、私は疲れ切っていた。サブローくんみたいに寝てしまいたい気分。

 でも、今日は何だか、幹哉くんと一緒に帰りたかったから、ベンチで飼育委員のお仕事が終わるのを待っていたのだ。


 さっきまで用務員の田中さんが居た。ウサギのサブローくんだけじゃなくて、他の動物についてのことや、週末の餌やりの予定なんかについて幹哉くんが田中さんと相談していた。

 知らなかったのだけれど、幹哉くんは、田中さんと親しいらしい。

 田中さんと目があったので、一礼したら何だかニッコリ笑顔を返された。顔は覚えてもらっているみたいだ。

 それで今は、田中さんも去って、二人っきり。


「今日は本当に大変だったね。僕、理事長室なんて初めて入ったよ」

 思い出すように、幹哉くんが苦笑いを浮かべた。


「ほんとだよ。私も、もっと褒められるような話題で呼び出されたかったな〜。何かの地区大会の優勝とか、読書感想文コンクールの表彰とかねっ!」

 私がそう言うと、幹哉くんも「違いないね」と深く頷いた。


「それにしても、理事長ってあんなに若い女の人だったんだね。私のお母さんと変わらないくらいじゃないかな? もっとおばあちゃんくらいのイメージだったな〜」

 私達を諭すように話をした理事長の事を思い出す。

 もっと怒られると思ったけれど、理事長は終始冷静だった。


「あの理事長さ。誰かに似ていると思わなかった? ……思い出せないんだけれど」

 幹哉くんの言葉に、私はハッとする。そう、それそれ。


「思った! 私も! 誰かに似てるよね……。 私も思い出せないんだけど」

 確かに佳子理事長を見ていた時に、何かが引っかかった。誰かに似ていたのだ。誰だろう……? 

 二人で十秒ほど首を傾げたが、結局二人共思い出せなかった。なので「ま、いっか」と流すことにした。

 

 しかし、本当に、今日は大変な一日だった。

「理事長室に居た時は、ほんと幹哉くん、『何が起きてるのか全くわからない』って顔してたけど、……分かった?」


 そう尋ねる私に、幹哉くんはコクリと頷く。

「ようやくさっき全容を把握したよ。ノドカちゃん、……本当に凄いね」

「ほんとだよ〜。IT部が始まってから、これまでも、いろいろ暴走はあったけどさ。今回の一件は、なんというか完全に斜め向こう側に行っちゃった感じ」


 彼女が勝ち得たのは『セキュリティ対策チーム』を学校の中に作って『学内教職員ネットワーク』を始めとした学内のネットワークやサーバのセキュリティを改善するという理事長からの約束。そして、同時に『学内教職員ネットワーク』へのアクセス権限。それはへのアクセス権限も含まれていた。


 最先端技術ストーカー女子高生はどこまでも進んでいく。一ヶ月前に私は誓った気がする。幹哉くんとIT部を守るサイバーセキュリティになるのだと。

 でも、この一ヶ月、ただ、私はノドカの隣で振り回されるばっかりで、何も出来ていない。私ってやっぱり無力だなぁ。


「ノドカちゃんって偉いよね。本当に真っ直ぐで」

 アイスコーヒーの入った紙コップをを両手で包みながらポツリと幹哉くんが呟く。幹哉くんの意外な一言に、私は弾かれたように顔を上げた。


「……?」

 私が首を傾げると、幹哉くんは「うん」と頷いた。


「だって、そうじゃない? 今日のことも全部、学校のためを思ってやったんでしょ? 学校のセキュリティの甘さと、その危険性を理事長や教職員の皆に認識してもらうために、一人、悪役を買って出たんだよね? ……なかなか出来ることじゃないよ」

 ――う〜ん。それは美化しすぎじゃないかなぁ。


 第一、全部が学校のためかというとそうでも無くて、以前から欲しがっていた『学内教職員ネットワーク』への正式なアクセス権限も手に入れているし、あと、「DoS攻撃って一回やってみたかったんダヨ〜」的な好奇心も絶対にあるから。

 『幹哉くんのあらゆるデータにアクセス出来るようになる』ってノドカのメチャクチャな使命についても一歩前進しちゃってるし。

 それに、もう一つ。「一人、悪役を買って出た」わけじゃなくて、完全に、私も、里中先生も教頭先生も悪役の手助けをした共犯者として巻き込まれちゃっているんだからねっ!


 でも、今回の一件、確かにノドカには一本筋の通った信念があったようにも思う。いつもノドカのやることは無茶苦茶に見えて、なんだか筋は通っているとは思う。


 ノドカの「使命」を知ってしまっている私は、どうしても、それに引きずられてしまうけど、今回のDoS攻撃騒動が「学校のため」という一面を持っていたことは否定できないのだ。


 校門近くの体育館からはスポーツバッグを斜めがけした男女混成の一群がはしゃぎながら出てきていた。そんな一群が箒を持ったおじさんにお辞儀をして挨拶をしている。用務員の田中さんだ。


 そう言えば、ノドカの恋に落ちたよフォーリンラブ宣言のその後はどうなったのだろう。


「ねぇ。幹哉くん。最近、ノドカと何か話した?」

 三人で居る時の様子は把握しているけれど、もしかしたら私の見ていないところでも、何かが起きているのかもしれない。

 まぁ、あれだけ照れていたノドカのことだから、きっと何も出来ていないんだろうけど。IT技術は凄くても、恋愛とかはからっきしだからね。多分。


「ん? 今日、喋ったけど? 三人で居たし?」

「あ〜、え〜っと……、そうじゃなくってね。その、私が居ない時に、ノドカと二人で話したりすることもあるのかな〜、とか思って」

 あー、もうっ! 何この質問? 小姑みたいじゃない? でも、きっとあの娘は何も出来ていない。だって、ノドカはずっとワークステーションに向かいっぱなしのIT少女なんだもん。


「そうだね。確かに、最近はノドカちゃんと二人でよく話すようになったね〜」

 何でもないように幹哉くんが笑顔で返す。


「えっ! いつの間にっ!?」

 そう言って私は「あっ」と口を抑える。心の声が漏れてしまった。しかも、びっくりするくらい大きな声で。思わず誤魔化すように首をすくめてアップルティーを両手で口許に運んだ。


「最近、丁度、飼育委員の仕事が終わるくらいの時間に、ちょくちょくノドカちゃんが迎えに来てくれるんだよね。それで、彼女が電車に乗る駅まで一緒に帰るんだ」

 それが大したことでも無いように、幹哉くんは言う。


「初めはノドカちゃん、何考えているか分からなくて喋りにくかったんだけど、喋ってみると面白いね。やっぱり、未央ちゃんと親友なだけあるよ」

 そう言うと私を見て幹哉くんは、思い出し笑いをするように笑顔を浮かべた。

 きっと、ノドカとの会話を思い出しているんだ。夕日の中での二人っきりでの下校時間を。


 急に胸がざわめき出す。ノドカと話す幹哉くん。幹哉くんを見つめるノドカ。

 天使のようなノドカと、王子様のような幹哉くん。

 夕日の中で川辺を歩く二人。脳裏に浮かんだ光景はとても絵になった。


「それって、いつくらいから? ノドカが幹哉くんのこと迎えに行くようになったのって」

 胸のざわめきを抑えるように笑顔を装い、私は首を傾げて見せた。


「う〜ん、二週間前くらいかなぁ。サブローを助けてくれたウサギ小屋騒動の後くらいかな? サブローのことを心配して来てくれているんだと思うけど」

 そう言って幹哉くんはウサギ小屋のサブローに目を遣った。サブローはスヤスヤと小屋の中で眠っている。

 その支柱の側には雨よけの透明の箱があり、その中にノドカが設置した小型のコンピュータが設置されている。

 

 ――あ! 『ウサギの監視社会ラビット・ディストピア』だっ!


 そうだ。ノドカは言っていた。『ウサギの監視社会ラビット・ディストピア』には今や『幹哉くん認識器ミキヤクン・レコグナイザー』が搭載され、幹哉くんの飼育委員活動の間の行動データを計測出来るのだと。

 きっとそれで、幹哉くんのウサギ小屋での作業終了時に合わせて、幹哉くんを迎えに行っているのだ。何それ、完璧にストーカー丸出しじゃんっ!


「でも、ノドカちゃんって、本当に可愛いよね〜。ノドカちゃんって彼氏とかいないのかな?」

 驚いて幹哉くんの顔を覗き込んだ。西の空に目を細めた幹哉くんの左頬を、沈む太陽がほんのりと紅く染めている。私の王子様の瞳は何処か遠くを見つめ出していたのだ。


 ――幹哉くん。……それって、どういう意味?


 無意識に左手からスルリと紙コップが地面に落ちる。地面の上に落ちた容器は私の足元で倒れ、まだ半分残っていたアップルティーは渇きたての地面を濡らしていた。

 

 その日、梅雨明け宣言が出て、私達の本格的な夏が始まったのだ!


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