第二〇話 サイバーセキュリティ講習会に参加しますっ!

 梅雨明け早々、抜けるような青空に、煌々と輝く太陽。

 七月に入り今日も最高気温が三十度を越す猛暑日だと天気予報は言っていた。


 『聖メティス学園の黒い金曜日ブラックフライデー』から一週間過ぎた日曜日。

 そんな高校一年生夏の貴重な休日に、私はIT部顧問の里中先生と望んでもいないデートに出かけていた。幹哉くんとじゃなくて、里中先生とね。残念ながら。


 クーラーのよく効いた部屋、五十人ほどが余裕で入れるそのセミナールームには、三十名近くの来場者が入っていた。商工会議所ビル五階。私達は、佳子理事長から貰ったパンフレットの案内に従い、サイバーセキュリティの講習会に来ていた。

 

 ――これからIT部も一緒になってこの学園のサイバーセキュリティを考えて行くんでしょう? 真行寺さんは良いのだろうけれど、顧問の里中先生と、部長の西野さん、それから木之瀬くんは、まだ勉強しないといけないことが沢山あるんじゃないかしら?


 そう言って佳子理事長は私達にこの講習会のパンフレットを渡したのだ。これが、今回の不祥事に対する、学校から私達へのほぼ唯一の教育的指導だった。


 ――丁度、来週の日曜日に商工会議所でサイバーセキュリティに関する一般向けの講習会があるの。行ってみたら? 講師の先生は聖メティス学園の卒業生なのよ。あなた達の先輩よ。


 こんな場所に私達が聴講しに行くのは場違いじゃないかと聞く私に、佳子理事長は上品に笑った。


 ――大丈夫よ。ここに初心者でも歓迎って書いてあるじゃない? 思い切って飛び込んでらっしゃい。


 本当は幹哉くんも一緒に来たかったんだけど、幹哉くんが「どうしても断れない先約があってその日はダメなんだ」と言うので、唇を尖らせながらも私はコクリと頷いた。

 その後に幹哉くんが「夏休みになったらプール開放日は一緒に来ようね」と言ってくれたので、首をコクンコクンと大きく縦に振って、わだかまりなんて吹き飛んだ。


 佳子理事長は「思い切って、飛び込んでらっしゃい!」と仰っていたけれど、周囲を見て、やっぱり、ちょっと、これはだと思うのだ。


 机の上に置かれた講習会のテキストの表紙には本日の講習会のタイトルが記されている。

 タイトルは 『中小企業経営者のためのサイバーセキュリティ入門』。


 ――私、中小企業経営者じゃ無いしッ! 私、女子高生だしッ!


 部屋の中を見渡しても、高校生なんて、私一人だし。そもそも、大人の女性も一人も居ないし、みんなオジサンばっかりで、大学生さえ居ないみたいだし。私の浮き方ハンパないじゃん!


 理事長が言っていたとおり、講師の先生は聖メティス学園の卒業生だった。名前は錦織にしきおり龍之介りゅうのすけ。半袖ワイシャツを着ていて、フレームの細い眼鏡を掛けている二十代半ばの爽やかな男性だった。ネクストジェネシス株式会社という小さなIT企業を創業してCEOを務めている。


 心なしかどこか幹哉くんに似ていた。黒髪だし、目は細長いし、パーツを取ってみると全然違うんだけど。幹哉くんも、あと十年もしたら、こんな風になるんだろうか、ちょっと格好いいなぁ、なんて思った。現実世界で幹哉くん以外の男性を格好いいなんて思うのは久しぶりだ。


 私の隣には、里中先生。先生も、前半戦は、使命感と反省も手伝ってか、真剣に錦織さんの話を聞いていた。しかし、一時間が過ぎた当たりで、集中力も切れてきたのかウトウトとし始めて、今は完全にスリープモードだ。


 ――おいっ、生徒の前で、授業中に寝るんじゃな~い! 高校教師ィ〜っ!


 話の半分も分かったかどうかは分からないけれど、事例を交えて説明する錦織さんの話は、面白かった


 前半は、ネットワークの基本的な知識のおさらいで、私にとってはこれが一番、勉強になったかもしれない。私自身はIT部の部長でもあるわけだけど、実際に、ネットワークのプログラミングや環境構築なんかはやったことが無い。ネットワーク回りの話は自宅や部室のルーターやWi-Fiの設定をするくらいが精一杯だ。学校で、そんな授業は無いわけだし、なんだか凄く勉強になった。


 中盤からは、実際のサイバーセキュリティ関連の話題で、色んな事例と対策の概要が話されていった。途中でDoS攻撃の話が出てきた時には、「おお! コレコレッ!」と、大変身近に感じてしまった。


 ――やっぱり、実体験があると身の入り方が違うよ。


 大規模なDoS攻撃として、DDoSでぃーどす攻撃――Distributed Denial-of-service attack――の話が出てきた時には、ちょっと戦慄した。DDoS攻撃というのは、日本語では『分散型サービス妨害攻撃』とも呼ばれるものだ。

 攻撃者が大量のパソコンをウィルスなどで感染させ、不正に乗っ取って踏み台にした上で、それらのパソコンから一斉に対象のサーバにDoS攻撃をしかけるというものだった。話を聞く限り、ノドカが黒い金曜日ブラックフライデーで実施したのは、このDDoS攻撃の廉価版というか、おとなしい版という感じのようだ。ノドカは踏み台になる大量のパソコンをに従い乗っ取り、それら奴隷から一斉に対象のサーバにDoS攻撃を仕掛けていたのだ。


 講師の先生の話を聞く中で、ノドカがやったことの背景と、それが、世の中を震撼させている本物のDDoS攻撃に比べると、どれほど簡便で、おとなしいものであったかもよく分かった。


 ――まぁ、とは言え、授業妨害しちゃったから、結果的にはダメなんだけどね〜。


 最後に大きな話題として取り上げられたのは『ランサムウェア』だった。ここのところずっと猛威を振るっているらしい。

 「今、ここにある危機として認識すべき問題です」と錦織さんは語調を強める。会場を見渡した錦織さんの眼鏡越しの瞳と目があった。錦織さんは私に向けてニッコリと笑顔を作った。思わず恥ずかしくなって赤面して首をすくめてしまう。


 休日の講習会に参加しないといけないのはポイント低かったけれど、講師の先生がイケメンなのはポイント高いっ! 

 でも、錦織さんの視線が私から横に動いたタイミングで、隣の里中先生が爆睡しているのを思い出した。


 ――あぁぁっ! 先生! 見られてる見られてるっ!


 流石に講習会の途中で爆睡するのは講師の先生に失礼というものである。でも、錦織さんは、先生が寝ているのを確認すると、むしろ微かな笑みを浮かべて再び説明のためスクリーンの方へと向かった。


 ――あれ? 寝ていていいの? 先生は寝ていた方がいいの?


 その一連の微かな動作に、私は少し疑問を覚えたが、ランサムウェアの説明が始まったので私はすぐに頭を切り替えた。


 ――ランサムウェアというのは、ウィルスの一種で、それに感染すると、自分のパソコンのファイルを開けなくなってしまったりします。しかし、攻撃者から指定された方法で身代金を送金すると、ファイルが再び開けるようになるんですね。そういうウィルス――ソフトウェアプログラムです。まさに、パソコンのデータを人質に取った、身代金要求ですね。怖いですね。これは、払ってしまいそうだと、皆さん思ってしまいませんか? 

 

 う〜む。確かに、これは支払ってしまいそうだ。聖メティス学園のセキュリティホールとノドカが呼ぶ所の里中先生なんか、こういうウィルスに感染しちゃったら、震え上がって簡単に身代金払ってしまいそうだなぁ〜。

 ちなみに、英語で身代金のことをRansomランサムと言うので、それにSoftwareソフトウェアのウェアがくっついてランサムウェアと呼ばれるらしい。


 ――はい。と、まぁ、WEBサーバへの攻撃から、流行りのウィルスまで、紹介してきたわけですが、このあたりで今日の講習会は終了したいと思います。皆さんの多くが中小企業の経営者や情報システムや技術の責任者の方だと聞いております。各業態、分野等によって、対応しないといけないリスクは様々だと思います。昨今は、セキュリティを破られたことが引き金になり、中小企業が倒産まで転がり落ちるという事例も現れて来ています。是非、サイバーセキュリティの重みを軽視せず日々の経営に取り組んで貰えたらと思います。


 錦織さんは、そう言って、講習会を締めくくった。場内からは、それなりに大きな拍手が沸き起こったので、私も拍手に加わった。二時間はちょっと長かったけれど、随分と勉強になる講習会だったと思う。講師の錦織さんは「ありがとうございます」と紳士的に頭を下げていた。

 部屋の中を見渡すと、里中先生と同様に、寝落ちしてしまっていたおじさん方がそれなりの数いるようだ。


 ――これだけ、面白い話をしてもらえてるのに、寝ちゃうとか勿体無いなぁ〜。まぁ、IT部の顧問なのに、途中で寝てしまう、里中先生が一番駄目なんだけどね。


「ん? ……終わったのか? ふぁ〜あ」

 左の席で、里中先生が目を覚ました。左手を口に当てて、大きく欠伸をした。う〜ん、生徒の前で、その授業態度はダメですよ。先生。


「先生〜。今日の話はちゃんと聞いておいた方が良かったですよ〜」

「え? 本当? 駄目だ、途中から意識飛んでたわ〜。真行寺がやってた、……なんだっけ? DoSどす攻撃? そのあたりまでは記憶あるんだけどなぁ」

 それって、まだ、前半の部分だし……。サイバーセキュリティの話題については、ほとんど全部聞いてないってことじゃないですか。もうっ。


「ちゃんと勉強しないと、また、ノドカにしてやられても知りませんよ〜」

「え〜、それは、マジで勘弁して。今回、本当に減俸来るんじゃないかって、ビビってたんだから」

 里中先生も立ち上がり、荷物をまとめて支度を整える。


「ホントに一回、減俸されちゃえばイイんですよ。里中先生は。ガードが甘すぎです!」

 私は冗談めかして唇を尖らせた。


「駄目だろ〜。今月、減俸されたら、来月発売の『魔法少女プリティ☆プリラ』のBDボックス買えないじゃないかっ!」


 ――問題はそこかいっ!

 立ち上がった私達は、セミナー室の出口に向かって歩き出した。

 しかし、部屋を出ようとしたところで、私達を呼び止める声に二人は足を止めた。


「里中先生じゃないですか? ご無沙汰しております!」


 その爽やかな声に、私と里中先生は振り返る。

 声を掛けてきたのは、先程まで講師をしていた青年実業家、錦織龍之介その人だった。


  

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