正しい原チャリの盗み方・後編 7/15

 みなかみ神社の裏手にある雑木林にスクーターを乗り捨て、浅羽の手を引いて急ぎ足でその場を離れた。に食われながら田んぼの中の農道をもくもくと歩き、見るからにたたりそうな地蔵尊の森を通り過ぎ、かげ線のガードをくぐり、浅羽がへばるくらいのペースで機械のように歩き続けた。


「──ねえ、もう平気だよ、ここまで来れば大丈夫だよ」


 大丈夫かどうかは知らないけど少し休ませてよ、というのが本音だった。


 が、浅羽のそのひと声で、伊里野のスイッチは唐突に切れた。


 伊里野の歩みは途端に遅くなり、ついには道ばたに立ち止まってうつむいてしまった。本当にいきなりだったので、浅羽は伊里野が腹痛でも起こしたのかと思い、


「だ、大丈夫? 具合でも悪いの?」


 答えない。浅羽がのぞき込むとそっぽを向いて、真っ赤になった顔を隠そうとする。


「──あの、あのね、」


 の鳴くような声だった。


「ワイヤーをひとつ見つけたら、ぜんぶ調べないとだめなの。ひとつだけじゃないから。ほかにもぜったいあるから」


 どうやら、トイレに引っぱり込んで裸にひんいたことを弁解しているらしかった。


 聞けば、『ワイヤー』というのはとうちようのことらしい。そのワイヤーが浅羽にはいくつも仕掛けられていた、だから自分はああいうことをした、仕掛けたのがだれなのかはわからないけれど、たぶん北の工作員だと思う──伊里野はそういう意味のことを、やっと聞き取れるくらいの声で、実に下手くそな話し方で説明した。


「──あのさ、」


 しかし、あさには浅羽の見解があった。昨日の夜、定食屋『しみず』で行われた秘密の作戦会議。部長のおごりだった。あのとき自分はトイレに行くために何度か席を立った。


 おまけに、自分たちを追いかけてきたあのスーパーカブ。聞きおぼえのある排気音。


 ため息。


 予想すべきことだったと思う。


 それにしても、盗聴器を見ていきなり北のスパイを疑うもすごいと思う。


「もういいよそれは。もういいからさ、」


 行こうよ──そう促しても、伊里野はなかなか歩き出そうとしなかった。浅羽はちらりといらちを覚え、腕時計を見て、こういう言い方をした。


「いま六時だけど、時間大丈夫?」


 伊里野がようやく、帰らなきゃ、とつぶやいた。


 二人で歩いた。田んぼや畑ばかりだった周囲の光景の中に家がぽつぽつと現れ、夕暮れの農道はやがて、真新しい建売住宅が立ち並ぶ一帯をばんの目に区切る道のひとつになった。どの家もいやらしいくらいに同じに見える。行けども行けども貧相な街路樹は途切れることなく続き、どの電柱にも決まって同じレンタルビデオ屋の捨て看板がくくりつけられている。


 くたくたに疲れていた。


 半歩先を歩く浅羽は、ひと言も口をきかなかった。


 半歩後ろを歩く伊里野が、さかんに浅羽の様子を気にしていることにも気づかなかった。


 やがて、行く手に大きな公園とバス停が現れた。


 バス停の標識には「ひさがわ四丁目」とあり、くずかご代わりの一斗缶と乳製品メーカーの広告が入ったプラスチック製のベンチが置かれている。浅羽はひたいの汗をぬぐい、標識に針金でくくりつけられている時刻表を確認した。


 そのはら基地経由のたる車庫ゆき、六時五十七分。


 あと三十分ほどで、このデートも終わりだ。


 ほっとしている自分が心のどこかにいた。


 公園を見渡す。入り口に看板が出ている。『リバーサイドこども広場』というゴシック体の下にカッコつきで『園原市久川地区第七避難所』と書かれている。フェンスで囲まれたしきは異様なくらいに広く、原色のペンキで塗装された様々な遊具があり、野球もできればヘリも着陸できるグランドがあり、屋根のついた水飲み場があり、豪勢な造りの公衆便所があり、うっかりすると見落としてしまいそうなシェルターへの入り口がある。


 子供の姿は、まったくない。


 珍しいことではなかった。「カッコつきの公園」はどこでも大抵そうなのだ。防空戦略上の都合が最優先で、その地域に子供が多いか少ないかなどということははなからこうりよされずに作られるからである。この種の公園が園原市には無数にあって、「ガキの数よりもブランコの数の方が多い」とは、そのはら市の住人がオラが町をするときのじようとうのひとつだった。


「中で待ってようか」


 バスを待っている間、ふたりでブランコに乗る。


 我ながらいいアイデアだ。疲れた頭であさはそう考えた。


 部長のせいで今日のデートは目茶苦茶になってしまった。無論、自分が部長を一方的に責めることなどできない。そもそも部長が言い出さなければこのデートはなかったわけだし、その裏に不純な動機が隠れていることも自分はすべて承知の上で話に乗ったのだから。


 それでも、せめて最後くらいはきれいにめようと思う。


 そう思って、ブランコを指差して、横目での反応をうかがった。


 伊里野の表情が凍りついている。


「どうしたの?」


 何かいるのかと思って公園を振り返った。何もいない。


「──ねえ、中にも座るところあるしさ、ここで待ってるより」


 そこで浅羽は言葉をなくした。


 伊里野がまた鼻血を出している。


 伊里野は少し左に首をかしげ、目を見開いて公園を見つめていた。筋肉が硬直しているのがはたにもわかる、細い首筋が不自然な力みにふるえている。あごを伝った鼻血が学校指定のくつしたたり落ちる。


 何かつぶやいた。英語のようだったが、浅羽には聞き取れなかった。

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