正しい原チャリの盗み方・後編 6/15

 頭が混乱し始めている。


 ゆうべからそのはら駅周辺で飛び交っていたらしいなぞの暗号通信。


 映画館に現れた挙動不審の二人組。


 伊里野加奈の入部届に押されていた『しい』の印を、自分は確かにこの目で見ている。うちの学校の職員で椎名といえばひとりしかいない。くろのオバアと交代でやってきたようきようの椎名。朝礼でしろのハゲにそう紹介されて、ひとことあいさつをとマイクを渡されたらいきなり英語の歌を熱唱して全校のぎもを抜いた。あれもやはり夏休みの少し前。水前寺の言う、怪しいバスの路線が新設された時期と同じころ。


「──ゆうれいに見えてんのよ、枯れススキが」


 ばかばかしい、と夕子は思った。


 そういう目で見れば何だってそう見える。軽トラで住宅街を流すタケヤサオダケは北のスパイかもしれないし、改札口にいる駅員は電車のばくたくらむテロリストかもしれない。


「かもしれん」


 が、水前寺はあっさりとそう認めた。


「それはいいんだ別に。面白ければ、枯れススキだろうがドライフラワーだろうが」


 むくりと上体を起こし、川の真ん中に突き刺さっているスーパーカブのタイヤめがけて小石を投げる。


「ただ、そんじょそこらの枯れススキとは少しわけが違うのかもしれない、とは思ってる。あさ特派員をけしかけて普段と違う状況に誘い込めば、何か起こるんじゃないかっていう期待はあった。その結果はまあ『多少のしゆうかくはアリ』ってところだが、ちょっと慎重にやりすぎたな。もっとしつこく追い回した方がもっと色々なしつを出してくれたかもしれん」


 うそつけ、とゆうは思う。それまでの尾行はともかく、最後の追いかけっこは絶対、毛虫のたかった枝で女の子を追いかけ回すのと同質の行動だったと思う。


「──それと浅羽特派員だが」


 幾つ目かの小石がようやくタイヤに当たった。


「あいつはあいつで、どうも何か知っているようなフシがある。最近どうも様子がおかしい。何か隠しているというか腹に一物あるというか」


 そこですいぜんはひひひひひひひひひと笑った。


「──まあ、例のシェルターの一件からまだ間もないしな。なにせ上着をはだけた特派員の上にまたがっていたというしな。伊里野特派員の名前が出ただけでビクつくのもアイツらしいと言えばまあそうだな」


 夕子は思い出す。


 防空訓練の翌日。夢中で消した黒板の文字。机の上の下手くそな落書き。


「どわあっ!?」


 夕子に背中をり飛ばされて、水前寺はコンクリートの斜面を転がって顔から川に落ちた。


「い、いきなり何をするか貴様あっ!!」


 泥まみれになった水前寺を真っ向にらみつける。頭が煮えている。口ゲンカは苦手だ。悔しいという気持ちだけが空回りして、気のいたたんなど何も思いつかなくなってしまう。後になってからああ言ってやればよかったこう言ってやればよかったとほぞむのだ。


 叫んだ。


「ばかあ───────────────────────────────────っ!!」


 まるで言い足りない。


「帰るっ!」


 しかし、このままつの突き合わせていれば最後には必ず言い負かされる。それがこわくて、言うだけ言い捨てて逃げようと思った。回れ右、断固とした態度で最初の一歩をみ出したそのとき、背後から伸びてきた大きな手にえりくびをぐいとつかまれた。


 水前寺は、相手が宇宙人だろうが女の子だろうが容赦はしない。


 つかんだ襟首を力任せに引き寄せ、泳いだ足元にかかとをぶち込み、足場の傾斜で身長差をそうさつして、水前寺は夕子を地蔵背負いでぶん投げた。一回分の悲鳴を上げる間もなく、ドブっぽい水音とともにゆうは頭から川にたたき込まれた。すいぜんは会心のごたえに思わずガッツポーズを決め、がっはっはっはーと晴れがましく笑う。


「おやおや大丈夫かねあさ夕子くん! 川っぺりでは足元と口元には気をつた方がぶっ!?」


 しぶきを上げてすっ飛んできた夕子のくつが水前寺の顔面をとらえた。水前寺は盛大な水柱を上げてひっくり返り、盛大に泥水を吐き出しながらすぐさま起き上がり、


「婦女子と思って手加減しておればつけあがりおって!! もう勘弁ならん!!」


 気のいたたんなど、何も思いつかなかった。


 もう何も考えられない。もうひとかけらの勇気さえもらない。逆光の中の巨体を、20センチ以上の身長差をこわいとすら思わなかった。腰まである泥水を跳ね飛ばし、気合とも泣き声ともつかない叫び声を上げて夕子は水前寺に突っかかっていく。水前寺が真っ向受けて立つ、ちようやくする、ちようの如きれつぱくの気合、


「食らえちようりっ!! ほあちょ────────────────────────っ!!」


 夏の飛び蹴り男が、夕暮れの空を舞う。

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