正しい原チャリの盗み方・後編 4/15

 二人乗りのスクーターが路地へと飛び出していく。消火剤の雲が引き、全身真っ白になったすいぜんは非常階段の四階に立ち尽くして叫ぶ。


「見事であるっ!! 素晴らしいぞ伊里野特派員っ!! ジャーナリストたる者そうでなくてはいかんっ!! 改めて歓迎しよう、そのはら電波新聞へようこそっ!!」


 そのわきに抱えられているゆうがけほんけほんとき込んで、


「ばかぁ───────────────────────────────っ!!」


 と水前寺をとうした。


「帰るうっ! はなしてだれか助けてっ、人さらい────────────っ!!」


 その罵倒はすぐに悲鳴に変わった。水前寺は夕子が目を開けていられないくらいの勢いで非常階段を駆け降り、ちゆうりんじようから路地を回り込んで表通りへと走り出る。走りながら横目で確認する、スクーターはすでに通りの50メートルほど先にいて、一方通行を逆走しながら全速力で逃げていく。すいぜんはポケットから取り出したスキーマスクをかぶって顔を隠し、はなせ降ろせと暴れるゆうを抱えて三歩で通りを横断する。夕子がいみじくも言った通り、水前寺のその姿はだれがどう見ても人さらいそのものだった。




 恥ずかしいの照れくさいのと言っている場合ではなかった。の腰に力いっぱいしがみついていないと振り落とされそうになる。伊里野が右へ左へと進路を変えるたびに、ただでさえ安定のよくない車体は恐ろしいほどに傾き、滑りやすいシートからしりがずり落ちる。伊里野の背中のナイフがほっぺたにごりごりして痛い。おまけに、風にあおられた伊里野の髪に顔面を洗われて周囲の様子がろくに見えなかった。スニーカーのすぐ下をアスファルトが目茶苦茶な勢いで流れていく、路面の白線が弾き飛ばされるように右へ左へと踊る。時速200キロくらいで走っているのではないかと思う。


 突然、背後でクラクションのブーイングが巻き起こった。


 追手はすぐそこまで来ていた。30メートルほど後方、ごみ箱をき殺しながら路地から横っ飛びに飛び出してきたバイクが車体を傾けて遠心力を強引にねじ伏せる。かなり年季の入った感じのスーパーカブで、乗っているのはマスクで顔を隠した男。後ろに二人乗りで誰かを乗せているようにも見えたが、伊里野の髪がじやでそれ以上ははっきりしなかった。


 ──あの排気音おと


 あさは背後を振り返ろうとした。うっかりすると口にまで入ってくる伊里野の髪を払いのけて、耳におぼえのあるエンジン音の正体を確かめようとした。が、その途端に伊里野が身体からだごと投げ出すように車体を左に倒し、スクーターは宙を飛ぶ勢いで歩道に乗り上げて狭い路地へと突入した。反対側の通りへ抜けて右折、再びスロットルを一気に開ける。クラクションの大合唱、腰を抜かして歩道にへたり込んだ老人がせいとともにつえを投げる。


 速い。


 振り切れない。腕の違いか馬の違いか、スーパーカブは伊里野がひとつ角を曲がるたびに確実に距離を詰めてくる。




 水前寺が叫ぶ。


「あま────────────いっ! おらおらあどうしたどうしたぁ伊里野特派員っ! そんなことで一人前のジャーナリストになれるかあ────────────っ!!」


 夕子が叫ぶ。


「もういやあ────────────っ!! 止めて降ろして───────────っ!!」


 スクーターを追う。夏の熱気が粘土のような重さで身体からだにぶつかってくる。街の中心からまだそれほど遠く離れたわけでもないのに、周囲には背の高い建物はひとつもなくなり、商店の装いは一挙に泥臭くなり、どうかすると住宅のすきに畑や田んぼが姿を見せる。それらすべてが吹っ飛ぶように背後へと流れ去っていく。すいぜんは笑い、ゆうは止まれ降ろせと叫び、スーパーカブはじりじりとを追いつめる。伊里野がこのあたりの道にあまり詳しくないのは明らかだったが、その気になれば先回りできるチャンスがあっても水前寺はあえてそれをせず、背後れいのようにぴったりとケツに食らいついて伊里野を追い立てる。


 スクーターが再び路地へと逃げ込み、ちゆうされている車の列をって県道へと抜けた。


 伊里野は西から南へと進路を変えた。その意図を読み切って水前寺はにたりと笑う。この先には商店街、さらにその先には住宅街が続いている。派手なエンジン音を立てて住宅街を走り回り、住民に通報させてそのドサクサに逃げ切る腹だ。そうはさせない──踏み切りを突っ切り赤信号を突っ切り、止まれ降ろせと叫ぶ夕子を無視して水前寺はひたすらに追いすがる。ひとつ角を曲がるたびに道が細くなる。伊里野が路肩に止まっていたトラックをぎりぎりでけようとして軽く接触し、スクーターの右のミラーが吹っ飛んで転がってくる。道がゆるい下り坂になり、行く手に町中を流れる川と橋と変則的な十字路と、


 ノラ犬。


 コケた。


 そのしゆんかん、水前寺にはそう見えた。


 その瞬間、そう見えるくらいの勢いで、伊里野は車体を投げ出すように傾けた。無謀極まりない速度にタイヤのグリップが負けて後輪が流れ、それでも伊里野は十字路をぎりぎりで右折するコースにスクーターをねじ込もうとした。


 水前寺が見ていたのは、そこまでだ。


 あるいは夕子との二人乗りでなかったら、水前寺にも伊里野と同じことができたかもしれない。が、伊里野の極端な行動に気を取られて反応が遅れた。あわてて逃げようとしたノラ犬に進路をふさがれたことも災いした。結果としてスーパーカブはほとんど何もできないままに直進し、ガードレールに接触し、『魚釣り禁止』の立て看板を飛び越えて宙を舞い、夕子も宙を舞い水前寺も宙を舞った。


 夕子は叫んだ。


「きゃあああああああああ────────────────────────────っ!!」


 水前寺は叫んだ。


「しあわせでした────────────────────────────────っ!!」


 夕暮れの近い夏の空は、美しかった。




 スクーターが減速し、ようやく背後を振り返ったあさは、流れのゆるい水面みなもに立ち上がる壮絶な水柱を確かに見た。


「お、落ちた落ちた! 川に落ちたねえ伊里野ってば!」


 何を言うべきかもどうするべきかもわからなくて、あさはとにかく「落ちた」をひたすらり返した。スクーターを徐行させていたは片方だけ残った左のミラーをちらりと見て、再びスロットルを開けた。いきなりの加速に浅羽の「落ちた」が「うわあ」に変わる。


 川ぞいの道を、二人乗りのスクーターが走り去る。

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