正しい原チャリの盗み方・後編 3/15

 トイレに立ったあさが戻ってみると、がテーブルに顔をうずめて何か書いていた。浅羽が「何してるの?」と尋ねるよりも早く、伊里野は口に人差し指を当ててナプキンを差し出した。


 ボールペンで、こう書かれていた。


『ワイヤーがついてる。だまっていっしょにトイレにきて』


「──どうしたの? ワイヤーってなに?」


 伊里野がいきなり手を伸ばし、だまれとばかりに浅羽の口をふさぐ。おどろいた浅羽は反射的にその手を振り払ってしまったが、伊里野は浅羽の手をむんずとつかんで先に立って歩き出す。


「トイレならそこだよ。うわ、ちょっと待ってよ、どうしたんだよ?」


 伊里野がものすごい勢いで振り返り、また口に人差し指を当てて見せる。どうやらしやべってはまずいらしい──それは理解できたが、なぜ喋ってはいけないのか、なぜ自分がトイレに付き添わねばならないのか、まるでわからない。


 スイッチが切り替わったかのように、それからの伊里野の行動は機械のように素早かった。


 まるで、シェルターに引っぱり込まれたあのときのようだった。


 伊里野は問答無用で浅羽を女子トイレに引きずり込んだ。トイレは狭くてうす汚くて、個室が三つに手洗いが二つあって、幸いにしてだれもいなかった。伊里野は嫌がる浅羽を一番近くの個室に連れ込むと、手に持っていた小さな何かを便器の中に投げ込んだ。伊里野がすぐに水を流してしまったが、白くて丸い、洋服のボタンのような形の何かだった。


「いま捨てたのなに?」


「タンクに両手をついて」


 言う通りにしないとただではおかない──そんな伊里野の目つきに気おされて、浅羽は言われるがままにタンクに両手をついて両足を広げた。背後から伊里野が両手で容赦なく身体からだじゅうを探る。外国の映画でお巡りさんがよくやる身体検査みたいだと浅羽は思う。伊里野は浅羽のズボンのポケットからサイフを抜き取って中身を調べ始め、すぐにカードスリットの中からさっきと同じような洋服のボタンを見つけ出した。便器に投げ捨てる。


「こっちむいて」


 そうした。


 いきなりTシャツを胸の上まで一気にめくり上げられた。


「うわあっ!」


 思わず声が出た。が、伊里野の表情はあくまでも真剣そのもので、裸にひんいた浅羽の上半身を裏も表もなめるように調べ、


「ズボン脱いで」


 う、うそだろ!?


「早く」


 そ、そりゃあぼくだってあのときの胸見たけどさ、あ、あれはそうしろって言われてしかたなくやったことだし伊里野だって気を失ってたし! ちょ、ちょっと待って!! パンツは、パンツはやめて!! いや─────────────────────っ!!




「ここかぁ───────────────────────────────────っ!!」


 ゆうわきに抱え、すいぜんは三階のトイレに乱入した。


 三階のトイレは男女共用で、ドアを開ければ即個室の一人用で、便器と手洗いがあるだけの逃げも隠れもできない狭苦しい空間で、中にはだれの姿もなかった。そりゃあドアにかぎはかかっていなかったが使用者が鍵をかけ忘れることだってあり得るわけで、幸いにして中に誰もいなかったところを見ると、どうやら神様もたまには仕事をするらしい。


 ぬう、と水前寺はうなる。


「ちょっとはなしなさいよ降ろしてよなに考えてんのよばかあっ! とうちようがバレちゃったんならもうおしまいでしょこれ以上追いかけたってしょうがないでしょ!?」


 いーやそうはいかん、と水前寺はつぶやく。


「──伊里野特派員。お手並み拝見だ」


 はなせ降ろせとわめく夕子を小脇に抱えたまま、水前寺は回れ右をして走り出す。




 見られた。


 おまけに、鼻と鼻がくっつきそうな至近距離からわけのわからない質問をされた。最近だれか知らない人に声をかけられたりしなかった? アメリカの本当の首都はどこ? 家に無言電話がかかってきたことはある? ウォーレン委員会のメンバーのうちで人間じゃないのは誰と誰? ジュースの自動販売機の中に人がいるって思ったことはない? MJ-12文書が偽物である根拠を三つげて。


 四階の女子トイレを出た。あさは世にも情けない面でズボンのベルトを直し、伊里野にずんずん手を引かれて同じようなドアの並ぶ狭い廊下を走った。


 突き当たりの裏口から非常階段に出た。


 伊里野は裏口のドアに「仕掛け」を残し、浅羽の手を引いて赤さびだらけの階段を一気に駆け下りた。ビルの裏手は細長いちゆうりんじようになっていて、三方を建物の背中に囲まれ、残る一方が表通りへと通じる路地に面していた。


 駐輪場に落ちるビルの影の中で伊里野は足を止め、一秒だけ考えた。


「見張ってて。百秒でできる。帰ってちゃんと練習したから」


 ──百秒? 練習?


 あさがなすすべもなく見守る中、はつぎはぎだらけのアスファルトにひざをつき、今日一日肌身離さず持ち歩いていた黒いバッグのファスナーを引き開けた。中にはラップトップ型のコンピュータと接続ケーブルと工具類と、浅羽には用途のよくわからない様々な機械が整然と詰め込まれていた。


 そして、伊里野の目の前には、一台のスクーターがあった。


 伊里野がナイフを抜いた。背中から。制服の下に手を突っ込んで。グリップにパラシュートコードがぎっちりと巻かれた、銃刀法違反まちがいなしの見るも恐ろしいナイフだ。素早く逆手に握り直し、スクーターの鼻っ面にブレードをどかりと突き立て、FRPのカウルをボール紙か何かのように切り開いていく。むき出しになったイモビライザーにコンピュータのケーブルを接続してコードブレイカーを起動、ミリタリーチップの演算速度に物を言わせて総当たり攻撃ブルートフオースで暗号かぎをぶち破る。マイナスドライバーを鍵穴に突っ込み、無理矢理シリンダーごと回転させてメインスイッチをONする。すべての道具をてつしゆうし、シートにまたがって車体を両足ではさみ、力任せにハンドルを回してロックをかいする。ブレーキを握り、イグニションボタンを押した。


 エンジンは一発でかかった。


 百秒はかからなかった。


「乗って!」


 そのとき、ふたりの頭上でさわぎが巻き起こった。浅羽がぼうぜんと仰ぎ見れば、四階の裏口に残してきた「仕掛け」が作動していた。消火器がホースをヘビのようにのたくらせ、白煙をき散らして暴れ回っている。


「早く乗って!!」

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