正しい原チャリの盗み方・後編 2/15

 そのとき、ふたりで半分こしていたヘッドホンの中で、それまでずっとちんもくしているばかりだった伊里野がついに口をきいた。




 ──なんでそんなこと聞くの?


 ──いや、その、だからつまりさ、あのえのもとって人、自分では「伊里野の兄貴みたいなもんだ」って言ってたけどさ、ほんとに伊里野のお兄さん? かわぐちが言ってた「自衛軍に勤めている兄」ってあの人のこと? ほんとにずっと一緒に暮らしてたの?


 沈黙。


 ──だってさ、ほら、あの人、いつも伊里野のこと「伊里野」って呼ぶだろ? 兄妹なのに妹のこと名字で呼ぶのおかしいなと思って、前から気になってたんだけど、つまりその、


 沈黙。


 ──あ、あの、へんなこと聞いてごめん、話したくないならいいんだ別に。




 榎本?


 水前寺はヘッドホンに中指をあてて耳をそばだてた。


 伊里野には航空自衛軍士官の兄がいる、という話は水前寺も知っていた。が、「榎本」という名前は初めて聞いた。いくつかの疑問が浮かぶ。


 ひとつ。ごく当たり前の兄・妹の関係なのだとすれば、「榎本」が伊里野のことを名字で呼ぶのは確かに妙だ。「兄貴みたいなもんだ」とはどういう意味なのか。


 ひとつ。そもそもあさなおゆきは、伊里野加奈の兄の名前や、その兄が伊里野加奈を普段から名字で呼ぶなどということをなぜ知っているのか。浅羽直之はその「えのもと」とやらに会ったことがある、ということか。だとすれば、いつ、どこで、どんな状況で会ったのか。


「──浅羽くん、『榎本』という名前に聞きおぼえは──な、なんだねその顔は」


 ゆうは目を見開き、あんぐりと口を開けていた。声が裏返る、


「──転校生なの?」


だれが?」


「──だから、あのって人」


 すいぜんは「何をいまさら」という目つきをする。


 夕子の頭の中で、すべてがようやく一本の線で結ばれた。


 転校生がそう何人もいるとは思えない。


「じゃあ、じゃあもしかして、お兄ちゃんがシェルターに連れ込んだのって、」


 水前寺はあきれた。


「はあ? なんだ知らんのか? いま君の兄上と一緒にいる彼女こそは過日のシェルター事件のもうひとりの当事者、伊里野加奈その人だ」


 知らなかった。


 普段から兄とは口をきかなくとも、毎日学校に通っていればいやでも耳にした。防空訓練中に「水前寺の腰巾着」がしでかしたという婦女暴行未遂事件のうわさ。夕子のクラスもその話で持ちきりだった。防空訓練のドサクサに転校生の女の子をシェルターに連れ込んで──


 まさか、


 あのへんな女が、その「転校生の女の子」だったとは。


 水前寺が大笑いした。


「浅羽特派員から聞いていなかったのか? 君ら兄妹は普段話もせんのか? どうも話がおかしいと思っていたが、君はそんなことも知らずにあの二人をつけ回していたのかね」


 ようやく笑い止むかと思えば水前寺は再び肩をふるわせ、


「──まあそうか、事が事だしな。浅羽特派員も妹にいちいちそんなことは言わんかもな。しかし、さすがの君も噂くらいは耳にしているだろう? 実に傑作だ、あの浅羽特派員が何と女子生徒をシェルターに連れ込んであ痛」


 込み上げる笑いにうつむいていた水前寺の頭を、夕子はぐーでぼかりと殴った。


「な、何をするかっ」


 夕子は耳からヘッドホンを引っこ抜いて席をった。


「ら、乱暴はやめたまえっ、こら、」


 そして夕子は水前寺の頭といわず背中といわず肩といわず、ぼかぼかぼかぼかぼかとげんこつの雨を降らせた。


「帰る!」


 すいぜんはあわてて立ち上がり、


「ちょ、ちょっと待ちたまえよあさくん」


「はなしてよ!」


 ゆうが大声を出したそのとき、ヘッドホンから、




 ──どうしたの? ワイヤーってなに?




 危うく聞き漏らすところだった。


 席から身を乗り出して夕子の手をつかんだまま、水前寺はぴたりと動きを止めた。ヘッドホンを耳に押しつけて一心に耳をます。


「はなしてって言ってるでしょばかあっ!!」


 夕子が水前寺の手を振り解こうとする。が、水前寺はまばたきも身動きもしない。せんすいかんの聴音手のような真剣さで、ヘッドホンから聞こえてくる音にひたすら意識を集中する。そして、




 ──トイレならそこだよ。うわ、ちょっと待ってよ、どうしたんだよ?


 の足が勢いよく床をこする音、


 氷の入った紙コップが床に落ちる音、




「バレた」


 水前寺がつぶやく。


 夕子がげんな顔をする。水前寺はやおら立ち上がってバッグをひっつかみ、夕子を引きずって走り出す。夕子はわけがわからず、


「なによ、どうしたの!?」


 答えない、お構いなしに水前寺は走る。三階へと続く狭苦しい階段の途中で突然、ヘッドホンの中に「ざりっ」というノイズが走る。感度を失ったレシーバーのスケルチ回路がノイズを切り落とし、ヘッドホンは白紙のようなちんもくに閉ざされた。もはや無駄だとは思いつつも、水前寺は足を止めてレシーバーのチャンネルを変更する。が、やはり無駄だった。バックアップの盗聴器が次々とつぶされていき、しまいには靴底に仕込んだポジショントレーサーまでが応答しなくなった。


「──しかしあれだ、」


 水前寺の顔に壮絶な笑みが浮かぶ。


「おれの周りにはどうにも、女性陣の方に優秀な人材が多いらしいな」


 ようやく事態を察した夕子が、


「バレたって、盗聴器のこと? 気づかれたの?」


「残念ながら」


 と言いつつも、すいぜんのその面は、少しも残念そうには見えない。

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