正しい原チャリの盗み方・前編 7/12

 兄がものすごいペースで自転車をぶっ飛ばすので、ついていくのは大変だった。


 が、そのことを別にすれば、それほど難しい尾行ではなかった。兄はわき目も振らずに自転車のペダルを踏んでいたし、たとえ真後ろにぴったりとつけていたとしても兄は気づかなかっただろうと思う。それに、もし見失ってしまっても、十時半までにていこくに先回りして待ち伏せすればいいのだ。しかし、そこに兄が絶対確実に現れるという保証はなかったし、できれば最初から最後まですべてを見届けたかった。


 そしてあさゆうは今、到底受け入れがたい現実を目の当たりにして立ちすくんでいる。


 そのはら駅前のバスターミナルで、兄は、女と会っていた。


 相手は、園原中学校の制服を着ていた。


 髪が長い。


 その程度の特徴しか目に入らなかったのは、ひとつには距離が遠いからである。夕子が身を隠しているのは地下道の出口の陰で、そこからふたりのいる場所までは直線でプールの縦くらいの距離がある。


 そしてもうひとつには、たった今、ふたりの間でとんでもないことが進行中で、ほかの細かいことなど目に入らなくなってしまっているからだ。女は、どうやら、こともあろうに、兄の姿を見た途端に泣き出して、駆け寄った兄はハンカチを差し出してなぐさめているらしいのである。ふたりがいるのはバス乗り場であり、ハンカチを口もとに当ててうつむく女とその周りでおろおろしている兄の姿はかなり人目を引いている。もっと近づかなければはっきりとはわからないが、周囲の人が怪しむくらいの泣き方をしているのだろう。


 めまいがした。


 あの兄には絶対に起こり得ないはずのことが、いま目の前で起こっている。


 夕子は地下道の出口から歩道に出て、ロータリー沿いの歩道をゆっくりと回り込むようにして八番乗り場に接近した。近くで顔をはっきりと見られない限りバレないだろうと思ってはいたが、念のためにショーウィンドウをのぞいているふりをしながら横目を使った。さっきまであわてていた兄の態度が幾分落ち着きを取り戻している。女が泣き止んだのか。


 そして、あの女が、くだんの『』なのだろうか。


 今はまだ何とも判断がつかない。あの女のことは、とりあえず「泣き虫女」と呼ぼう、夕子はそう決めた。


 危険を冒して振り返り、泣き虫女を数秒間じっと見つめた。


 制服からすればそのはら中学校の生徒なのだろうが、まったく知らない顔だった。


 おまけに美人だった。


 少なくとも、自分と同じ一年生の中にあの顔はおぼえがない。三年生にも見えない。ということは、兄と同じ二年生か。


 そう、制服。


 日曜日だというのに、泣き虫女はなぜ制服を着ているのだろう。


 デートに制服を着てくるやつはいないと思う。


 自分の早合点なのかもしれない。これは、そんな色っぽい話ではないのかもしれない。そういうシナリオだってあり得ると思う、あの泣き虫女は新聞部の新入部員、つまりすいぜんの新しい手下で、身なりをきちんとしなければならない所へ取材に行く、とか。制服を着ていない兄はただの付き添いか道案内で、タウン情報誌の赤丸はなにも今日行く予定であるとは限らないし、水前寺が電話をかけてきたことも説明できる。


 ただ、それとデートが両立しないわけではない。


 おまけに、泣き虫女が泣いていた理由をまったく説明できない。


 ふたりが移動を始めた。とにかく後を追うしかないとゆうは思う。


 人通りがそれなりにあったので、かなり接近して尾行できた。泣き虫女は黒くて四角くてジッパーのたくさんついた、たぶんナイロン製のバッグを持っている。見たところずいぶん重そうで、せっかく肩掛けがついているのに左手に下げて歩いている。泥棒かスパイの七つ道具でも入っていそうなバッグだ、と夕子は思った。女の子がデートをするときの持ち物としてはまるで似つかわしくない。


 歩きながら、泣き虫女はあちこちをきょろきょろと見回している。さっきまで泣いていたのがうそのような、周囲の何もかもが珍しくて仕方がないといった様子だ。ひんぱんに立ち止まる。ショーウィンドウの中をのぞくのはまだわかるとして、すれ違う子供とか電柱の張り紙とかちょっと変わった姿形の看板とか、それこそ何にでもきようを示す。そのくせ、あまりおしやべりな方ではないらしくて、兄が間を持たせようとけんめいにあれこれ喋っているのが後ろから見ているだけでもよくわかった。名前変更、「きょろきょろ女」。


 方角からして、ふたりはやはりていこくに向かっているらしいと夕子は判断した。


 あとひとつ角を曲がれば映画館の看板が見える、というところまで来たときだった。大事な用事を思い出したかのようにきょろきょろ女がいきなり立ち止まり、背後を振り返った。ゆうは完全に虚をかれた。


 きょろきょろ女と、いつしゆんだけ目が合った。


 夕子はとっさに、すぐそばにあったパチンコ屋に飛び込んだ。


 ──バレた!?


 兄に顔を見られたわけではない、大丈夫だ、自分にそう言い聞かせた。が、逃げ込んだ場所がまずい。パチンコ屋の表はすべてガラス張りで、店の奥に隠れない限りは通りから丸見えである。きょろきょろ女は兄を連れて自分の正体を確かめに戻ってくるかもしれない。が、店の奥に行くのは恐かった。店内は今風のれいな感じだったが、音はうるさかったし、台に座っている大人はみな銀行強盗か人さらいのように見えた。父はパチンコはしない。パチンコ屋にいる大人は不良だと夕子は思う。


「おい」


 飛び上がった。


「何してんだお前」


 店員だった。黒服がまったく板についていない。大学生くらいに見えた。


「隠れてるの」


 きょろきょろ女に見られた、というショックから抜けきれず、とっさにうそが口から出てくるほど頭が回らなかった。


「外に出て右手の方に、ふたりがまだいるか見てくれない?」


 店員はまゆをひそめて「あぁ?」と言った。その口調が恐くて、夕子は思わず頭を下げて「お願いします」と言った。店員は面食らったような顔をして、


「──ふたりって?」


「中学生。男と女。男はジーパンとTシャツで、女の方は学校の制服を着てる」


 店員はしばらく夕子を見つめ、店の奥に視線を走らせてボスがいないことを確かめ、自動ドアのマットに足を乗せた。半分だけ顔を出して通りの右手をのぞく。


「──まだいる?」


 夕子は店員の方に身を乗り出すようにして尋ねる。


 店員がつぶやく。


「女の方が電話してる」


 通りの右手に視線を据えたまま、店員が夕子を手招いた。夕子は恐る恐る近づく。背の高い店員の身体からだの下から外をのぞこうとすると、いきなり店員が顔を引っ込めて、大きな手で夕子の頭を押さえた。


「待て。男がこっち見てる」


 十秒ほどしてから、店員は再び外をのぞいた。夕子もそれにならう。


「あれだろ?」


 店員のあごのすぐ下で、ゆうがこっくりとうなずいた。きょろきょろ女がパチンコ屋から10メートルほど先にある電話ボックスの中でこちらに背を向けており、兄は外で手持ちそうにしている。名前変更、「電話女」。


だれだあいつら。いじめっ子か?」


 正直に説明しようとすれば、とんでもなく長い話になる。


「ちがう。ちがうんだけど、見つかったらだめ。わけあり」


 ふうん、と店員はつぶやき、


「──けどおかしいな」


「何が?」


「あそこの電話よく故障するんだ。おれさっきも、友達に電話しようとしてテレカ飲まれた。ったく腹立つな、もう直ったのかな」


 ふうん、と今度は夕子がつぶやき、


「あ、でも、うちの学校にある電話もそう。正面の入り口に三台あるうちの、右端のはよく故障する。同じクラスのギーはわざとだって言ってる。電話会社のいんぼうだって」


 そのとき、電話女が受話器を置いてボックスから出た。兄と並んで足早に歩き出す。


 尾行を続行しても問題はなさそうだった。


「行かなきゃ」


 店員はただ「おう」とだけ言った。


「ありがとう」


 夕子はパチンコ屋を走り出て、走りながら踊るように振り返って礼を言った。パチンコ屋には不良じゃない大人もいる。


 人の流れをって急いで角を曲がり、それまでより幾分広い通りに出た。ふたりの姿が見えない。しかし映画館の看板はもうすぐそこにあって、ここまでくれば、ふたりの行き先がていこくであるのは間違いないだろう。時間を確認しようとして、時計を忘れてきたことに気づいて毒づいた。それでも、たぶんもうすぐ十時半になるのだと思う。ふたりの姿が見えなくなったのは、映画の時間に間に合うように急いでいるからだ。夕子も急いだ。走りながら看板を見上げる。『無軌道娘、西へ』。看板を見た限りでは、青春物とかくとうアクション物をちゃんぽんにしたような印象を受ける。デートで見る映画としてはあまりけんめいな選択と言えないと思う。日曜日だというのに客の入りも悪そうで、チケット売り場の中では、ほっぺたに老人はんの浮き出た「おばちゃん」と「おばあちゃん」との中間生物がうたた寝をしていた。


 一秒だけ立ち止まり、大きく息をつき、ひたいの汗をぬぐった。


 チケット売り場に駆け寄った。透明な強化ブラスチックのすぐ向こうにじようもん遺跡から掘り出したのかと思うほど古びた置き時計があって、針は十時三十二分を指していた。


 そして、ふたりの声がハモった。


「中学生一枚!」


 互いに、聞き覚えがある声だった。


 互いに、カウンターに身を乗り出したまま思わず顔を見合わせた。


「おお、奇遇だなあさくん!!」


 すいぜんだった。

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