正しい原チャリの盗み方・前編 6/12

 そもそも様子がおかしかった。


 ゆうべから。


 どこがどうおかしいと思ったのか──そう問い詰められても、ゆうはそれを明確な言葉で説明することはできないだろう。夕子が感じていたのは、生まれてこの方ずっと同じ屋根の下で暮らしてきた者でなければ見逃してしまうような、ほのかな違和感のようなものだ。


 いつもの兄と違う。


 なんだ普段口もきかねえくせに、ほ兄ちゃんのこと結構よく見てるじゃねえか──などと言ってはいけない。そんなことを言うと夕子は真っ赤になって怒る。手も出る足も出る。


 朝、兄を起こしてこいと母に頼まれたのは、偵察に行くためのいい口実だった。すいぜんの電話を受けたとき、間違いなく何かある、それも、宇宙人やゆうれいとは関係のない何かが兄の身に起ころうとしている、はっきりとそう思った。


 水前寺の言う「重要な任務」とは、一体何か。


「ば────────か!」


 捨てぜりふを残して兄の部屋を出た夕子は、自分の部屋でじっと耳をそばだてていた。兄がどたばたと洗面所に駆け込む足音を聞いて、夕子は腹を決めた。


 足音を忍ばせ、無断で兄の部屋に入った。


 どきどきした。


 現場検証をするかんしきかんのような目つきで部屋じゅうを素早く見回す。寝乱れた布団に、兄が部屋を飛び出していったときの足跡が生々しく残っている。そんなに急いでどこへいくのか。目覚し時計が部屋の隅に跳ね飛ばされたように転がっている。枕元にはマンガや小説が散らばっており、その中に一冊だけ雑誌が混じっているのに気づいてゆうはどきりとした。


 えつちな本?


 違った。そのはら市のコンビニで売られているタウン情報誌だった。伏せて置かれていたページをそのまま開いた。映画情報のらんに、赤のボールペンで囲みがつけられている個所があった。



 帝国座・『無軌道、西へ』 10:30~12:15



 まさか、と思った。


 夕子は、その仮定を打ち消した。


 あの兄に限って、そんな大それたことをやるはずがない。


 まくら元には、その雑誌のほかにも気になる物があった。け物石の代わりに使えそうな国語辞典である。おぼえがある、兄が中学校に入学した折に父が買ってきたものだ。ケースから出した状態で、投げ出すように床に置かれている。


 眠れぬ夜の睡眠薬代わりにしようとしたのかもしれない。


 しかし、こんな大きな辞典は寝ながらでは読みにくいと思う。


 分厚い表紙をつまみ、ページをパラパラとめくってみた。


 発見できたのは運がよかったからだ。夕子もそれほどに調べようとしていたわけではなかったし、もっと後ろの方のページに挟んであったら気づかなかったはずである。140ページから141ページにかけて、『あ』の項目が終わって『い』の項目が始まる見開きに、一枚の紙が隠すように挟まっていた。


 四つ折りにしたコピー用紙。


 すっかり折りぐせがついたその紙を、夕子は開いてみた。入部届だった。入部希望者の氏名は。入部希望先は新聞部で、


 入部希望理由は、


 一度は打ち消したはずの仮定が、どうもくすべき物証と共によみがえった。


 でも、だって、なにこれ。


 悲鳴のように考える。わけがわからない。新聞部はゲリラ集団のはずだから、こんな届けを書いても何の意味もないはずだ。担任のなついんらんには「椎名」という印が押されているが、うちの学校にそんな名前の先生は、


 保健室の椎名先生? でもどうして?


 そして、何にも増して夕子をいら立たせたのは、次の疑問だった。


 この、伊里野加奈というのは一体何者なのか。


 新聞部には、女子部員はひとりしかいないはずである。兄と同じクラスの何とかアキホ。


 ──まさか、


 兄はついにおかしくなってしまったのではないか。すいぜんえいきようを受け過ぎて、兄もついにわけのわからない妄想にとらわれてしまったのではないか。この入部届は実は兄が自分で書いたもので、この『』というのは、兄の頭の中で地球の平和を守るために戦っている五人の超能力戦士の紅一点ではないのか。


なおゆきぃ!」


 そんな可能性の方が、まだしもありそうなことに思えた。


「出かけるんなら表の看板回しといてくれ!」


 兄がどこかに行ってしまう。決断するのなら今しかない。


 今日、兄に一体なにが起こるのか。兄は一体どうなってしまうのか。


 それを、どうしても知りたかった。

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