正しい原チャリの盗み方・前編 4/12

「──は?」


 ぱったりと動かなくなってしまった浅羽の手の中で、水前寺の頭がうんうんとうなずいた。


「明日はちょうど日曜日だしな。まずはふたりで映画にでも行くというのはどうか。そして喫茶店に行ってカラオケに行ってホテルに行って行くところまで行くというのはどうだ。車がいるならうちの軽トラを貸すぞ」


「──あ、あの、」


 頭がごろごろ鳴っている。脳ミソが消化不良を起こしている。


 なんでいきなりそんな話に、


「知れたことよ、可及的速やかに伊里野特派員と親密になるためだ。ほかならぬ『気になるあいつ』に『君の部屋が見たい』ぬぁーんて頼まれればそう無下にもできまい」


 脳ミソが下痢をする。脳ミソのクソは口から出る。


 なにもそこまでしなくても、


「やらいでか。むこうからうちとけてくれるまで待つなどという悠長なことはしておれん。そのはら基地が部外者の立ち入りを禁じているのは間違いないだろうが、要は伊里野特派員自身にそのあたりをなんとかさせればいいわけだ。スパイ工作のじようとう手段だな。うまく事が運べばむこうから言ってくるぞ、『今日うちにだれもいないの』って」


 で、そのときあんた一緒に来るつもりか。


 水前寺は右肩ごしに浅羽を振り返り、


「浅羽特派員、君ならできる」


 浅羽は追いつめられ、


「そ、そんな! ぼくには無理ですそんなの!」


 すると、水前寺は大げさにまゆり上げて肩をすくめ、


「そうか。ではおれがやる」


 ──!!


 頭もよければ顔もいい。運動も得意だし背も高い。普段は女にきようなどこれっぽっちもありはしないがしかし、なによりもまず、目的のためなら手段を選ばない。


 すいぜんはそういう男だ。


「わかりましたやりますっ!!」


 気がついたときには、そう叫んでいた。


 水前寺はげんな顔をして、


「いやべつに、無理にとは言わんが」


「いえやりますぜひっ!!」


 せっぱ詰まったあさの顔を横目で見て、水前寺はニタリと笑う。


「では任せる。頼むぞ浅羽特派員、そのはら基地に隠されたなぞを見事あばいてみせよ」


 そこで浅羽は正気に戻った。とんでもない話を引き受けてしまった。そのことにいまさら気づいて青くなる。


 とデート。


 うまくいくかどうかもわからない。たぶんダメだろうと思う。


 そもそもOKしてもらえるかどうかもわからない。たぶんダメだろうと思う。


「あ、あのでも、ぼく、いままで女の子とデートなんてしたことないんですけど」


 部室のドアのノブが回る音。


「安心せよ。おれもない」


「はあっ!? ちょ、じゃなんだったんですかさっきの自信満々な態度は!!」


 ドアが開き、すぐに閉じる音。


「うろたえるな浅羽特派員。なあに大丈夫、ちゅーをしてしまえばこっちのものだちゅーを」


 水前寺がお気楽に言う。強烈な不安ときんちように耐えきれず、その不安と緊張を人のせいにしてしまいたくて、浅羽はむきになって水前寺に食ってかかった。「ちゅーってなんだちゅーって!!だいたい自分だって女の子とデートしたことないくせに一体なにを根拠にそういうこと言うんですか!!」「なにしてるの」「うるさいないま大事な話してんだから!」振り返ったそこに伊里野がいた。


「浅羽特派員刺さってるハサミ刺さってる痛いとても痛い浅羽特派員応答せよ応答せよ」


 浅羽は慌ててハサミを引っこ抜く。水前寺は「おーいて」と頭をさする。伊里野は、てるてる坊主のような格好でに座っている水前寺と、その後ろでハサミを手に立ち尽くしている浅羽を、目を丸くしてじっと見つめている。


「あ、あの、」


 もしや最初からすべて聞かれていたのではないかと、浅羽は気が気ではなかった。


「いつ来たの?」


「さっき」


 はそう答えた。そして再び、


「──なにしてるの?」


 すいぜんが答える。


「見ればわかろう。あさ特派員に髪を切ってもらっているのだ。浅羽特派員は床屋の息子だからな、こういうことはお手のものなのだ。そうそう、さる情報筋によればだな、浅羽特派員は小学生のころ、店の床屋に妹を寝かせて改造手術を施すというまことにフケツな遊びを」


「部長」


 浅羽は首にハサミを突きつけて水前寺をだまらせた。再び手を動かし、水前寺の毛先を落とす作業に集中する。


 集中しようとする。


 世の中できることとできないことがある。


 こっそりと伊里野の方を盗み見る。


 口を半開きにして、身を乗り出さんばかりにしてこちらを見つめていた伊里野があわててうつむいた。


 ──?


 なんだろう。髪の毛を切っているのがそんなに珍しいのだろうか。


 どす、というしようげきを腹に感じた。見れば、水前寺のひじが腹を小突いて浅羽をかしている。それでも決心がつかない。浅羽はただひたすらに、もくもくとハサミを動かし続ける。その手つきがどんどん上の空になっていく。もし断られたらどうすればいいのか。水前寺が今度はテレビドラマの大根役者のようなせきばらいをする。ねえ伊里野、明日ヒマ? もしよかったらぼくと一緒に映画でも


 だめ。


「──こんなもんでいいすか」


 浅羽は、体育館のトイレからぶんどってきた鏡を水前寺の後頭部にかざした。


「うむ。ご苦労」


 毛だらけになったシートの下から水前寺の右手が突き出た。その親指がはじき飛ばした百円玉を、浅羽は水前寺の左耳の後ろのあたりでつかみ取った。背伸びをして立ち上がり、シャツについた毛を払い落としている間にも、水前寺は浅羽と目が合うたびに「いけ」「いけ」という目をする。浅羽はなすすべもなく、ほうきとチリトリで床に散らかった毛を片づけ始める。


 そして、三つのことがほぼ同時に起こった。


 まず、浅羽のフヌケっぷりにごうを煮やした水前寺が大声を出し、


「伊里野特派員、重要な話がある!! 明日の予定は」


 あさが息をみ、


「うわああちょっと待ってくださいよ部長!?」


 どうあきがいきなり部室に駆け込んできた。


「ごめーん遅くなってかわぐちに捕まっちゃってさあ!」


 晶穂はかばんをテーブルの上に投げ出してひたいの汗をぬぐい、の姿に気づいてこつに「なんだいたのか」という顔をし、そして、


「──、なにしてたの?」


 ぴんとくるものがあったのだろう。晶穂はすぐに、部室に漂う陰謀の雰囲気を感じ取ったらしかった。不発弾のような目つきで室内をじろりと見渡す。なぜか目を合わせようとしないあさがほうきで床を掃除しており、テーブルの上には浅羽の散髪道具が出ており、伊里野は鞄を手にしたまま立ち尽くしており、そして、今朝見かけたときよりすっきりした頭の水前寺がホワイトボードに何やら回路図のようなものを書き込みながら、


「重要な話をするからよく聞きたまえ伊里野特派員! 明日のためにその一! 攻略すべきポイントは三つ、すなわちハンドルロック、メインスイッチ、イモビライザーだ! ハンドルロックとメインスイッチは従来の力に任せた方法でも通用するから、残る問題はイモビライザーということになる! こいつは純正キーによる電子ロックの解除が行われなかった場合に燃料の給気をストップするための装置で、おまけにしんかんセンサーつきのアラームと連動しているから下手に車体を揺すると大音量のけいほうが」


「部長、」


「おお須藤特派員」


「なにしてるんですか?」


「見ればわかろう。伊里野特派員の新人研修だ。一日も早く一人前のジャーナリストになってもらうためにな」


「──あの、ですから一体何の話を。さっきからスイッチとかセンサーとか、」


「今日のテーマは『正しい原チャリの盗み方』だ」


「それのどこがジャーナリストの新人研修なんですかっ!!」


「何を言うか! 一人前のジャーナリストがその程度のこともわきまえておらんでどうする! いいかね、スクープをモノにするには多少の危険はつきものだろう。暴力的な取材対象や無理解なかんけんの手を振り切るためにはぜひとも必要な──」


 そこで水前寺は浅羽にちらりと目配せをして、


「──そうだ、思い出した。須藤特派員、ちょっと顔を貸してはくれまいか。君に折り入って重要な話がある」


「な、何ですか相談って」


「いや、ここではまずい。ふたりだけで話そう」


 それからのすいぜんの行動は実に素早く、有無を言わせないものだった。


「よし。では特派員、今日の講義はここまでにしておくが、家に帰ったらきちんと復習をするように。実地練習もしておくとなおよろしい」


 水前寺は先に立ってドアを開け、まだ何か言いたげなあきの背中をぐいぐい押して部室から出ていった。


 ドアが閉まるしゆんかん、水前寺の右腕がにゅっと突き出て、ぐいと親指を立てた。


 そんなことをされても困るのだった。



 とにかく、床の掃除を終わらせようと思った。


 チリトリの中身をごみ箱代わりのダンボール箱にあけ、ほうきをロッカーの中にしまって、あさはやっとため息をついた。


 危ないところだった。


 基地が目当てで伊里野とデート、などと聞けば晶穂はまた怒り狂うに決まっていた。おまけに、晶穂はどうやら伊里野のことをひどく嫌っているらしい。もっとも、伊里野は転校してきた初日の『あっちいけ』発言以来、クラスの女子からは総スカンを食らっているし、晶穂もまたクラスの女子のひとりである以上は──


 それでも、どこか釈然としない。


 いつもの晶穂なら、もう少し別な反応を示すような気がする。


「浅羽」


 いきなり名前を呼ばれた。浅羽は思わずロッカーに正対したまま背筋を伸ばし、「はいっ」と返事をした。


「イモビライザーの暗号かぎって何ビット?」


 ──え?


 浅羽が振り返ると、伊里野がホワイトボードをじっと見つめている。浅羽もなんとなく伊里野にならう。水前寺が水性ペンで書き殴ったぐにゃぐにゃの回路図。


「──あ、いいよいいよそんなのは気にしなくてたぶん部長の出まかせだから。あの、そんなことよりもさ、」


 勇気がくじける。


かばんそこに置いたら?」


 伊里野は、言われた通りにテーブルの上に鞄を置いた。


「明日ヒマ?」


 言えた。


 まるで予期していなかった質問をいきなりぶつけられて、伊里野は目を丸くした。


 返事は、こうだった。


「どうして?」


 言え。


 そして最悪の返事を予想しろ。


 あさは自分にそう命じる。伊里野の顔をそれ以上見ていられない。


「もし、もしよかったら、映画でも見に行かない、ぼくと」

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