ラブレター 18/19

 落ち着け。


 冷静になれ。


 自分にそう言い聞かせた。


 今日はとは色々あった。防空壕シエルターそうどうは充分すぎるくらいのトドメだ。自分はもつ、伊里野とひとくくりでうわさされる身である。


 つまり、これはだれかのイタズラではないのか。


 それこそ、西久保と花村あたりの。


 浅羽は周囲をきょろきょろと見回す。もう帰ったと見せかけて、実は西久保と花村はどこかそのへんの物陰からこちらの様子を盗み見て、声をひそめて笑っているのではないか。この封筒の中身には『今日は一生忘れられない日。ナオユキったら強引なんだもん、いきなり押し倒してくるなんてビックリしちゃった。でもいいの。次の日曜日の午後三時にそのはら基地の正門前で待ってて。こんどは加奈が思い出をあげるね』とかなんとか適当なことが書いてあって、キメキメの格好でうずうずと種馬よろしく待ちほうける自分の姿を見物して二度笑おう、という腹ではないのか。


 しかし、西にしはなむらとは五限目もその後の休み時間も六限目も掃除のときにもずっと一緒にいたし、こんなものをばこに仕込むチャンスはなかったと思う。ということは、それ以外のだれかのわざなのか。容疑者はクラス全員と、あのときかくへきの前にいた馬の全員。軽く百人は超える。頭の中で全員を拷問にかける。


 ちょっと待て。このピンクの封筒には見覚えがある。同じものを購買部でも売っている。学校らしい色気のない品ぞろえの文具コーナーの中でも目立つので、「これはきっと先生か誰かが気をかせて、ラブレター用にと特別に置いてもらっているに違いない」とうわさの、生徒の間ではわりと有名なやつだ。こんなものを実際にラブレターに使う女子生徒がうちの学校にいるだろうか。


 いやちょっと待て。はつい昨日転校して来たばかりだ。この封筒がこの学校の生徒にどう見られているかなど知らなくて当たり前なのではないか。何の先入観もない女の子が、あの文具コーナーの品揃えの中からラブレターの封筒を選ぶとしたら、「これ」を手に取る可能性は高いのではないか。


 いやいやちょっと待て。話が変だぞ。「伊里野が購買部でラブレターの封筒を買うのならこれを選ぶ」? そりゃそうかもしれない。しかし、だからどうした。そんな仮定は、これが誰かのイタズラであるという可能性を少しも減じるものではない。この封筒は購買部で売っている商品であり、いかにも防空壕のそうどうの後になってから急ごしらえで用意しましたという感じがするし、その辺りが怪しいと言えば怪しい。問題はそこなのだ。


 いやいやいやちょっと待て。それでは、逆に考えてみたらどうなのか。仮に、自分がこのイタズラを仕掛ける側だとしよう。自分ならどうする? 自分がイタズラの仕掛けである封筒を購買部から調達するとして、よりにもよって「これ」を選ぶだろうか? この封筒は生徒の間では有名であり、相手だってそれは承知しているはずなのだ。「下駄箱の中の手紙」というだけで、記号的にそれがラブレターであると相手に思わせることは充分にできる。ならば余計な疑いを抱かせないために、多少は地味でもいいからもう少しおとなしい感じのやつを選ぶべきではないか。自分がイタズラを仕掛けるならそうする。現に自分はこの封筒のせいで今こうして疑いを抱いている。購買部から調達するにしても、いくらなんでもこの封筒だけはけると思う。そして、「伊里野が購買部でラブレターの封筒を買うのならこれを選ぶ」のだ。


 やはり、動転していたものと思われる。


 あぶらあせを顔に、ピンクの封筒を手にの如く立ち尽くし、浅羽は己が思考の泥沼をただひたすらにいずり回るのだった。伊里野はラブレターなんて書きそうにないと思う一方で、伊里野はこういう突拍子もないことをやりそうだという気もする。本物だったら何の問題もないのだ。すごくうれしい。すごく嬉しいばかりか、「今日という日をもって自分の少年の日々は終わりを告げるのだ」とすらあさは思う。


 が、もしイタズラだったら。


 ここまで悩んでおきながらイタズラを見破れずに封筒を開けてしまったら、なんだかものすごく「負け」であるような気がする。もはや身動きもままならず、真実を知るための手がかりを求め、封筒に顔を近づけて隅々まで目をらす。透視能力が欲しいと思う、すいぜんテーマが「超能力」だった今年の冬、もっと真剣に能力開発訓練をやっていれば今ごろはひょっとしたら、この封筒の中身の文字をこっそり読むことくらいは


 文字。


 浅羽は封筒をもう一度ひっくり返して、右下に書かれた『伊里野 加奈』という文字を食い入るように見つめた。


 今も目に焼きついている、転校生として初めて教室に現れたの姿と、その背後の黒板に書かれていた『伊里野 加奈』というきれいな文字。


 あの黒板の『伊里野 加奈』とこの封筒の『伊里野 加奈』は、ものすごく似ていると思う。


 今も目に焼きつくそのおくけてみよう、と浅羽は思った。


 決めた。


 これは間違いなく、伊里野からの手紙なのだ。


 浅羽はようやく思考の泥沼から解放され、その途端に人目が気になって、封筒をえりもとからシャツの中に突っ込んだ。


 この封筒を開けて、中身を読もう。


 人のいないところで。


 セミのいるところで。


 ひとつ大きく息を吸い込み、そして浅羽はいきなり走り始めた。うわきのまま昇降口からグランドに走り出て、部室長屋の裏手を回り込み、体育館のトイレの窓から中に入り、舞台下の用具置き場のくらやみを通り抜け、西側の非常口から外に出たところであまどいをよじ登り、渡り廊下のでこぼこした屋根の上を走り、でこぼこのすきにはまって忘れ去られていたバスケットボールを力任せにった。二階の窓から校舎の中に戻り、廊下を突き当たりまで一直線に走り抜け、ちょうど職員室から出てきた教頭のしろに「廊下を走るな」と叱られ、階段を上り、そのあたりでどうしようもなく息が切れかけ、それでもむきになって上った。


 階段を上れるところまで上って、時計塔の機関室にたどり着いた。


 この時計塔も、外から時代がかった文字ばんだけを見ている分にはずいぶん偉そうな印象を受けるが、その中は意外と狭くて汚い。かべは落書きにまみれ、床には貧乏くさくきっちり根元まで吸ったタバコの吸殻が散らばり、窓は南側にひとつあるきり。日差しはすなぼこりと虫のがいがこびりついた窓ガラスを辛くもすり抜け、黄ばんだうすやみの中で、骨格を思わせるとげとげしい歯車や調速器が眠そうにごろごろと動いている。


 暑かった。


 あさは両ひざに両手をついて呼吸を整えようとした。汗があごの先からざらついた木の床にしたたり落ち、たちまちのうちに吸い込まれて消えていく。身体からだを起こし、機関室を横切って窓を開けた。この窓は本当は開けてはいけない決まりだし、本来なら常にじようされているはずである。しかし、なんきん錠を何回取りつけてもすぐにだれかがこわしてしまうのだった。


 窓枠を乗り越えた。


 校舎の屋根の上に、夏の空の下に出た。


 干からびたハトのふんにもお構いなしに、焼けつくようなかわらの上に腰を下ろした。時計塔の南側にあたるこの場所は、屋根の勾配が急で、三メートルほど向こうにはもう空しかなくて、しかし周囲が田舎いなかなだけに眺めはいい。窓にしつこくかぎが取りつけられ、そのたびに壊されてしまう理由はそこにある。


 汗でくたくたになったピンクの封筒を、シャツの中から引っぱり出す。


 細くて長いため息をつく。


 腹の底が冷たいのは、一歩間違えば落っこちて死ぬような場所にいるせいだと思う。


 封筒を、


 開けた。


 中身は一枚だけ。


『伊里野 加奈』という署名が、まず最初に目に飛び込んできた。


 その伊里野の名前は、なぜか「氏名」という四角で囲まれたらんの中に書き込まれており、その欄のすぐ上に、ゼロックスコピーを何世代もり返したせいですっかりディティールが飛んでボコボコになった、三つの文字が並んでいた。


 こう読めた。


 入。


 部。


 届。


 ごん。


 校舎の屋根の上でひとり、浅羽は横向きに倒れた。


 日差しにあぶられた瓦は焼けつくような熱さだったが、このときばかりは大して気にもならなかった。泥沼の中に捨ててきたはずの思考がゾンビのようによみがえる。


 はラブレターなんて書きそうにない。


 そう思う一方で、伊里野はこういう突拍子もないことをやりそうだ。


「…………………………………………ズレてるよなぁ…………………………………………」


 やがて、ほおに感じる瓦の熱さに耐えきれなくなって、浅羽はごろりと仰向けになる。


 目を閉じていても、まぶたを貫く日射しの明るさを感じる。すっかり日に焼けた両腕で目隠しをする。そのまま、あさはいつまでも、屋根の上でひっくり返っている。

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