ラブレター 15/19

 この調子で、伊里野のことを色々聞き出せるかもしれないと浅羽は思う。そのときふと、電話のすぐ近くの床に放り出されているものに気づいて、


「あれ、伊里野の?」


 あさが指差す先を見て、は小さく「あ」と言った。


 伊里野の手下げ袋だった。


 そういえば──


 一次けいほうのサイレンが鳴る直前、浅羽が伊里野に話しかけようとしたとき、伊里野は確かにその手下げ袋を手にして席を立とうとしていた。


 ふたりともまったく気づいていなかったが、一次警報のサイレンに動転した伊里野は手下げ袋をずっと持ったままこの防空壕シエルターに駆け込んできたらしい。浅羽はくすくす笑い始める。昔のマンガもあながちウソじゃないんだな、と思う。火事で焼け出された寝巻き姿の登場人物が必ず手にしているヤカンと枕。


「──そうだ、あの中にさ、ゲーム機あったよね」


 浅羽はもう少しだけ大胆に踏み込んだ。


「あれ、やってみてもいい?」


 伊里野はちょっと困ったような顔をしたが、こっくりとうなずいた。浅羽は手下げ袋に駆け寄り、中からゲーム機を取り出して裏返してみた。スリットにささっているROMパックに殴り書きされた文字は『BARCAP─S06』。


 伊里野は浅羽のすぐ後ろにぴったりとくっつくように座り、


「ヘッドホンして。音が聞けないとだめ」


 言われた通りに、ゲーム機のリールからヘッドホンを引き出して耳に突っ込む。


「これ、どんなゲーム? BARCAPって何?」


「ミッション。要線戦闘空中哨戒」


 よくわからない。とにかくやってみようと思って、浅羽はゲーム機の電源ボタンを押した。液晶画面が明るくなり、その周囲に三つのレーザーフィールドが投影される。


 が、何も起こらない。


 タイトル画面のひとつも表示されるのかと思っていたが、液晶画面は空白のままだし、レーザーフィールドはただのうす緑色の正方形のままだった。


「スタートボタン」


 浅羽の右の肩から身を乗り出すようにして伊里野が耳元でささやく。


 息がかかる。


 背中にぺったり触っている感触の「このへん」と「このへん」は、99パーセント以上の確率で伊里野の胸だと思う。


 どきどきする。


 スタートボタンを押す。


 四つの画面に、文字と図形のようなものが表示された。


 フライトシミュレーションみたいなものかな、と浅羽は思った。正面のレーザーフィールドが、たぶんヘッドアップディスプレイの表示。そのくらいはわかる。映画などで見たことがある。しかしあさにわかったのはそれだけで、左右のレーザーフィールドと液晶画面に表示されているデータが何を表しているのやら皆目見当がつかない。ヘッドホンからは奇妙な和音が聞こえ始めた。パイプオルガンでいっぺんにいくつものコードを弾いているような感じ。


 はまず、メイン画面とサブ画面を順に指差して、


「HUD、MFD、MFD、DED。ADI、VVI、HSI」


 次に、HUDの表示のあちこちを指差し、


「海抜高度、大気速度、コンパスゲージ、AOAゲージ、フライトパスマーカー、タドボール、ファンネル、ガンクロス」


 まるでじゆもんだった。しかし、高度と速度とガンクロスくらいはなんとなくわかる。


「要するに、敵にガンクロスを合わせててばいいの?」


 これは間違いのないところだろうと思ったのに、伊里野が首を振る感触が身体からだに伝わり、


「今のモードはEEGS。この曲線がファンネル。マンタの機動面のれき表示。この中に敵を入れるの」


 やっぱりよくわからない、が、


「──じゃあ、まずは、」


「AWACSとコンタクト。そのはらTACANベクター027からタロス01にチャンネル変更してピクチャーコール」


「──あの、」


「Cボタン」


 とにかく押す。液晶画面に何やらわけのわからない図形が表示され、


「なにこれ」


「JTIDSのアップデート情報。目標の方位と距離と高度。ブルズアイ方位020、距離40ノーチカルマイル、高度12万フィートに敵対オブジェクトが3。識別不明が1。それがたぶんシード。今のブルズアイは園原」


「──えっと、」


「Bボタンでエレメントにコマンド送信、ミサイルキャリアとダミーを先行させてヘディング020、700ノットくらいまで増速、30ノーチカルマイルを割るとプレデターのスパイクが来るからミサイルキャリア七機でチェーンソー、頭を押さえてフォックス」


 ぜんぜんわからない。


 が、とにかく伊里野に言われるがままにしばらくやってみた。その結果、浅羽なりに理解したことをまとめると次のようになる。


 伊里野が説明の中でさかんに口にする「マンタ」あるいは「ブラックマンタ」というのが、どうやら自分が乗っているせんとうの名前だ。「ミサイルキャリア」と「ダミー」はマンタによってコントロールされる無人の味方機で、「シード」と「プレデター」は敵。ボスキャラであるシードを味方機で追いつめて「フォックス」、つまりミサイルを発射してげきついすることが基本的な任務であるらしい。


 BARCAP─S06の遊び方はこうだ。自分はブラックマンタのパイロットとなり、十四機のダミーと二十七機のミサイルキャリアを従えて「パラベラム」というフォーメーションを編成し、高度12万の指定された空域を六十分間パトロールする。12万フィートと言われてもぴんとこなかったが、はものすごく難しい言葉を連発して、すでに成層圏の真っ只中の、大気がうすすぎて空力的な手段ではもはや機体をコントロールできないくらいの超高空であると教えてくれた。ストイックなゲームもあったもので、ボタンで早送りすることさえできないその六十分間に、敵は指定空域に何度も出現することもあれば、あるいはまったく姿を現さないこともあるという。とにかくパトロールを続け、敵を見つけたら攻撃のためのフォーメーションに散開し、TWSでターゲットをロックしてTDボックスをレティクルに捕らえ続け、カレットがDLZブラケットの中に入るまで接近して、


 と、このへんであさはついていけなくなった。


「右右右! 右へブレイク! 逆! そっちじゃなくて逆! もうすぐ近くにいるから、いたいたいたいたBボタンBボタンBボタンBボタンBボタン! 左! 左にブレイク! TDボックスをレティクルに入れてフォックス! 入れてフォックス! 入れて! 早く早く逃げちゃう逃げちゃう逃げちゃう! だめだめもう近すぎる! 入れて入れて! あ、あっ!」


 運がいいのか悪いのか、浅羽はゲーム開始後わずか数分のうちに三機のシードを中核とするプレデターの集団にそうぐうし、伊里野の言うことは略号だらけでまるっきり意味がわからず、どうやら「今の装備ではとても勝ち目はないから任務を中止して逃げろ」と言っていたらしいとおぼろげながら気づいたときにはすでに後の祭りだった。しかし浅羽は、自分があっという間にダミー全機とミサイルキャリア二十二機を失ったことよりも何よりも、背後から抱きつくような勢いで身を乗り出してくる伊里野の体温と体重に頭の中を塗りつぶされている。伊里野は伊里野で何としてでも浅羽をせいかんさせようと決意しているのか、さらに大胆に身体からだを押しつけ、普段の様子からは想像もつかないくらいの大声で、


「プレデターにスパイクされてる! 左にブレイクして! トレスアラートが聞こえたらフレア落としながらビームマヌーバで逃げて! ブレイクっ! 逃げてっ! 逃げて逃げて逃げて逃げてぇっ! あっ! あっ、あ、あ、あっ、ああ、あ」


 胸はブラの固さがはっきりわかるくらいに背中にぎゅうっと押しつけられ、ほおと頬はべったりとくっつき、おまけに伊里野の「入れて入れて」とか「あっあっあっ」とかいう声は何だかエッチな感じに聞こえて、浅羽はもうダメになっていた。すでにゲームどころではない。もはや目はどの画面も見てはおらず、指はどのボタンも押してはいない。伊里野の息をいつまでも耳元で感じていたいという思いと、伊里野の胸の感触から今すぐ逃げ出してしまいたいという思いにあさは引き裂かれ、ほとんど失神寸前にまで追い込まれたそのしゆんかん


 いきなり、画面上のすべての動きが止まった。


「──あれ、」


 たぶん敵にやられたんだろうな。よくわかんないけど。


 そう思った。


 突然、の頭の重さががくりと増した。伊里野は浅羽の背中に体重をあずけ、頭をがっくりとうつむかせ、一体何のつもりか、まるでキスでもするように浅羽の首すじに口をくっつけている。


 浅羽にはもう区別がつかない。まるではやがねのような、近い近い距離で重なり合っているこれは自分の鼓動なのか、それとも伊里野の鼓動なのか。


 どうしたんだろう。


 どうしよう。


 キスぐらいしよう。


 そう思った、その直後だった。


 の区別ができなかったその鼓動に突然、背中に心臓を投げつけられたのかと思うほどの、浅羽がぎょっとするくらいの大波が跳ねた。

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