ラブレター 14/19

 浅羽は悲鳴を上げ、伊里野は差し出していた小銃を取り落とした。浅羽はパニックに駆られて夢中で周囲を見回し、右手奥のかべに電話が据えつけられていることに初めて気づいた。電話の音に合わせて赤いランプが点滅している。伊里野はそのランプの点滅を目を見開いて見つめるばかりで、仕方がなく、浅羽がコードレスの受話器を取った。


「──もしもし、」


 下手くそな日本語で「降伏しろ」みたいなことを言われるのかと思っていたが、電話の向こうにいる男は、予想に反してちゃんとした日本語をしやべった。おまけに相手はこちらの声を聞いただけでいきなり名前を言い当ててきた。


『お! あさか!? おれだおれ。えのもと


 榎本?


 聞きおぼえのない名前。聞き憶えのある声。


 電話の向こう側は何やらさわがしい場所で、なにか難しい作業をやり遂げたときのような大勢のどよめきが聞こえていた。その背後でだれかが『ナミさーんつながったつながった! いっやあさっすがだわ、了解了解おごるおごる何でもおごっちゃう』と大声で叫んでいる。


『おーいもしもし浅羽、ちゃんと聞こえてるか? 非常用の回線をそっちの電話に無理矢理ねじ込んでるんだ、何か喋ってくれ』


 思わず、


「──えっと、あの、どちらにおかけですか?」


『あらっ? なんだよおい、ほら、おとといの夜にプールで会ったろ? もしかしておれあのとき名前言わなかったっけ?』


 言わなかった。


 いっぺんに思い出した。夜のプールにいきなり現れて用務員のカミナリおやじの話をした、の「兄貴のようなもの」と名乗った正体不明のあの男。タレ目で、いつも下品な冗談を言ってはひとりで大笑いしていそうな感じの顔が、頭の中でにたにた笑い始めた。


『いっやあ往生したぜ。そっちのシステムがいきなりルート取られたんでびっくりしてたらしいから連絡がきてな。伊里野が訓練のサイレンを本物の一次けいほうと勘違いして無理矢理連れ込まれたんだろ? 大丈夫か? まだ童貞か?』


 全身の力が抜けた。安心するあまり、目の前が暗くなった。


 やっぱり訓練だったのだ。戦争なんか始まりはしないのだ。


 あき西にしはなむらも部長も、みんな無事なのだ。


『面倒かけて悪かったな。いやほら、伊里野は小さい頃からずっと基地暮らしだったし、玄人くろうとは一次警報なんてぶつそうなものは訓練でもまず鳴らさないんだよ。あいつが動転するのも、まあ無理はないんだ』


「──ほ」


 口がうまく回らない。


「ほんとに、ほんとに訓練なんですね?」


『おう。世はすべて事もなし、こっちじゃどいつもこいつもピンピンしてるよ』


「こっちって、そっちはどこなんです?」


そのはらの発令所だよ。あのな、こっちで色々やってみたんだが、のやつがかくへきをルートで暗号封鎖シヤツフルしちまったらしくてな、すまんがしばらくそこにいてもらうことになる。けど別にかまわんだろ? そっちにゃ食い物も酒もヤニもあるし。伊里野に代わってくれ』


 振り返ると、伊里野はあさのすぐ後ろに立っていた。


「──やっぱり、訓練だって」


 伊里野は無言で差し出された受話器を受け取った。小さな声で「はい」「はい」とり返し返事するだけの、端で聞いているとまるで一方的に指示を受けているだけのような会話が三分ほど続いて、伊里野は受話器を静かにフックに戻した。


 そして、伊里野はその場にべたんとしゃがみ込んだ。


 安心するあまり、立っていられなくなったのかと思った。


「──でも、よかったね、ほんとの戦争じゃなくて。さっきはもうてっきり、」


 床にしゃがみ込んだ伊里野の、肩が小さくふるえている。


 伊里野が泣いている。


 浅羽はしゆんかん的に動転した。伊里野がなぜ泣いているのかもわからず、何と言葉をかけていいのかもわからずに、ただひたすらに周囲をうろうろ歩き回る。


「あ、あの、伊里野、ねぇ、大丈夫?」


 伊里野は、やっと聞き取れるくらいの声で、静かに泣いている。涙がスカートにしたたり落ち、浅羽はその一滴ごとに「何かしなければ」と焦るのだが、何をすればいいのかがまるでわからない。背中のひとつもさすってやれば少しはなぐさめになるかと思い、手を伸ばそうとしたそのとき、伊里野の肩の自動小銃が目に入った。


 伊里野が、小さな声で、


「ほんとのくうしゆうだったらよかったのに」


 そう言った。


「みんな死んじゃえばよかったのに。負けちゃえばよかったのに」


 浅羽は何度も口を開きかけたが、結局、何も言ってやれないままに時間だけが過ぎた。


 事情はわからない。聞いても答えてはくれないだろうと思う。


 ただ、中学校の制服の肩に自動小銃のスリングを食い込ませ、みんな死ねばよかったのだとつぶやきながら泣かねばならない女の子に対して、何も知らない自分が、「大丈夫だよ」とか「元気出しなよ」とか、そういうことを軽々しく言ってはいけないような気がする。


 あさはなすすべもなく立ち尽くし、伊里野はひざを抱え、時間だけが過ぎていく。



 膝を抱えたままの伊里野のことが気にかかってはいたが、ずっとそばにくっついているのもかえってまずい気がして、浅羽は防空壕シエルターの中を見物して歩いた。


 あさのいるこの部屋には三方に大きな扉があったが、それらは入り口のかくへきと似たり寄ったりの構造をしていて、人力で開け閉めができるような代物ではなかった。考えてみれば、ここは「そのはら地区第四防空壕」であって、有事の際には学校の生徒だけではなく、きんりんの住民もここになんすることになっている。つまり、この扉の向こうにはここと似たような部屋がいくつもあって、大勢が長い間生活できるだけのスペースもちゃんと確保されているはずだ。


 床には全部で二十六個のハッチが切られており、そうでそのうちの八個が口を開け、八基の格納コンテナが床下からせり上がったままになっている。このコンテナはきっと、それ自体が貨物のトレーラーになっているのだと思う。この部屋の床下には三次元のレールのような構造があって、パネルの操作で、どこか別の場所にある集積所から、目的の物資が詰まったコンテナを一番近くのハッチに呼び出すことができる仕組みなのだろう。


 伊里野がグレーのカードで扉を開けた格納コンテナには「乙─〇九」という表示があって、中には自動小銃をはじめとする小火器が満載されていた。


 中から色々と引っぱり出してみる。


 浅羽は、鉄砲というのは何だかよくわからないけれど44マグナムで鉄でできていて信じられないくらい重くて訓練していない者がつと手首が折れると思っていたが、こうして目の前にずらりと並んでいる「本物」は、そんなイメージからすればまるでオモチャのようだった。思っていたよりもずいぶん軽いし、プラスチックのような素材でできている。小銃のグリップのすぐ上のところには「アタレ」なんて書いてある。不にもほどがあると思う。


 それでも、これは間違いなく本物なのだ。


 つめ切りが爪切りであり、コーヒーカップがコーヒーカップであるように、いま自分の手の中にあるこれは、本物の銃なのだ。


 浅羽はいい気になって小銃を腰だめに構え、「ばばばばばば」と口で銃声を表現しながら、目に見えない敵を右から左へとぎ払った。


 薙ぎ払ったその銃口の先に伊里野が立っていた。


 むちゃくちゃ恥ずかしかった。


「あ、あの。ここに書いてある『アタレ』っていうの、ひょっとしておまじない?」


 伊里野はあっさりと、


「そうかも」


 恥ずかしいのをごまかそうとしたのにあっさり流されてしまった。気まずい思いが顔に出ていたのか、伊里野はほんの少しだけあわてた感じで、


「それ、セレクターの表示。安全のアと単射のタと、連射のレ」


 その「ほんの少しだけあわてた感じ」が、浅羽にはくすぐったいほどうれしかった。だらしなくゆるんでしまう口元を見られるのがいやであさっての方を向き、にやけた笑みをようやくかみ殺して向き直ると、伊里野は何か言いたそうな顔をして、浅羽の鼻のあたりをえんりよがちに指差している。


「──何かついてる?」


 触ってみると、本当に何かついていた。あきってくれたばんそうこうが半分ほどがれかかっている。あさが絆創膏の端を指で押さえて貼り直そうとしていると、の鳴くような声で、


ねこすき?」


 いつしゆん、伊里野が何を言っているのかわからず、


 ──あ!!


「ひょ、ひょっとして伊里野!? ぼくのばこに猫入れたの!?」


 ものすごいことが起こった。伊里野がいきなり顔を真っ赤にしてぶんぶんぶんと首を振り、そっぽを向いてしまったのだ。


「え、あの、別にいいんだけど、ぼくは怒ってるとかそういうわけじゃ、」


 そっぽを向いたまま、伊里野が大声で叫ぶ。


「ちがう!!」


 ちがう、とはやはり「猫を入れたのは自分ではない」と言いたいわけなのだろうが、とぼけ方もここまでつたなくては話にならない。もはやだれがどう見ても犯人は伊里野だ。


 しかし、どうして──


「──伊里野は、猫が好きなの?」


 少し考えて、浅羽はそう尋ねた。


 伊里野はそっぽを向いたまましばし無言で、やがて、


「きょう、初めて触った」


 浅羽はかなりおどろいて、


「いままで猫に触ったことなかったの? 一度も?」


 伊里野はこくっとうなずく。


「──触ってみて、どうだった?」


 伊里野はゆっくりと浅羽の方を振り返り、


「あったかかった」


 上目づかいに浅羽を見て、


「浅羽は、猫きらい?」


「──うん。好きだよ」


 伊里野は、ほんの少しだけ笑った。

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