ラブレター 10/19

 翌日、だれのどういう嫌がらせか、浅羽のばこの中に生きたねこが入っていた。



 宿題のコピーをただひたすらに書き写す夜を過ごし、睡眠不足の朝が来て、あさは今日も遅刻気味に登校した。狭すぎるちゆうりんじようにはすでに自転車があふれており、浅羽はやむなく、屋根の下からずいぶんはみ出たフェンスぎわに自転車を止めてチェーンロックを掛けた。そのあたりは放課後になれば西日がもろに入る場所なので、いざ帰る段になっても熱くてサドルに座れなかったりする。が、もうほかに止める場所がなかった。大急ぎで昇降口に駆け込み、うわきを取り出そうとしてばこのフタに手をかけた。


 日常もそこまでだった。


 下駄箱のフタを開けたしゆんかん、中から飛び出してきた茶トラのねこが浅羽の顔面にしがみついて目にも止まらぬワンツーを見舞った。浅羽はひとたまりもなくダウンし、子猫はうなり声を上げて昇降口の外へと走り出ていった。浅羽はほうほうのていで教室に入り、あきに顔を見るなり「なによそれ」と指さされてはじめて、引っかかれた傷から結構な血が出ていることを知ったのだ。


「ほらこっち向いて」


 浅羽は自分の席にななめに座って恐々と顔を上げる。


だれよまったく、ひっどいイタズラするわね」


 晶穂がぷりぷり怒っている。いつもかばんに常備しているばんそうこうの一番でかいやつを、実に乱暴な手つきで浅羽の鼻っ面にりつける。


「あんな狭いところに閉じ込めたら猫がかわいそうじゃない」


 そっちかよ、と浅羽は思う。


「その茶色の子猫ってひょっとして、よくバス停のあたりをうろうろしてる子じゃない? 三ヶ月くらいで、ちょっとしつが曲がってて。首輪はしてた?」


「──してなかったと思う。でもどうかな、あっという間だったから」


 晶穂は絆創膏の箱を鞄にしまい、


「あのへんには茶色の子猫って二匹いるのね。まだチビで首輪をしてない方はたぶんノラで、それよりちょっと大きくて首輪をしてる方はたきざわ文具店のろう


 いつも「犬猫あげます」の記事を書いているので、晶穂は学校周辺の犬猫事情にやたらと詳しいのだった。


「──それはべつに、どっちでもいいけど、」


 浅羽は絆創膏の貼られた鼻っ面を指先で探りながら、ぼんやりと考える。


 一体、誰が、どういうつもりで下駄箱に猫を入れたのか。


 そのとき、ふと視線を感じた。


 浅羽が何気なく背後を振り返り、晶穂もつられて浅羽の視線の先を追う。


 じっとこちらを見つめていたが、さっと顔を伏せた。


「──なによあれ」


 あきがつぶやく。あさは何となく居心地が悪い気がして視線を戻したが、晶穂はをじっと見つめたまま声をひそめて、


「ねえ浅羽、『あっちいけ』の話、聞いた?」


 浅羽はうなずく。


「ひどいと思わない? ちゃんたちに嫌われるの当然だわ」


「──けど、」


「あんまりよ。うっかり言いすぎたんなら素直にあやまればいいのに。自分じゃ悪いと思ってないのよ。何様のつもりでいるのか知らないけど、あんな調子じゃ友達なんか絶対できっこないんだから。なによあのリストバンド、かっこいいと思ってんのよあれ」


 浅羽はおどろいて顔を上げた。どう晶穂が、ここまでざまに人をののしっているのを聞くのは初めてだったのだ。が、晶穂は晶穂で、自分の口から出てきた言葉に自分で驚いているような顔をしていた。浅羽のぎように気づいてすぐに笑みを取りつくろい、強引に話題を変え、


「──えっと、ねえ浅羽、昨日は部長と何か決めた? 次の号の記事の割り付けとかは?」


 今度は浅羽がぎくりする。


「あ、いや、そういうのは決めてないけど、」


 なにしろ、きのうはとんでもないことが決まってしまったのだ。


「けどなによ」


「あの、」


「だからなに」


 何やら晶穂は伊里野のことをずいぶん嫌っているようだし、いま話すのはタイミング的にいかにもまずい。


 しかし、いずれはわかることだし、早いうちにゲロした方が傷が浅くてすむと思う。


 話そうと決めた。


「きのう部室で、部長に話したんだ、伊里野のこと。うちのクラスにちょっと変わった子が転校してきた、って」


 晶穂は無言だった。表情も変えずに浅羽を見つめている。


「で、伊里野がそのはら基地に住んでるらしいって言ったら部長よろこんじゃってさ。ほら、夏休みの山ごもりだけじゃ記事にならないし、園原基地に忍び込んで写真でも撮ろうかなんて言ってたところだったから、ほかの部に取られちゃう前にぜひ」


 そして最悪の男が、最悪のタイミングで現れた。


 教室の後ろの扉が吹っ飛ぶように開いた。教室にいた全員が驚いて顔を上げ、


!!」


 すいぜんがそこにいた。


 きらりとかがやぎんぶちメガネ。栄養万点のゴキブリの背中のようなオールバック。


 信じ難いことに、手にはヒマワリの花束を持っていた。


 周囲のぎようなどものともせずにすいぜんおおまたで歩き、の机の正面に立った。花弁が散るほどのメリハリのいた動作で花束を差し出して、


「我々そのはら電波新聞部は、太陽系の如き広大なジャンルの知見を電波の如き速報性で読者に提供する少数精鋭のジャーナリスト集団である! 開戦の危機が叫ばれる昨今、混迷する世界の真実をはくじつもとさらさんと努めるジャーナリズムの重要性が今日ほど高まった例はかつてない! さあ君も、我々と共に、真実を探求する聖戦の士となろう!!」


 伊里野は水前寺を見つめ、差し出された花束を見つめた。


 そして、「目の前に差し出されていたからとりあえず手にとってみた」という感じで、両手を伸ばして花束を受け取った。が、それを水前寺は入部の意思表明であると解釈したのか、


「歓迎するっ!!」


 大声でそう言ってくるりと振り返り、あさに向かって右手の親指をぐいと立てた。


 そんなことをされても困る。


「では伊里野特派員、放課後にまた会おう!」


 水前寺はそう言い置いて、高らかに笑いながら悠々と立ち去った。


 途端に、教室中で地鳴りのようなひそひそ話が巻き起こる。


 何か言わなければ、と浅羽は思う。


「──つまりね、ぼくが部長に話したのはその、伊里野がそのはら基地に住んでるから、うまく頼めば中を見学させてもらえるかもって、」


 あきにものすごい目つきでにらまれて、浅羽は首でも絞められたかのように押しだまる。まずは浅羽をにらみつけ、次いで伊里野をにらみつけ、最後に水前寺が出ていった教室の後ろの扉をにらみつけて、晶穂はいつものひと言をつぶやいた。


「ばっかみたい」


 地鳴りのようなひそひそ話の中で、伊里野はなす術もなく、腕の中のヒマワリの花束を見つめていた。

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