ラブレター 6/19

 言い訳ができるような状況ではない。言い訳などしたところで無駄かもしれない。宇宙から来たエージェントは、自分の周囲をぎ回る人間に対しては容赦などするはずがない。そもそも伊里野がなぜここにいるのか。今は授業中ではないのか、視聴覚室で字幕OFFの『大草原の小さな家』でも見ているはずではなかったのか。決まっている、かばんに何か仕掛けがしてあったのだ。けんきようでなければ見えないくらいの小さなけいかい装置が仕掛けられていて、誰かが鞄を開けたらテレパシーで警報を鳴らす仕組みになっていたに違いない。伊里野はその警報を聞きつけて、自分の正体を探り出そうとするじやな人間を始末するために視聴覚室からテレポートしてきたのだ。きっと今ごろ視聴覚室では時間が一時停止されており、今まさにはなむらの口元から垂れ落ちんとするよだれも机の下で文庫本を読んでいる西にしの視線の動きも、猟銃の暴発でケガをしたおやの助けを呼びに森の中をひた走るローラ・インガルスのスカートのはためきも何もかもが凍りつき、


「どいて」


 は、三たび尋ねることはしなかった。


 あさが半歩よろめいて後ろに下がると、伊里野はだまって机に近づき、引きずり出されたかばんの中身を片づけ始めた。あわてているようにも怒っているようにも見えない。浅羽の存在など頭から無視しているかのような態度だった。


「あ、あの、」


 何か言わなければ、と浅羽は思って、


「五限目は? サボり?」


 伊里野は机の上の物をすべて鞄にしまい、留め金をかけ、ぽつりと、


「──視聴覚室って、どこ?」


「え?」


 伊里野は黙って正面の黒板を指差す。わざわざ振り返らずとも、そこに『五限の英語は視聴覚室』と書いてあることくらいはわかっている。しかし、


「そんなの、みんなの後にくっついていけば、」


「戻ったら、だれもいなかったから」


 いまひとつ意味がわからない。


 すでに知っている事実と伊里野の言葉の断片を推測でつなぎ合わせてみる。英語のきしもとは時間にうるさい。たいてい授業開始のかねが鳴る前に教室に来ているし、遅れてきた生徒に対してはごちゃごちゃとイヤミを言う。だからクラスの連中は早めに教室移動をすませてしまい、昼休みにひとりであちこち出歩いていた伊里野が教室に戻ってきたらもう誰もおらず、そのまま取り残された。


 そういうことなのだろうか。


 腹が立ってきた。


 冷たいやつらだ、と思う。


 が、それを言うなら自分だって同じだと浅羽は思い直す。なかごみたちに取り囲まれてマシンガンのように話しかけられた伊里野が助けを求めてきたとき、「トイレ」とひとこと言い残して逃げ出してしまったのは一体どこのどいつであろう。


 言い訳めいた思考が浅羽の脳裏を満たす。仕方がなかったのだ。自分にはとても、あの場を丸く収めるほどの器量はない。学校の教室を支配する力学というのは良くも悪くも独特で複雑怪奇で、自分だってそういうのは苦手なのだ。それに、中込たちにだって悪気があったはずはない。あれは誰が悪いわけでもない、出会い頭の不幸な事故のようなものだったのだ。


 理屈ではそうだ。


「──あのさ、」


 理屈はさておき、とにかくあやまろうと思った。伊里野を見捨てて逃げ出してしまったことと、もちろんかばんを勝手に開けてしまったことも。なかごみをはじめとするクラスの連中についても、みんな悪いやつではないのだと、そのことだけは言っておくべきだと思う。


「えっと、今朝はその、」


 じやが入った。


 教室の角からふたりを見下ろしていた校内放送用のスピーカーが、「ぶつ」というノイズとともに息を吹き返した。その過激な歌詞がPTA内で物議をかもしているという校歌のメロディが二小節だけ流れ、


『あー連絡します、二年四組の、、』


 そこで声が遠のき、だれかに「伊里野なんだっけ?」と尋ねている。教頭のしろだ。いつもいつもマイクに口を近づけすぎて息を吹き込むようにしやべるので、スピーカーごしに口臭がぎとれそうな気がする。


『伊里野さん。あー二年四組の伊里野加奈さん、なかさんから電話が入っていますので至急、職員室まで来てください、り返します、』


 ──電話?


 あさは「田中さんって誰?」という顔で伊里野を振り返った。


 そして、浅羽はそこに、表情のかすかな揺らぎを見たように思う。


 それは、伊里野が自分の周囲に張り巡らせているぶ厚いかべをも突き破って表に出てくるほどの、強烈な感情の最後のざんだったようにも思う。浅羽がもういつしゆん早く振り返っていれば、その感情の正体を見極めることができたのかもしれない。が、かべ穿うがたれた穴はあっという間に閉ざされてしまい、伊里野は相変わらずの伊里野に戻っていた。


 鞄をつかみ、


「──いってくる」


 浅羽を見つめ、伊里野はそう言った。


 走り出す。


 スカートが波打ち、髪がひるがえる。


 そして、教頭の田代がマイクに最後の鼻息を吹き込み、校歌のメロディを残してスピーカーがちんもくしたときにはもう、教室にいるのは浅羽ただひとりになっていた。


 セミの声が聞こえていた。

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