ラブレター 3/19

 そのはら中学校の廊下は昔から伝統的に散らかっている。かべぎわには教材の空き箱が積み上げられ、ロッカーに入りきらないモップやバケツが並び、いつまでもはがされない「新入部員求む」のり紙はだれかが通るたびにヒラヒラと手招きをする。保健室の入り口はその先、体育館へ続く渡り廊下の手前にあって、「清酒・天王山」というロゴの入った看板が出ているのですぐわかる。去年の学園祭で女子バスケ部がやらかしたお見合いパブのごりだ。扉のわきには「火元責任者・椎名真由美」と書かれた札が下がっていた。


 晶穂は力いっぱい扉を開けて、


「失礼しますっ」


 よろめく浅羽の手を引いて保健室に駆け込み、ちょうど扉の反対側にいた男子生徒三人と正面しようとつしそうになった。


「さーさーもうすぐ次の授業始まるわよ行った行った」


 その三人の背中をしいが両手でぐいぐい押していた。三人のうちの真ん中は去年まで浅羽と同じクラスだったふなで、浅羽に気づいて「よお」と言うなり目を真ん丸にして、


「なんだお前その顔色?」


 まだそんなにひどい顔色なのか、と浅羽は思う。椎名真由美も浅羽の顔をひと目見るなり、


「おっと、こっちは仮病じゃなさそうね」


 うわひっでーおれらだって病人なのにー。船津たちはデレデレした笑みを浮かべながらそう抗議するが、椎名真由美はお構いなしに、


「っさいなもーこのケビョー野郎どもさっさと行けばーか」


 あっという間に三人を廊下にり出して、背中で扉をぴしゃっと閉めてしまった。休み時間のたびに同じようなことをしているので実に手慣れている。


 そのはら中学校の生徒はたいてい、しいを評して「よく見ればすごい美人」と言う。化粧気がまるでない上に服装はいつも白衣なので目立たないのだ。おまけに言葉づかいがひどく乱暴で「けつ」とか「ちんこ」とか平気で言う。夏休みが始まるひと月ほど前に、病気りようようのために長期休暇を取ることになったくろ先生と交代でこの学校にやって来た。男子生徒からも女子生徒からも「もう少しきれいな格好すればいいのに」と言われ続けているが、本人は少しもこたえない。毎日毎日、白衣のポケットに両手を突っ込んで、スリッパをぺたぺた鳴らしながらうれしそうに歩き回っている。


「あの、」


 あきが口を開きかけたそのとき、椎名真由美はいきなり大声でさえぎり、


「待って! 当ててみせるから」


 そう言って、まゆを寄せてあさの青い顔をじっと見つめた。熟考すること十秒と五秒、これに間違いなしとばかりにうなずき、浅羽をびしりと指差してずばりと言い切った。


「シンナー」


「ち、違いますっ!」


 と晶穂は大声を出し、浅羽を横目でちらりと見て、


「違うでしょ?」


「違うよ」


 自分で説明しようと思って、


「──あの、さっき急に気分が悪くなって、吐き気とかして」


 そこで晶穂が口を挟む、


「ほんとにいきなりだったんです、顔色なんか今よりもっと真っ青で」


 椎名真由美は落ち着いている。浅羽を丸に座らせ、自分はその向かいのパイプ椅子に腰を下ろす。


「今も顔色よくないわね。朝ご飯ちゃんと食べてきた?」


 浅羽はうなずき、


「けど、今はもう吐き気もしないし、気分もだいぶ楽です」


「少し寝てった方がいいかもね。先生の方にはあたしが連絡しとくから、クラスと名前は?」


 浅羽が口を開くよりも早く、晶穂が「二年四組の浅羽なおゆきです」と答えた。


 椎名真由美は胸のポケットからボールペンを抜き取り、「二の四の浅羽ね」とつぶやきながらヒモじのめい簿をめくり、ふと眉根を寄せて「浅羽?」とつぶやき、まったくの突然に、


「うそお、浅羽くん!? きみ、浅羽くんなの!? 二年四組の浅羽くん!?」


 浅羽も晶穂も思わずのけぞってしまうくらいの大声でそう言った。


 しいは「は~~~~あなあるほどね~~~~ぇ」と何やらひとり納得し、あさの上で思わず逃げ腰になるくらいに好奇心むき出しで身を乗り出して「へ~~~~ぇそっかそっかぁ、きいみが浅羽くんかあ。ふう~~~~ん」などと言いつつニヤニヤ笑っているかと思ったら、いきなり重大なことを思い出したかのように「はっ」として、


「ってことはきみ、浅羽くんなのよね!? 気分が悪いの!? 大丈夫!?」


 ──何なんだこの人。


 浅羽はただただぼうぜんとするばかりだったが、あきは椎名真由美が慌てふためいているのを見て急に心配になったのか、


「あ、あの、どうかしたんですか?」


「へ? あ、いやいやいや違うの違うのなんでもないの。ええっと、うん、それじゃ浅羽くんのことは引き受けたからあなたは教室に戻りなさい。もう授業始まってるし。ね?」


 椎名真由美は日ごろきたえたワザにものを言わせ、まだ何か言いたそうな晶穂の背中を両手でぐいぐい押して保健室から追い出してしまった。


 ぴしゃりと扉を閉める。


 くるりと振り返る。それまでとはうって変わった険しい表情、


「──念のためにもう一度聞くわね。そのはら中学校、二年四組、出席番号一番の浅羽なおゆきくん。間違いないわね?」


「──はい。そうです」


 口調のあまりの真剣さに浅羽は不安になる。椎名真由美は唇をんで天井を仰ぎ、何かを一心に考え、再び浅羽を見つめてさらに尋ねる。


「急に気分が悪くなって、吐き気がしたのね?」


「──そうです」


 椎名先生は浅羽の向かいにどすんと腰を下ろした。どこか乱暴な手つきで脈を計り、まぶたを裏返してのぞき込む。ふぅ、と鼻から息を吐き、椅子にまっすぐに座り直して、


「じゃあね、これからちょっとした検査をします。わたしがいくつか質問をするから、それに答えてほしいの。普通の問診とは少し違うんだけど、正直に答えてくれないと正しい結果が出ないってところは同じ。わかった?」


 浅羽はうなずく。


 そして、最初の質問はこうだった。


「今日は何月何日?」


 いきなりすぎて答えられなかった。椎名真由美のぎようが浅羽の焦りに拍車をかける。不意打ちなんてズルい、そんなことを思っているうちに時間は一秒ずつ逃げていく。


「あ、その、だから今日は、そう、二学期最初の日だからつまり、九月の一日」


 十秒もかかってやっとそう答えた。


 息つく間もないタイミングで次の質問が飛んできた。


「何か持病はある?」


「え。あ、ないです。ありません」


「じゃあ、いつも飲んでる薬とかはないのね?」


「ええと、ビタミンCとかたまに。粉の。おやがそういうの好きで」


「Cって、アスコルビン酸?」


「あー、えっと、詳しくはわかんないですけど」


「17足す26はいくつ?」


 また油断していたので、今度は二十秒くらいかかってしまった。


「──さん、じゃなくてよんじゅう。43? あ、あの、もう一回最初からやり直しとか、」


「何かアレルギーはある?」


「へ? いや、ない、と思います」


「校長先生の名前を答えて」


「、むらやまかん


 今度はどうにか即答できた。得意になっている間もなく、


「気分が悪くなったとき、ひどいめまいがしなかった?」


「えっと、はい」


「顔や手足が冷たくなったりは?」


「しました。今は平気ですけど」


 そして。



「六月二十四日は何の日?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます