ラブレター 2/19

 そう言った手前、本当にトイレに行った。


 ひとり個室にこもった浅羽は、誰もそこまで見ちゃいないのに、ご丁寧にもズボンとパンツを下ろして便座に座った。どうやら、ついてしまったウソは可能な限り小さくあつしゆくしておきたいらしい。


 そして、ケツ丸出しのままで悩んだ。


 九対一くらいの割合で、自分のことが情けなく、伊里野のことが腹立たしかった。


 が、悩み始めてまだいくらもしないうちに三限目開始のかねが鳴った。浅羽は深いため息をつき、下げなくてもよかったズボンを上げ、流さなくてもいい水を流し、洗わなくてもいい手を洗ってトイレからよろぼい出た。


「超腰抜け」


 そこをあきに待ち伏せされていた。


「な、何がだよ」


 虚勢を張った。ごとだと思って、じゃあどうすればよかったって言うんだよ──そう言ってやりたい気もしたが、あきが何だかこわい顔をしているので余計なことを言うのはやめて、


「──かねも鳴ったし、もう教室戻らないと」


 晶穂はまったく取り合わない。


「あの子と知り合いなの?」


「いや、そういうわけじゃないけど、」


 そこから先は、呼吸もできないくらいに言葉がにごる。


「じゃどういうわけ?」


 とにかく、ここは晶穂の追及をかわす以外にない。


「ほんとに知らないって。ぼくは夏休みの間ずっと部長と山ごもりしてたし、あの子はつい最近外国から戻ってきたばかりだってかわぐちが言ってたろ?」


 晶穂はうたぐり深い目つきであさをじっとにらみつけ、いきなりこう言った。


「プールね」


 口から心臓が飛び出すかと思う。


「一限目が始まる前に浅羽、スクール水着がどうしたとか聞いてきたもんね。それに浅羽は部長と違って、山ごもりの間もときどき家に帰ってたもの。市営プールかどこかであの子に会ったわけね。で、そのときのあの子の水着にはまだ名札がついてなかったわけね。ヘー。そうなの。ふーん」


 まあ、晶穂がそう思うのならそれでいいや、と浅羽は思った。


 疑問に一応のオチがついたせいか、険しかった晶穂の表情にも若干の余裕が生まれ、


「あの子日本語苦手なの? 話とかした?」


 西にしと似たようなことを言っている。あのもくさに帰国子女という説明が加われば、だれしも思うことは同じであるらしい。


 頭がくらくらする。


「さあ──」


 足がふらつく。


「何よそれはっきりしなさいよ。話くらいはしたんでしょ? そのとき──、ねえ、ちょっと浅羽、大丈夫? 顔が真っ青だけど」


 いきなりだった。


 天地がひっくり返るようなめまいにおそわれて、あっという間に立っていられなくなった。その場にしゃがみ込む。強烈に気分が悪い。乗り物酔いとインフルエンザが一緒になったような感じ。き出すような吐き気をけんめいにこらえる。


「大丈夫!? ねえ浅羽どうしたの!?」


 晶穂が大さわぎしている。強烈なきようさくを起こした視界のすぐ外で、廊下を行き交う生徒がおどろいて足を止める気配がする。大声出すなよみっともない、と心のどこかでちらりと思うのだが、それを口に出すだけの余裕はどこにもない。冷たい汗が顔じゅうにき出てくる。


 何度も深呼吸をした。


 そして、始まったのと同じくらい唐突に、気分の悪さは急速に引いていった。


 どうにか立ち上がった。ひたいの汗をぬぐい、自分の顔の冷たさに自分でびっくりする。めまいがかなり尾を引いてはいるが、それでも気分はずいぶんましになってきた。


「なおった」


 あさはそう言った。が、あきの目から見れば、浅羽の顔色は真っ青を通り越して真っ白だった。晶穂は浅羽の手をぐいとつかみ、


「なおってない! 保健室行こ! あたしがついてってあげるから!」


 確かに、保健室には行った方がいいと思う。


 それでも、晶穂に付き添ってもらうほどではないとも思う。


「ひとりで行けるって、授業始まるから教室戻れよ」


 晶穂はまったく取り合わない。浅羽の手を引っぱってずんずん歩き始める。

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