ラブレター

ラブレター 1/19

 そうに決まっていた。


 あの子は宇宙人だ。やっぱり部長は正しかった、そのはら基地はUFOの基地なのだ。宇宙のなたからやって来たUFOが秘密裏に着陸するための場所なのだ。宇宙人と政府の偉い人たちが同じテーブルで話をしているのだ。来るべき「開戦の日」に備えるために、政府の偉い人たちは宇宙人の進んだ技術を手に入れようとやつになっているに違いない。ところが、宇宙人たちはヘリウムガスを吸ったような声で「アナタ方人類ガ戦争ノ放棄ト世界平和ヲ実現シタソノ暁ニスベテノ技術ハ提供サレ、地球ハ宇宙社会ノ一員トナルノデス」とか何とか言うのだ。どの本を読んでもそうだ、宇宙人というのはなぜか地球の平和をすごく気にするのだ。宇宙人たちは北の偉い人たちとも同じような話をしているに違いない。戦争がいつまでたっても始まりそうで始まらない理由もそれだ。どちらの陣営にとっても宇宙人の技術は決定的な切り札になり得るから。事を起こすのならそれを手に入れてからにしようと両方が思っているから。こうちやく状態は長く続き、そして宇宙人たちはついに具体的な行動に出た。人類社会のありとあらゆる場所に人間に化けた無数のエージェントを放ったのだ。彼らの任務はひとつ、人類の本性をその目で直接確かめること。果たして人類は平和を愛する知的な種族なのか、それとも同胞殺しに明け暮れる野蛮な種族なのか。もし調査の結果が後者と出れば、地球はすぐさまUFOの超兵器で木っ端じんにされてしまうのだ。絶対そうだ。と名乗るあの女の子もエージェントのひとりなのだ。


「中学生」担当の。



 授業の内容など、まるでおぼえていない。


 二限目終了のかねは鳴り、いいづかは墓場に帰り、右肩上がりの数字の群れは黒板拭きに一掃された。それでも思考の泥沼から抜け出せない、開いただけで結局は一文字も書き取らなかったノートの白を見つめ、消しゴムのなくなった安っぽいシャーペンをだらしなく握りめたまま身動きもできない。あさはただひとり、休み時間からも現実からも切り取られ、出来の悪いコラージュのごとく窓際の席にべったりとりつけられ、頭の中の黒板に書き込まれた『伊里野加奈』の文字をいつまでもどうしても消すことができずに


「おい浅羽!」


 ひたいを小突かれた。目の前にはなむらの顔がある。に後ろ前に座り、大げさに身を乗り出し、浅羽の顔を下からのぞき込んでむひひと笑う。


「なんだよボケっとして。ひょっとしてあれか、『あいつは気になる転校生』の巻か?」


 図星と言えばまあ図星だ。が、ここまでとんちんかんな図星もそうはない。


「う、うるさいな」


 西にしがいきなりあさの両肩にぽんと手を乗せ、


「まあ、ほどほどにしとけよな。新聞部に勧誘なんかしたらどうに刺されるぞ」


 浅羽はさらにうろたえる。西久保の手をふりほどいて、


「あ、あきは別に」


 はなむらはどかりとほおづえをつく。うすら笑いを浮かべ、痴漢の指先にも似たワイセツな目つきで教室の後ろをじっとりとまさぐり、


「だめだめ。あれは新聞部ってタイプじゃない。『そのはら電波』じゃなおさらだ」


 西久保が花村の視線の先をたどり、「まあ、そうかもな」とつぶやく。浅羽もまた、腹の底でひそかに勇気を振り絞り、顔を上げ、ゆっくりと教室の後ろを振り返る。


 いる。


 教室の一番後ろの、廊下側から二番目の席。そのとなりに、つい一時間ほど前までは存在していなかったはずの「廊下側から三番目の席」があって、夢でも幻でもなく、そこにが座っている。


 ただ、座っている。


 何をするでもなく、何があるわけでもない机の上に、ろくにまばたきもしない視線をじっと落としている。人に捕らえられても抵抗しない、しかし決して人にれることのない動物のような雰囲気。



 ──伊里野、加奈です。



 あー、聞いておどろけ。伊里野くんは帰国子女だ。


 ぺこりと頭を下げた伊里野の隣で、かわぐちたいぞう三十五歳独身はそう言った。


 河口はさらに、カエルの解剖なみに無神経な口ぶりで、伊里野の来し方についてひと通りの説明をした。両親はすでに他界、航空自衛軍に勤務する兄とのふたり暮らし、その関係で長らく海外の軍事基地で生活してきたが、兄の園原転属を機に帰国、現在の住まいは園原市園原基地居住区画。──そうか忘れてた、机がないな。おい日直、用具室までひとっ走りしてと机持ってきてくれ。あー、そういうわけだから、伊里野くんはまだ日本の学校生活のあれやこれやに不慣れな面もあるかと思う。そのあたりについてはみんなで色々とアドバイスなどしてやってほしい。わかったな?


 わからなかった。


 河口の説明が、まるっきりのうそであるとは思わない。



 しかし、その説明は、ゆうべのプールでの出来事とまったくみ合ってはくれない。最初からやけにさわがしかったパトカーのサイレン、プールの水面をじっと見つめていたの細い肩、兄貴と名乗るなぞの男の出現、プールを包囲していた黒服の集団、その後のおくの断絶、


 そして、今はリストバンドに隠されている、銀色の、



 ──なめてみる?



「──電気って、なめると味がするのかな」


 あさのつぶやきにはなむら西にしは顔を見合わせ、ふたり同時に、


「はあ?」


「え? あ、いやその、」


 西久保が背後から浅羽の髪の分け目を両手でぐいと押し開いた。


「お前さ、山ごもりで脳ミソまで日に焼けちまったんじゃねえの?」


 浅羽が「やめろよばか」と西久保の手をふりほどく。そのとき花村が、


「おい見ろよあれ。どこのクラスの連中だあいつら。もううわさが伝わってんのかな」


 教室の入り口の扉から、どこかよそのクラスの男子生徒たちが顔をのぞかせていた。実に物欲しげな目つきで伊里野の方をじろじろとながめている。花村がひひひと笑い、


「まるでトンビに油揚げさらわれましたってツラだな」


 それを聞いた西久保がいきなり「あ」という顔をした。


「──そっか、そうかそれだ。思い出した。あいつらたぶん一組の連中だ」


 浅羽と花村は「なにそれ」という顔をする。


「いやだから、トンビに油揚げだよ。一組のがみってやつ知ってる? おれあいつと知り合いなんだけどさ」


 浅羽は首を振る。花村は「知らね」と答える。西久保は早口に、


「夏休みの前に奴が自慢してたんだ。休み明けに女の子の転校生が来る予定だって」


 浅羽よりも早く花村が、


「──え、じゃあの伊里野って、ほんとは一組に編入される予定だったってこと?」


「たぶん。さっきだってかわぐちがほら、あいつの席用意してなくって日直に取りに行かせたりしてたしさ。前々からうちのクラスに来るって決まってたんなら席くらいあらかじめ用意しとくだろ普通。何かの事情でいきなり予定が変わったんだよきっと」


「何かの事情って、どんな?」


「そこまで知るか」


 何かの事情。そのたったひと言が、今の浅羽にとっては途方もなく重い。そのあまりの重さにうつむき、恐るべき想像が再び頭の中でとぐろを巻き、健康に悪い感じの汗が背中の真ん中をひそかにいずり落ちていく。


 やはり、きっかけはゆうべのプールの一件なのではないか。


 ひょっとすると、「最初に出会った中学生だから」とかそんな理由で、自分はの「重要調査対象その一」に指定されてしまったのではないか。自分の一挙手一投足が人類の運命を左右するのだろうか。どうしようどうしよう。調査するなら別のだれかにしてほしい。西にしとか。はなむらだとちょっとまずいと思う。部長なんかが調査対象に選ばれたら人類滅亡五秒前だ。


 西久保と花村はあさのそんな苦悩をよそに、伊里野を眺めながら口々に、


「──なんか、へんなやつだよな」


「かわいいから許す」


「ひょっとして、日本語あんまり得意じゃないのかな」


「かわいいから許す」


「お、お。見ろよあれ。あいつら敵前上陸するつもりだぜ。さすがは級長サマ」


 聞き捨てならなかった。


 反射的に背後を振り返ると、二年四組学級委員長のなかごみかんとする女子生徒四人のなかよし連合艦隊が、「伊里野」島めがけて机ととひそひそ話の海原を果敢にしんげきしていくところだった。伊里野は敏感に「敵」の出現に気づき、の距離が机三つ分を割ったところで不意に顔を上げ、まるで表情の読めない視線をひたと中込に据えた。が、それでも中込はひるまない。周囲のだれもが事の推移を目の端で追いかけ、会話を聞き漏らすまいとして声を落とし、教室から休み時間のけんそうが溶けるように引いていく。中でも浅羽は気が気ではない、やめろ中込、ぼくらの地球をどうするつもりだ。


 そして中込は、伊里野の目の前に立った。


 第一声。


「──あ、あのね、」


 失速。そこで中込はひそかに深呼吸をして、だいぶ無理をしている感じの笑みを浮かべ、


「わたし、中込真紀子。わたし級長だから、わかんないこととかあったら何でも聞いてね」


 伊里野は、まったくの無言。


 さしもの中込もたじろぐ。その他三人があわててそのフォローに入る。次々と名乗ってその場しのぎの波状攻撃。前はどこに住んでたの? あたし英語苦手だから教えてね。わたしも小学校のときに転校してきたの。お兄さんってかっこいい?


 伊里野は、うつむいてしまった。


 そのことが中込たち四人の「なんとかしてあげなければ」という気持ちをあおるのか、さらなる言葉が矢継ぎ早に飛び交う。それでも伊里野はちんもくを守り通す。こうなると四人も伊里野だけに話しかけるだけでは間がもたなくなって今度は仲間同士で話を始め、ときどき「ね?」と伊里野に振る。が、伊里野はそのたびにますますざんごうの奥深くへと逃げ込み、それを追う中込たちもいつしか引き際を見失っていた。見ている方の胃が痛くなるような、あさにとってはそれこそ髪の毛が真っ白になってしまいそうな、だれにとっても長い長い長い、しかし実際にはトイレに行って帰ってくる程度の時間がじわじわと過ぎていき、


 そして、ついにが顔を上げた。


 なかごみたちの会話が途切れ、教室中がこつに伊里野の次の行動を注視した。伊里野はそのことにひるみ、おぼれる者の視線を教室の中にさ迷わせ、その視線はやがて、とある窓際の席を探し当てて止まった。


 ざわめきが満ちていく。


 誰の目にも明らかだった。



 伊里野は、まるで助けを求めるかのように、はっきりと浅羽を見つめていた。



「おい、」


 はなむらが小声でつぶやく。西にしは横目を使う。


 それでも浅羽はしばし無言でいた。二限目からずっと手にしたままだったシャーペンをぱたりとノートの上に置き、静かにを引いてゆっくりと立ち上がる。


 そして、伊里野から今度は自分へと感染してきた衆目の真っ只中で、誰に言うともなしに、浅羽はこう言った。


「トイレ」

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