第三種接近遭遇 7/9

「で?」


 ため息をつくにはまず息を吸わなければならない。息を吸えば、その匂いがどうしても鼻につく。湿っぽい雑巾と粉々に踏み砕かれたチョークの匂い。それは教室の匂いであり、学校の匂いであり、夏休みが過去のものとなったことを意味する匂いであり、二学期第一日目の匂いだった。


「マジで? お前ほんとに夏休みの間ずっとそのはら基地の裏山にいたの?」


 窓際の机の上にぐったりと突っ伏して声も出さず、組んだ腕にあごをこすりつけるようにうなずくと、机のわきに立って浅羽の顔をのぞきこんでいた西にしは、


「ばっかじゃねえの」


 というひと言で浅羽の夏休みを総括した。


 予想通りの展開でかわぐちにごってり油を搾られ、一限目の現国を最初から最後まで右から左へと聞き流して、命からがらたどり着いた本日最初の休み時間だった。


「やっぱあれ? 山ん中にテント張ってはんごうすいさんとか?」


 本当にそんなバカなことをやっていたのかお前は、とでも言いたげな口調で西久保は尋ねる。浅羽はぼんやりと、めんどくさそうに、


「──部長が軽トラ持ち出してきてたから、しょっちゅうコンビニなんかに買い出しに行けたしね。だから、コンビニ弁当とかレトルトカレーとか」


 実際、コンビニの弁当は全種類をあらかたせいしてしまったし、レトルトカレーはしばらくは見るのもいやだった。あきがときどき差し入れを持ってきてくれたのは本当にありがたかったと今になって思う。


「それに、ほんとにずっと山の中にいたわけじゃないよ。三日か四日にいっぺんくらいかな、普通のメシ食いたくなったり入りたくなったりしたら家に帰ってた。部長はずっといたみたいだけど」


「え? じゃ、部長ドノは夏休みの間ずっと風呂なし?」


「まさか。あの裏山をおおつきだいの方にちょっと下ったところの、ええっと、野球場とかある」


 西にしも首をひねって、


「なんだっけ。なんとかかんとか記念スポーツ公園、だよな」


「そうそこそこ。あそこの水道でぎようずい。そりゃそうだよ。特殊部隊じゃあるまいし、あそこの水道とトイレがなかったらぼくらだけでひと夏ずっと山にこもるなんてそもそも無理だよ」


「けど行水って、あそこ結構人いるだろ」


「昼間はね。夜になればアベックの車がたまにいるくらい。部長は昼間でもお構いなしだったけど」


 さすがだ、と西久保は笑う。あさもつられて笑みを浮かべる。


「要するにキャンプしてたんだな。実は結構楽しんでたんじゃねえの?」


 まあね、と浅羽は答えた。


 のどもとを過ぎて、いやなことのおくうすれかけているせいかもしれない。


 が、それだけではないと思う。


 丁寧に思い返してみれば、「全然面白くなかった」というわけではないような気がするのだ。


 タヌキのけにも成功した。


 夜中のスポーツ公園でゆさゆさ揺れている車をばくちくで「取材」したりもした。


 そして、それよりも何よりも、「仲間以外はだれも来ない山中に『秘密基地』を構えて『敵』を見張る」という計画には、白状する、正直心がおどった。このとしになって秘密基地ごっこをするハメになるとは思わなかったけれど、部長はいい歳をこいてそういうことを心から真剣にやってしまう人だ。半ば無理矢理という部分はあったにせよ、ひとたびその中に飛び込んでしまえば「気持ちいいしゆんかん」は間違いなくあったのだ。


 そう悪い夏休みではなかったのかもしれない。


 しかも、最後の最後になって、無茶なことをしてやろうという気になって、


 プールに忍び込んで、


 そして、


「おい」


 西久保に肩を突かれ、浅羽は我に返った。


「んだよ、ぼーっとして」


「ごめん。なに?」


「──だからさ、UFO探しにそのはら基地の裏山にこもったんだろ? 写真の一枚くらいはれたのかよ?」


 まさか、とあさは笑って、


「死体を埋めに来たやつと出くわす確率の方が、まだしも高かったと思うよ」


 なんだつまんねー、西にしはそうつぶやいて、浅羽の山ごもりについてきようを失いかけたそのとき、


「あ、でもおれその話聞いたことある」


 浅羽の前の席のはなむらが、に後ろ前逆さまに座り直して話に割り込んできた。これまでの話をずっと背中で聞いていたらしい。


そのはら基地はUFOの基地だってうわさ、かなり昔からあるみたいだよ」


 西久保はいかにも疑わしそうに、


「おれだって聞いたことくらいはあるけどさ、でもそりゃあれだろ? ステルス機とかの見間違いだろ? 園原だけじゃないって聞くぜ、その手のUFO話。でっかい飛行場のある街ってのはUFOのもくげき談も多いんだよ。特に園原基地なんて航空自衛軍と米空軍の寄り合い所帯だしさ、いつもと違うへんな時間に飛行機とばしたりすることもあるだろうしさ、UFOと見間違えられてさわぎが起こったって『あれは実はうちの飛行機でした』なんていちいちアナウンスしたりもしないだろうしさ」


「部長の受け売りだけど、」


 浅羽が、ふと口を開いた。


「園原基地の近くで目撃されるなぞの飛行物体は、『園原基地エリア・ソノハラ幽霊戦闘機フーフアイター』って呼ばれてて、UFOマニアの間じゃ結構有名なんだって。そっち系の雑誌なんかにはよく載ってるしね。フーファイターってのはもともとは第二次大戦中の連合軍の飛行機パイロットが目撃した謎の飛行物体のことでさ、最初はドイツや日本の秘密兵器じゃないかって思われてたんだけど、戦争が終わってみたらドイツや日本のパイロットもやっぱり同じようなものを見て『あれは連合軍の秘密兵器だ』って思ってたってことがわかってさ。結局、今では何かの自然現象か、集団幻覚みたいなものだったんじゃないかって言われてる。もちろんUFOマニアにとっては、『フーファイター』って言えばUFOの別名なんだけど」


 西久保も花村も、半ば感心、半ばあきれ顔で浅羽の話を聞いている。


 浅羽は二人の表情に気づいて、


「──部長の受け売りだけどね」


 ばん、と西久保が浅羽の肩に手を置いた。


「素直になれ浅羽」


「な、なんだよそれ」


「いいからいいから。それで? 部長が言うには、園原基地エリア・ソノハラの何とかの正体は何だって?」


「──さあ。部長って、細かいんだかおおざつなんだかよくわかんない人だしね。ちゃんと聞いてみたことないけど、案外、正体なんかどうでもいいって思ってるかも」


「じゃお前はどう思ってんだよ」


 何となく追いつめられているような気がして、


「UFOマニアの間で一番有力、っていうか定番なのは、『園原基地がマン・メイドのUFOを飛ばしている』って説なんだよね。アメリカでも似たような話があるし。ついらくしたUFOを回収して、その技術をしてすごい性能の飛行機が作られてるっていううわさ。それかも」


 はなむらがおかしそうに、


「じゃあさ、いよいよ戦争になったらそういうUFOせんとうがびゅんびゅん飛び回ったりするわけえ?」


 西にしあきれたように、


「そりゃお前、ただの『すごい性能の飛行機』ってだけなんじゃねえの? なんでそこにいきなり『墜落したUFOから得た技術』が出てくんだよ」


 自分がバカにされた気がしてあさは内心むっとする。しかし、浅羽としても『マン・メイドUFO』説を頭から信じているわけではない。なんだかぎやくてきな気分になって、


「──そうだ、写真ならあるよ。フーファイターの。パソコンのプリンターで印刷したやつだけど。結構有名な」


 そう言って、かばんから取材用のバインダーノートを引っぱり出した。ファイルの中身をごそごそとかき回し、


「んーと、あったあった。これ」


 見るからにウソ臭いしんれい写真の束に混じっていた、しわくちゃのプリントアウトを机の上に広げた。


 西久保と花村が身を乗り出す。


 モノクロでぼけぼけの、説明されなければ何が映っているかもよくわからない、UFO写真の典型のような一枚だった。


 西久保がまず、


「何だこれ。どっちが上だ?」


「こう」


 浅羽はプリントアウトを西久保の方から見て正しい向きに直した。


「今年のはじめごろにネットに流れてちょっと話題になったやつだよ。このへんが地面でこのへんが空で、この真ん中のぼやっとした影がフーファイター。さつえい者は不明」


「で、ここにいるのが雪男でこっちのはネッシーだな」


 花村がちゃちゃを入れるが、西久保は意外と真剣にプリントアウトを見つめている。「フーファイター」の影を指差し、


「これ、よくたんとうの光か?」


 あさは「さあね」と首をかしげ、


「これ、たぶん第四エプロンの西側の、ぼくと部長がいた裏山からそう離れていない場所からったんだと思う。この画像ファイルと一緒にムービーもネットに流れてたんだけど、そっちはこれなんかよりもっとぐちゃぐちゃで何がなんだか全然わからない」


「──これ飛行機だろぉやっぱ。だいたいこんなボケボケ写真じゃ何も説明つかねーだろ」


「まあ確かに、UFOの技術うんぬんは別にしてもさ、開発されたばっかりの秘密兵器のテストをやってるとかさ、そのくらいならあってもおかしくないと思うんだ。ほら、もうすぐ戦争になるって話だし」


 もうすぐ戦争になる。


 それは、浅羽たちの世代にとっては一種の冗談のような言葉だった。生まれる前から「もうすぐだ」と言われ続けて、そのくせテレビのニュースの中でり合いがり返されるばかりで、いつまでたっても一向に始まらない「本物の戦争」。


「ならねーだろ、戦争」とはなむら


「ならないかな、戦争」と浅羽。


 そこで西にしが、


「でも、北へのくうばくって最近また始まったんだろ。今朝のニュースでどっかの大学教授か何かが今度こそヤバいとかって言ってたぜ」


 しかし花村は切って捨てる。


「そんなのいつものことじゃん。でもさあ、戦争なんてほんとは起こらないんだとしたらおれらみんなバカみたいだよな。学校にまでシェルターこさえちゃってさ、月に一度のなん訓練なんかやっちゃってさあ」


「浅羽」


 浅羽と西久保と花村が同時に顔を上げた。


 あきだった。

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