#3

 ショウスケによれば、少女の父親と思われていた男性は父親ではないとのこと。

 ショウスケは断言した。その理由をフミハルが訊ねてみると、以前少女と付添いの男性が図書館の外に設置されたベンチに座ってお菓子を食べていたことがあったと言う。その時に男性が「パパには内緒だよ」と言ってお菓子を渡し、少女は「うん、わかった」と返していたと言う。

 その話が本当だとすれば少女と一緒にいる男は誰なのか。


「近頃何かと物騒だからな」


 アキラの言葉に最悪の事態を考える。

 そして一番最初に浮かんだ言葉は――誘拐だった。

 お菓子で子どもを釣って誘拐。強引に誘拐するよりも抵抗される危険性も少なくて済む。それにあの子はお嬢様学校に通っている。家は裕福であることは疑いようがない。身代金も充分に期待が出来る。


「いや、まさかな」


 フミハルはぎった考えに頭を振った。

 考え過ぎだ。誘拐なんて大事件はそう簡単に起こるものではない。

 一般人たるフミハル――ただの大学生は犯罪に巻き込まれることなど一生のうちに一度あるかないかだ。だが、フミハルには不安要素もあった。大学生になってからというもの大事件なんてことはないにしても、事件に巻き込まれることが増えた。

 今のフミハルであれば、誘拐などという一生に一度あるかないかという大事件に巻き込まれてもおかしくない。

 

「そう言えば、前に男性の方が電話で話しているのを聞いたな」


 ショウスケは記憶を探るように額に手をやり指で叩く。

 目を見開き「思い出した」と言って声のトーンを上げて話し出す。


「あれは一昨日の事だったけど、僕が煙草を吸っていると男性が電話をしている声が聞こえてきたんだ」

「煙草って仕事中ですよね?」

「休憩中にだよ。館内は火気厳禁だからね。煙草は外で吸わなくちゃいけないんだ。面倒だけどね」

「続き話してもいいかな?」


 尋ねはするが、フミハルたちの返答は待っていないのだろう。ショウスケは返事をするよりも早く喋り始めた。


「まあ、僕も真剣に聞き耳を立てていたわけじゃないから所々不鮮明なところもあるけど、確か「車じゃないとダメ」とか「車で待つ」とか聞こえてきたな」

「車で連れ去る算段を付けていたとか?」

「いや、さすがに飛躍しすぎじゃないか?」

「「「うーん」」」


 三人は首を傾げて互いに見合った。


「完全に行き詰ったな」

「まあ、突飛押しもない推測だからね。学生の想像力で作り上げたストーリーじゃこの辺りが限界だよ」

「いいやいや、本田さんも結構ノリノリで話してたじゃないですか」

「僕は大人として学生たちに付き合ってあげていただけだよ」


 両手を広げたショウスケが芝居臭い口調で言う。

 

「本田さんって人が悪いよな」


 アキラが耳打ちする。

 フミハルは「知ってる」と短く返す。

 するとショウスケは「二人とも聞こえてるよー」と注意する。

 別に聞こえたとしても今後の生活には差し支えないので面と向かって「本田さんは性格悪い」と断言する。


「ほんとに君は僕に対して厳しいよね。何か嫌われるようなことしたかな?」


 本当にわかっていないのか? 自分の胸に手を当てて考えてみろと言ったところでショウスケはとぼけるだけだろう。確信犯とは厄介なものだ。

 フミハルは諦めて無視することに決めた。


「でも結局あの子と男との関係性が見えてこないな」

「普通に近所のお兄さんとかじゃないか?」

「近所のお兄さんと毎日のように図書館に来るか?」

「来ないことはないだろ?」

「でもウチの大学の図書館には来ないだろ」

「確かに通うなら市立図書館とか県立図書館に行った方がいいな。どっちもここからそう遠くないしな」


 アキラは表裏がない。故に時折辛辣な言葉を無意識のうちに吐いてしまう。

 目の前に司書がいるというのに他の図書館と比べて評価を下す。予算の面から考えても附属図書館が敵う余地はないのだが、その辺りのところはぼんやりとさせておくに越したことはない。

 ところが、


「だよね」とショウスケは意に介さないといった様子で笑う。

「本田さんはそんなこと気にしませんよね」


 そう、本田ショウスケという人間は人前に出ることを嫌う。そんな彼からしてみれば、普段はほとんど人の来ない附属図書館は最高の仕事場と言える。人が来ないと言われてもショウスケにとっては職場の良い点――長所である(あくまでショウスケにとって)。


「三人ともどうしたの?」


 アキラに抱きつくように身体を預けながらフミカが言う。

 

「どうもフミカさん」

「こんにちは、棚本くん」

「いらっしゃい」

「大盛況ですね本田さん」


 カウンターに殺到――という程ではないが、人の列が出来ている。


「本田さん。お仕事に戻られた方が良いのではないですか? シオリさんだけでは捌ききれていないように思いますけど、違いますか?」

「……そうだね。そろそろ仕事に戻るかな」


 首を回しながら大きく息を吐き出す。とことんやる気がない。腕時計に目を向けるとチッと舌打ち。次の休憩時間までの労働を考えて思わず出たのだろう。

 カウンターに向かうショウスケの足取りは重い。


「ほんとに本田さんって大学附属図書館ここに就職できてよかったよね。他の図書館だったら絶対にクビ切られてるよね」

「クビになる前にやめてるかもね」


 フミハルはアキラとフミカの会話を聞きながら「そうだろうな」と思う。

 カウンターに入ったショウスケは先程までの威勢の良さは影を潜め、ぼそぼそと耳を寄せねば聞き取れないような声で話す。


「お……ちの……客様。こちら……どうぞ」


 何を言っているのか全くわからない。カウンターに並ぶ人とたちもショウスケの声ではなくデスチャーを見て動いているようだ。

 困った人だ。フミハルは苦笑いを浮かべる。


「ところでみんなして何の話をしていたの?」


 フミカの問いにアキラが「あそこにいる女の子についてだよ」と言って視線を向けた先には少女の姿はなかった。

 辺りを見回して探してみるものの姿は見当たらない。

 アキラはしきりに首を傾げて「おかしいなぁ」と呟いている。


「もう帰ったんじゃないの? 女の子っていつもお父さんと来ている子でしょ?」

「でもあの子いつも帰るときは、さようならって言って帰るよね?」

「そう言われてみれば確かにそうね! 可愛らしいって話したことあったわ」


 少女のことを思い出すついでに、フミカは図書館に来る道すがら、少女といつも一緒にやって来る男を見たことを思い出す。

 その際に「警察が……――車で……」となにやら慌てた様子で電話を掛けていたと言う。

 これは本格的にフミハルの直感が当たっていたのではないか!?

 やはり男は少女を誘拐、警察が来る前に車で逃走。そんな段取りを共犯者と話していたに違いない。

 現在進行形で誘拐事件が発生しているかもしれない時にも、それを知らない人たちにとっては普段通りの日常が続いている。

 シオリはいつも以上に手早く貸出処理をこなしている。

 その隣でショウスケは慣れない貸出作業に悪戦苦闘していた。

 それも見かねたシオリが、プレゼントキャンペーン用の本を取ってくるように指示を出す。

 ショウスケはその指示に従って裏へと消える。

 傍から見ているとどちらが先輩なのかわからない。


 それにしても、


「ますます怪しいなあの男」

「まあ、確かに怪しくはあるよな」


 アキラはフミハルに同意する。

 アキラと腕を組むフミカは「そうかな?」と口を一文字に結ぶ。

 そんなやり取りをしている間に裏手から本を抱えたショウスケが現れる。

 プレゼント用の絶版本だろうか。

 

「あっ」と小さな声を上げてフミカが想起する。

「あの二人もキャンペーンでプレゼント貰ってたよ。その時女の子の方が児童書はどこにあるのか? って訊いてたよ」

「児童書? シオリさんのチョイスじゃないな、ソレ」

「まあ、本田さんだろうな。シオリさんとあの人しか附属図書館ここに司書しないし」

「あの人の趣味か?」

「うーん、趣味って訳じゃないと思うよ。児童書だけじゃなくて実用書とかいろいろなジャンルの本を用意しているみたいだから」

「あ、ほんとだ」


 プレゼント本と書かれたチラシ(ご自由にお取りください)には、プレゼントとして用意した本の一覧が記載されていた。


「何だこの統一性に欠けるラインナップは!?」

「在庫一斉処分みたいな感じだな」


 シオリは小説をプレゼント本として選択したようだが、ショウスケは不要となった本を片っ端から選んだようだ。

 シオリの選んだ小説はどれも子どもが読むには難しすぎるように思われた。

 対してショウスケの選んだ本の中には児童書やイラスト集と言った子供でも比較的に読みやすい(手が出しやすそうな)ラインナップになっていた。


「まあ、この選択肢だったら子どもは児童書を欲しがるんじゃないか?」

「確かにそうかもしれないけど、引っかかるのよね」

「何に?」

「それがわからないのよね」


 フミカは、さじを投げたと言わんばかりに肩をすくめて見せた。

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