気丈に振る舞う依子さん
「もうほんと予測不能なんだから……」とボブは目眩がしたかのように額を手で押さえる。
「っていうか囮? あなたこそなにか命令を受けてるの?」
ボブは気遣わしげな表情を浮かべた。担当官であること、そして一人の人間として心配してくれているのが伝わり、依子はわずかに微笑む。
「単なる推測。たーくんを捕まえるために私を利用すると思ってたの」
依子は簡潔に説明していく。
現在の太一は組織から追われる身だ。元老院は妖力の遮断という未知の力を危険視しているが、だからこそ彼の捕獲を望むだろう。能力の根源を解析する、そして彼の正体を確認したいと考えるのが筋だ。
そうなれば有効なのは、恋仲にあった自分を餌にする方法だと依子自身は考えていた。
聞き終えたボブは先程よりも更に気遣わしげな目をしていた。
「あの、依ちゃん……それ話して大丈夫?」
言いながら彼はまたちらりと部屋の隅に視線を送る。何を心配しているのか依子は察した。
「録音のことなら聞かれても平気だと思うよ。この段階で私に何の接触もないし、囮にする作戦は可能性がないってことだから。考えを喋ったところで罪にはならない」
そう言うとボブはホッとしたように肩の力を抜き、次いで苦笑いを浮かべた。
「でもまぁ、わたしが監部課でも囮にはしないでしょうね」
「どうして?」
「一年間ずっとたーくんたーくん言い続けてる状態を見せられてるとねぇ。なにしでかすかわかんないって思うわよ。滅怪士は新陳代謝も高いから下手な洗脳はまるで効かないし、あなたの制御をしくじれば大事になる」
「私が命令違反すると思ってるの」
「今まさにそう考えてたでしょ」
図星を突かれた依子は真顔になる。ボブは吹き出した。「もうちょっと隠しなさいよ」と依子の肩を叩く。
「上もわかってるってことよ。たぶん、前までのあなたなら迷わず使ったんでしょうけど」
「前の私? 変わったつもりはないんだけど」
「あなたはそうかもしれないけどね。でも周囲はかなり動揺してるのよ? 前のあなたは物静かで冷徹で、悪くいえば機械のように正確だった。それがこんな本性を隠してたなんて、誰も気づかなかった」
「隠してたつもりは、ないんだけど」
今までは任務をこなす日々を淡々とこなしていた。話し相手がいなかったということもあるが、意識して本性を潜ませていたわけではない。
あるいは無意識のうちに自分を殺して生きていたのだろうか。
だとすれば枷が外れたキッカケはきっと、太一との出会いなのだろう。
考え込んでいると、ボブが優しげに声を掛ける。
「彼氏のこと、心配なのね」
「……うん」
「そう」
彼はそれ以上なにも言わなかった。それでも依子は口元をほころばせる。
立場上、ボブが太一の身を案じることは裏切り行為に等しく、また心情的にも良い印象は持っていないだろう。
ただ彼は依子の気持ちに寄り添い話を聞いてくれる。担当官として精神安定に努めているだけかもしれないが、だとしても依子は感謝を抱いていた。
それに依子は悲観しているわけではない。高い確率で太一は生き延びていると考えていた。
半妖である彼は妖力の桁が低く感知されにくい。おまけに妖力の遮断という反則技を持っている。その性質と能力があるからこそ、今まで滅怪士に発見されず生き延びてきたと考えられる。
依子だけが気づいたのは、結界内で彼とたまたま近くに居合わせたという偶然があったからだ。そんな偶然が早々起こるとも思えない。
ただ、それはあくまで隠れ潜むことが前提の話だ。
彼は囚われの恋人を探して動き回っているかもしれない。太一が動けば動くほど滅怪士と遭遇する確率も高くなる。半妖の状態ではまず助からないだろう。
しかし彼には変怪という一発逆転の手段がある。そしておそらく、組織は変怪を防げない。より正確にいえば変怪の条件に気づいていない。
なぜなら依子が、変怪の直前にキスしたことを伏せているからだ。
依子は何の考えもなしに洗いざらい喋ったわけではない。進んで白状することで自白剤を打たれる事態を回避し、尋問もうまくすり抜けた。
そのおかげで、妖力を含む体液を吸収することが変怪の条件、という彼女なりの推測はまだ公には知られていない。監部課の人間もまさか奇跡のような過程があったとは考えておらず、別の要因を当たっているようだった。
組織が変怪の条件を把握できていない内は付け入る隙がある。後は太一がうまく立ち回り、生き続けてくれることを祈るしかない。
しかし担当式務は現実を突きつけた。
「でも、忘れた方が楽になる」
医療器具をしまいながら告げる彼の表情は酷薄だった
「叶わない願いを待つより、自分を迎えてくれる場所でやり直したほうが幸せってことよ。せっかく繋いだ命なんだから。人並みの暮らしってものを満喫するのも悪くないんじゃない?」
思わず依子は口を開いた。が、反論の言葉が出かかったところでぐっと飲み込む。
彼は依子の身を案じて忠告しているだけだ。老婆心であっても、悪意があるわけではない。人間としては常識的な考えでもある。
ただ、理解されない寂しさはあった。
そのとき鉄製のドアがノックされた。
ボブは瞬時に無表情を装い、依子は澄ました顔を作って「はい」と返事をする。
「失礼。入ってもいいか……っと」
鉄製の重厚なドアを開けて入ってきたのは、白の法衣を纏う狐面の男だった。
彼は室内に一歩踏み入ると狐面を外す。精悍な顔立ちをした青年は、自分の短髪を手でなぞりながら依子を見て、次にボブへと視線を流した。
「すみません舞阪準等式務官。お取り込み中でしたか」
「ええ。問診中ですけど緊急のご用でしょうか?」
ボブはニコリと笑いながら返事をする。しかし緊急でないなら邪魔をするなというニュアンスが込められた声だった。
ちなみに問診などとっくに終わっている。自分への配慮だと気づいている依子はあえて黙っていた。
「それは、申し訳ありません。大した用ではありませんので、またの機会にします」
法衣の青年は言葉通りに気を遣った様子で頭を下げ、踵を返す。
しかしドアを開けたところでちらりと振り返り、依子に真摯な目を向けた。
「また来るよ、ケイ。じゃあ」
狐面を付け直した青年は再び外へと出て行った。
気配が遠ざかったのを確かめて依子は弱々しく笑う。
「ありがとうボブ。気を遣ってくれて」
「喋りたい感じでもなさそうだったからね。でも彼、頻繁に来るんでしょ?」
「……うん」
「つがい役にしては誠実じゃない。押し付けられたら普通、ふてくされるもんよ。いい男だと思うけど」
依子は黙り込んだ。ボブの意図を理解しているからこそ、返す言葉が見つからなかった。
近い将来、依子は先程の青年と夫婦になる。
この事実を彼女はまだうまく捉えきれておらず、まるで現実味がなかった。
だが彼と関係を構築することこそが、依子の命綱でもある。
戦闘に耐えられないと判断された滅怪士は組織の意向で引退させられ、次世代の滅怪士を作る役目を課せられる。つまり子を産み育てることが強要される。滅怪士は基本的に遺伝継承でしか生まれないためだ。
精神異常の疑いがあると判断されたとはいえ、依子もまた貴重な滅怪士であることに変わりはない。妖気を嗅ぎ取るという稀有な素質も持ち合わせている。
身柄を捨てるには惜しいという懐事情が、彼女の命を繋いでいた。
ドアを見続ける依子に対し、ボブは眉を曇らせる。だが一瞬で元の同僚の顔に戻った。
「わかってると思うけど、逆らったりしないように。物騒なことを考えるのももう止めなさい。たーくんの話ならいくらでも聞いてあげるけど、それ以上は面倒みきれないから」
「……わかってるよ」
平静を装ったはずが、依子の声は若干強張っていた。
ボブは言及せず「ならいいわ」と答え、医療器具を入れたショルダーバックと空になった食器を持って立ち上がる。
ドアの前まで歩いた彼は、そこで立ち止まった。
「まぁ、個人的にはね。たーくんて子、見てみたかったけど」
振り返りもせず呟いたボブはドアを開けて出ていく。彼なりの精一杯の言葉なのだろう。
無言で見送った依子は、ふうとため息を吐いて畳の上に仰向けにパタリと倒れた。
誰も再会を望んでいない。そんなことは依子も十分身に理解している。
もし彼が救出を選んでも、きっとボロボロに傷つくだろう。無茶はしないで欲しい、生き延びてほしいという慈愛があったからこそ、依子は彼を逃している。今もその気持ちに変わりはない。
その反面、呪いに突き動かされて欲しいと思う強欲で我儘な自分がいることも依子は自覚していた。
狂っているといわれれば、確かにそうなのかもしれない。
だからこそ、もし彼と再会できたなら。
その想いに報いる責任がある。任務も立場も過去も捨てて、彼のために生きようと依子は誓っていた。
「元気にやってるかな、たーくん……まさか他の女のところには、いないよね」
もしそうだったら、その記憶を思い出せなくなるまでショック療法してやる。
依子はそっと誓いを追加しておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます