とあるアヤカシ喰いの性的願望

 物思いに沈んでいると、OLがふと気づいたように聞いた。


「あなた……ええと」

「もー、早く名前覚えてくださいよぉ。今の名前は楠木美希くすのきみきですよ秋子さん」

「ああ、そうだった。ごめんなさいね、隊のときは番号で呼ぶものだから」


 先輩滅怪士――藤堂秋子は悪びれなく答える。どうせ一時のパートナーだから覚える必要もない、と思っていそうな軽い態度だった。


「楠木は、報告書も目を通しているわね?」

「もちろんです。数ヶ月前、ターゲットと思しき男と滅怪士が接触し、捕獲を試みたものの取り逃がしたと。でも不思議なのことに妖狐には変怪してなかったんですよねー」

「そう、なぜかね」

「別人の可能性ってことは?」

「ないわね。証言から得た特徴と顔写真も把握してるんだもの。間違いなかったと六番隊十二号は説明してる」


 だろうな、と美希は疑いもせずに頷いた。聞いたのは念の為だ。

 秋子の言う通り、滅怪士は人間に擬態したアヤカシを追跡できるよう記憶力を強化する訓練を施されている。見間違えの可能性は低い。

 今回のターゲットは確か綺麗な黒髪の中性的な青年だった。どこにでもいそうな人相だったが、人混みでも見分ける自信はある。変装でもしていれば別だろうが、アヤカシはそういう小賢しい真似はしない。

 このとき美希は認識を間違えていた。相手は半妖で、人間社会の常識の中で生きていた者とアヤカシでは発想が違うということに。


「じゃあ御影依子さんが話したように――」

「裏切り者にさんなんてつけなくていい」


 秋子は涼しい顔で指摘する。だが目の奥に垣間見えたのは潔癖じみた軽蔑だった。

 地雷を踏んでしまった気がして、美希は慌てて話題を変える。


「そ、それでですね。取り逃がしたとはいえターゲットは重傷を負ってますよねぇ。そこまで追い詰められて変怪しなかったって、これもうできないってことじゃないですかぁ?」

 

 美希はまだ妄言の線を捨てきれていなかった。しかし秋子はやんわりと首を振る。


「何らかの条件があるのかもしれない。三十六号も、半妖が彼女のおかげで変怪したと語ったのを聞いてるらしいし。血は採取してるから、式務の解析を待てば結果は出るでしょう」

「うーん、そうなんですかねぇ」

「むしろ制約があるなら私たちにとって都合がいいわ。半妖のままならどうということもない。問題は、姿を消して半年間も足取りが掴めないということね。監部課にも捕捉できないんだから、協力者がいるとみていい」

「アヤカシでしょーか?」

「それを調べるのも私たちの任務よ。見失った場所の近隣都市には既に滅怪士を配備してる。この包囲網を抜けて逃げることはまず不可能。観測されていないならまだ包囲網の内側で潜伏してるはずよ。しらみつぶしに調べていけば自ずと尻尾を出す」


 美希はにこやかな顔で頷きながら、だりーなぁと真反対のことを胸中で呟いていた。

 たとえば人間界に潜むアヤカシが協力しているとして、強力な結界を張ることで半妖を匿っているのだろう。発見するには基本的に足でくまなく調べて、妖力使用の痕跡や地下霊脈との不和を見つけ出さなければいけない。


 ――そーいや、御影依子って人は妖気を嗅ぎ取れるんだよなー。その力があれば楽に探せるのに。


 滅怪士の中には稀に特異体質を持つ者が生まれる。依子もその一人で、彼女は結界内に限り妖気を嗅ぎ分けることができた。

 それは彼女だけの素質で、他の滅怪士も美希も持ち合わせてはいない。依子自身の協力は不可能だから、単なるないものねだりでしかない。

 そのとき秋子が「汚いわね」と呟いた。

 美希はハッとして自分の手元を見る。無意識にグラス内の氷を指で突いて弄んでいた。秋子は眉をしかめながら、美希が触る氷に目を向けている。


「すいませーん。癖で」

「私の前では二度とやらないで」


 秋子は無表情でそう言った。この女と組むの疲れるだろうな、と美希はこの先を思いやる。

 ガタリと椅子が動く音がした。美希が視線を向けると、先程見ていた栗色髪の女性が席を立つところだった。彼女は会計に向かう。スラッとしていて後ろ姿も大変美しい。


 ――えっろ……あんなお姉様といちゃいちゃしたいなー。


 狭い部屋のベットで先程の美女とイチャイチャする妄想が膨れあがる。

 しかし店外に出て行く女性の横顔を見たとき、美希はふと妙な感覚を覚えた。

 見知らぬ他人なのにどこかで見たような、知り合いの顔を思い出したけれど名前まではわからないような、何とも掴みどころのない違和感だった。


「なに? 変な顔して。あの女性客がどうかしたの」

「いえ大変おいしそ……じゃなくて、特に意味はないですぅ。人間観察が趣味なので」

「そう。観察眼を養うには悪くない趣味ね」


 生真面目な見解を言いつつ秋子が冷めたコーヒーを飲む。根っから任務のことしか頭にないらしい。パートナーが同性愛者だと気づく素振りもなかった。


 ――まぁ、その方が助かるけどね……。


 滅怪士には自由も権利もない。異性との恋愛も禁じられている。

 ましてや性的趣向がバレれば、潔癖症気味の秋子は鬼の首を取ったように大騒ぎして組織に報告するだろう。そうなれば御影依子のように精神異常と診断され、一生が台無しになる。

 そこで美希はぼんやりと店外を見つめた。一生を台無しにするといっても、今も似たようなものかと自嘲気味に考え直した。

 滅怪士は任務に従事し、役目を終えれば子を産んで隠居するだけだ。与えられた役割を補完するために働いたり趣味に興じることはあっても、そこに自分の意思は関係ない。


 好きになったカードゲームのキャラクターグッズを集めたり、ネット喫茶に入ってアニメを視聴するくらいは見逃されているが、それ以上一般人と同じ生活をすることは許されないだろう。

 そもそも任務中に死ぬかもしれないのだから、趣味を持つことも意味がない。多くの滅怪士は秋子のように任務を全うすることだけを考えて生きている。


 ――だからなのかな……御影依子さんが、男のことを隠したのは。


 自由のない短い人生だとわかっているからこそ、初めて好きになった人を手放したくなかった。例え引き裂かれる恋だとしても、守ろうとしてしまった。

 もちろん半妖の男を好きになる気持ちは美希には理解できない。話したこともなければ会ったこともない先輩滅怪士の心理は、考えてもきっとわからない。聞いてみたい気はするが、絶対に会うことはできないだろう。

 ただ、御影依子という滅怪士はかなりの美人だと噂に聞いている。一目だけでも拝見したいなぁ、と美希は艶っぽいため息を吐いた。


 美希は気づいていない。

 実は自分が、依子の気持ちを察せられる立場にいるということに。

 美希がそれを悟るのは、もう少し先の話になる。 

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