第96話「なんだ、てめぇは!!!」

頭と心の苛立ちが幾分鎮静化し、用意されたケーキと紅茶をトレイの上に乗せ、バスティアンの元に向かう。


現在、イライラ度32パーセント。


「………はい、どうぞ」


私は愛想が良いとは言えないような態度でケーキと紅茶を置く。


「わぁ、ほんとにパンダの形になってる」


置いた瞬間、バスティアンは顔をほころばせ、ラテアートに釘付けになった。カップの取っ手を持ちながら、少し揺らせたりスプーンでつついたりなどして興味深そうに見ている。


なるほど、さっきリーゼロッテにラテアートのことを聞いたのか。


「じゃあ、ごゆっくり」


バスティアンがラテアートに見入っている間、さっさと立ち去ろうと踵を返す。

しかし、またもやガシッと腕をつかまれた。


おいこら。


「話があるって言ったと思うけど」


「………」


現在、イライラ度59パーセント。


いや、ダメだダメだ無心無心。


私はひくりと顔を引きつらせながらも冷静に返そうと努める。


「………あの、客が突然女の店員の腕を掴む行為、セクハラって言うと思うんですけど」


「え」


バスティアンは私のセクハラという言葉を聞き、思わず手を放す。私は手を軽く払いながらあからさまに嫌そうなため息を吐いて見せる。


セクハラか。

乙女ゲームのこの世界では腕を掴む行為なんてセクハラのセとも言わないんだろうな。そして、ここが乙女ゲームの世界である以上、手を掴む以上のことが起こるんだろうな。


恐ろしい。血の気が引く思いとはこのことだろう。


しかしそのおかげか、イライラ度が8パーセントほど下がった気がする。


「と、とにかく、話があるの」


バスティアンは顔を真っ赤にしながら私を必死に引き留めようとする。

私はやれやれと肩を竦めながら向き合わせた。


すぐ近くに座っているエヴァンスとシオンは何でもないように振舞っているがどこか気になっているようでちらちらと様子を窺っている。

二人ともできればそのまま何も口は出さず、何もしようとしないでほしい。

何か、面倒くさくなりそうだから。


「今、次回公演の稽古をしてるんだ」


やっぱりな、そんな話だと思った。


「内容はまだ言えないけど、今回は前回以上に完成度の高いものにするつもりなんだ。だから、次の劇、あんたに観てもらいたいんだ」


「何で?」


「悔しいから」


悔しいって、ちょっと寝ただけじゃないか。

いや、爆睡だったかもしれないけど。それだけを言いに来たのかよ。


じっと私の次の言葉をバスティアンはまるで挑むような表情で待っている。


それだけっぽいな。


「ねぇ、それってさ、お姫様とか王子様とかでるの?そしてその王子役ってあんた?」


私の言葉にバスティアンは目を丸くする。

図星っぽいな。役者のくせにわかりやすい。


私はハッと鼻息を鳴らす。


「………読めるわ、私が劇観に行った時の展開が。ベタなシーンが多い乙女ゲームのことだ、きっと姫役が偶然ケガとかのアクシデントで出られなくなって、偶然通りかかったヒロインが偶然出演させられるような流れになるんだ」


「え、何ぶつぶつ言ってるの?」


「別に」


また、心の声が漏れてしまった。


「後々の展開を予想してたら、けっこう冷静でいられるな」


現在のイライラ度41パーセント。


「とにかく、もうしばらくしたらチケットができるから見に来てほしいんだ、チケットはその時、渡すから」


「いらないし行かないし観ないし寝るし」


私はふるふると首を振る。


「絶対に寝かせない。いや、寝たいなんて思わないはずだよ。身体の芯まで熱くなるものを観せるから」


「やめろや、その言い方」


微妙に誤解を生む。


「絶対に観に来て、絶対に後悔させないから」


プライドの高そうなバスティアンが今にも頭を下げそうな勢いで身を乗り出してくる。最初の押しつけがましかった態度とは打って変わって言葉と瞳には真摯さが見え隠れしていた。


「………面倒くさいな」


私は聞こえるか聞こえないかの声量で呟く。

これ、了承しないといつまでも纏わりつかれるパターンだな。


ここはとりあえず、了承したふりでもしておくか。

でも、これほど私に懇願するくらいだからチケットは見やすい一番前の席のはずだ。


行かなかったら行かなかったで「なんで来なかったの?」って後からうるさく言われるに決まってる。


「ねぇ、返事は?」


「いや、だからさ………」


私はたぶん、ものすごく嫌そうな顔でバスティアンを見ているだろう。

よくもまぁ、こんなあからさまな態度をとってる嫌な女にそんな懇願するような目を向けられるな。

どんだけ私に観せたいんだよ。


それにしても、今、意外なことに気づく。自分の感情に。

面倒だとは思っているのは確かなのに、イライラ度のパーセンテージが上がっていなかったからだ。


展開が想定内だからだろうか冷静でいようと心掛けたせいなのか、いつもなら血管が膨れに膨れ相手に向かって睨みをきかし、暴言を吐いているはずなのに今は内から込み上げてくるはずの不快感が肥大化することがなかった。

やっぱり、心構えって大切なんだな。


「来て、くれる?」


バスティアンはいまだに私の次の言葉を待っていた。


「………まぁ、その話は後日ということで」


私は視線をゆっくりと逸らしながら答えた。淡々と無表情で。


ここははぐらかそう。

つまりイエスともノーとも言わないということ。どっちつかずな答えがここでは最善な方法だと感じた。。乙女ゲームで優秀不断な選択肢を選び続けるのは好感度がマイナスになることが多い。つまり、私も適当に言葉を濁し続けていれば、最終的には私への興味もなくなるということだ。

いくらなんでもこんな態度をずっと続ける女にかまっていられるほど役者は暇じゃないだろう。


「え、ちょっと」


答えを濁したままでいる私に戸惑い、バスティアンは席を立つ。


「紅茶冷めますよ」


私はテーブルに置いたケーキと紅茶を手で示す。置いてから少し時間が経ったため、ラテアートのパンダが少し崩れていた。その崩れたパンダを見て、バスティアンは残念そうな表情を見せる。


「………まだ、話は終わってないから」


私としては話を終わらせてほしんだけど。


バスティアンはちらりと私を横目で見ながら不満げな表情で、ケーキを口に含んだ。ケーキに目が行っている間、テーブルから距離を取り、壁を背にして息を吐きだした。


現在のイライラ度、43パーセント。


私はもっとイライラのパーセンテージを下げようと思い、頭の中で次の展開を予想する。


次もだいたい読めている。

シオン、エヴァンス、バスティアンと攻略キャラクターが導かれるようにこの店にやってきた。次はおそらく、コンラッドがこの店に来るだろう。


いまだに他の客が一人も来ないのが理由だ。

普通だったら、一人か二人女性客が入ってきてもおかしくない時間帯なのに、ここにいるのは攻略キャラクターだけしかいない。


絶対、もう一人来るフラグだ。


客として来るのか何かの用事があって来るのかはわからないが、用向きの相手が私ではなくリーゼロッテなのは確かだ。だって、コンラッドはレイ・ミラーではなくリーゼロッテに攻略されるのだから。

だから、やってきた3人のようにいちいち身構える必要はないだろう。


気を緩ませていた時、ドアがガタッとした音と共に少し開いた。


お、さっそく来たか。

適当にあいさつしたら、リーゼロッテにぶん投げよう。


私は相手を確認しようとゆっくりとドアのほうに体を向け、ドア付近に近づいた。少し開いたドアは半分開き、男のような足が片方入ってきた。


「いらっしゃ―」


声を掛けた途端、ゆっくりと開いていたドアが勢いよく全開する。


「久しぶり、レイ!ほんとにここで働いてたんだね!!」


私は挨拶の言葉を言い切ることができなかった。言い切る前にがばっと抱きつかれたからだ。

コンラッドではない若い男の声の弾んだ声が頭上から耳に響く。


「…………………」


突然のことで思考が停止する。それほどの想定外。目が点になるとはこのことだ。

抱きつかれるなんて、どうやって予想できるだろう。


「会いたかったよ、レイ」


男はずっと私に抱きついたままで離れようとしない。

しかも私が抵抗も反応もしないことをいいことに男はぐいぐい抱き寄せる力を強め、しかも頬ずりまでしてきた。


「………………な………な………な」


頬ずりにゾゾゾと鳥肌が立った。

止まっていた思考が揺れ動く。指先が震え、顔の引きつきが止まらない。


ふつふつと、マグマのように内から熱いものが一気に膨れ上がった。


そして、頭で答えが出るより先に体が動いた。


「なんだ、てめぇは!!!」


怒鳴り声とともに拳で大きく殴りつけた。


「ぐっ!!??」


私に抱きついていた男は殴りつけた反動でよろけ、片膝をついた。


ドクドクと心臓の嫌な音が鳴りやまない。赤くなっているはずの耳を隠すということすら、思い至ることができない。それほど、今の私には余裕がなかった。


「レイ?」


男は殴られたことがよっぽど衝撃的だったのが私に殴られた箇所を擦りながら、呆けている。

呆けたいのはこっちだ。


私は頬ずりされたところをゴシゴシと擦り、男を睨みつける。

抱きつかれた時、悪い意味で完全な無になった。




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