第63話わかんないなぁ、まだ私には
「………あの」
カウンターの一番端のほうに座っている女性のほうに出向くと女性はおずおずと目線を合わせてきた。女性は20代後半の清楚な顔立ちをしており、セミロングの可愛らしい髪型をしている。女性が頼んだカップを見ると半分紅茶が残っている。
「私、あまり長くはここに居られませんからね」
私は遠まわしに『端的に早めに述べて』と意思表示した。私はいざというとき動作が後れないように立ちながら女性客の話を聞くつもりだ。
下世話な話なら月並みな言葉を並べて切り上げ、小難しい話をしだしたら適当に話を合わせてごまかすとしよう。
「え、ええ」
女性は半分残った紅茶を飲み干し一呼吸置いた後、ぽつぽつと語りだした。
「実は私、今付き合っている彼と6年ほど同棲しているの」
6年?長いほうだな。
「それで?」
「そろそろ結婚したいって思っているんだけどその彼、ちょっと問題のある悪癖があって」
「悪癖?」
「彼の悪癖は収集癖よ」
「………続けて」
「彼、お金を全部趣味の骨董品につぎ込んでしまうのよ。付き合う前から彼の趣味は知ってはいたけど、まさかお金のほとんどをつぎ込むなんて思っていなかったの。年々それが増えていって今では家の中は足の踏み場もないくらいに溢れていて」
あんまり深く考えていなかったんだな。
「いくら注意しても「俺が働いた金をどうしようが俺の勝手だろ」って感じで聞く耳を持ってくれなくて。でも、なんとか頼み込んで大きな壷のいくつかは質屋に預けてくれたわ。それでもやっぱり彼の収集癖は直らなくて」
いくつかってそんなにあったんだ壷。そんなに壷とか集めてどうするんだよ。
店でも開くつもりなのか。
「彼、結婚する気あるのですか?」
「それがわからなくて………最近すれ違ってばかりだから。わたしも、もう30間近だから焦っちゃって。結婚したいって思っているけど、夫になる人がお金をすべて趣味に使ってしまう人を選んでもいいのかって最近思い始めたの。将来のためにお金は溜めたいし子供だって出来たときのためには絶対一銭も無駄にはしてはいけないし」
「あなたは働いているんですか?」
「働いてるわ。でも、結婚したら仕事はやめようと思っているの」
「やめちゃうんですか?」
「当然よ。私、結婚したら家の中のことに専念しようって思ってるんだから。子どもが出来たとき母親が家にいなかったらかわいそうじゃない」
おいおい。
「その彼の職業は?」
「彼、商業ギルドの会計士なの。会計士としては有能だから収入は悪くないわ。でも、お金に関する仕事をしているのにまったくお金を大事にしてくれなくて。少しは私のために………いえ、私達の将来のためにお金を大事にしてほしいのに」
「つまり、あなたはその彼とこのまま付き合うべきか別れるべきかで悩んでいると?」
私の言葉を聞いた途端女性が身を乗り出してきた。
「そうよ。私、アドバイスがほしいの」
アドバイスが欲しいって知らないよ。どうでもいいんだけど。
さっきも思ったけど私は恋愛カウンセラーじゃないんだよ。明らかに私のほうが一回りも年下なのにアドバイスを求める相手が完全に間違っている。
「あの、そもそもあなたは………」
「何かしら?」
前のめりに見つめられて思わず視線をそらす。
「いえ、やっぱりいいです」
これを聞いたらまた話が長くなりそうだ。
どうしよう。めんどくさいな。適当なこと言っても納得しないだろうし。
「………あ」
そうだ。
私は女性に向き合った。
「一応最初に言います。私、責任は負いませんから。あくまで私の言うことはいくつかある案の中の一つだと考えてください」
結婚が絡むとなると人生も少なからず関わってくる。正直そんな責任負いたくない。
怖いわ。
「分かったわ」
私の顔を見つめながら女性は頷いた。
「彼にこう言うんですよ。妊娠したって」
「え?」
「それで彼の反応を見てください。最初はおそらく驚くでしょう。でも、もし向こうがあなたと結婚を考えているとしたら後々喜ぶ反応をすると思います。でももし、まったく喜ばれなかったら今後のことを考えたほうがいいかもしれませんね」
「つまり、彼を試すということ?」
子育てには良くも悪くもお金がかかる。私の世界では国から多少手当てはもらえるがそれですべてをまかなえるわけではない。この国での公的補助制度の仕組みについてまったくわからないが、当てにするのは危険だろう。
子育てで一番の出費はおそらく就労。しかしこの世界と私の世界の就学事情はまったく異なる。私の世界では義務教育が義務付けられているがこの世界では子どもの就学がそこまで義務付けられてはいない。義務付けされているものといえば18歳からのノアのアカデミー入学ぐらいだ。それに対しての費用はそれぞれ国からほとんど支給されるらしいので、個人の出費はほとんどないらしい。
それでも子育ては出費が激しいはずだ。
彼は会計士と聞いた。つまり、お金に関することはすぐに計算できるはずだ。子どもが出来たと知れば今まで通り趣味に没頭することは出来ないとすぐにわかるだろう。こんな人を試すやり方はあまり薦めるべきではないかもしれないが、二人は付き合い始めて6年も経過していると聞く。男だったらそれなりの甲斐性を見せるべきだ。
「なるほど、そういうやり方もあるかもしれないわね」
難色を示すかと思ったが意外にも女性は気乗りしている。
「どちらにしてもお金はあなたが管理はしたほうがいいと思います。結婚したらすぐになくなってしまうと思うので」
浪費癖のある男よりも倹約家の女がお金を管理したほうが良いのは目に見えている。
「なるほど。ありがとう、参考にするわ」
女性はすっとイスから立ち上がった。さっそく試してみようと意気込んでいる。
「お金、ここに置いておくわね」
女性はテーブルに銅貨を置いた。
「あの、さきほども言いましたがあんまり私の言葉は鵜呑みにしないで。あくまで一個人の意見ですから。たとえ、向こうが結婚に対して怖気づいた反応をしても別れるか別れないかはお客さん自身が判断してください。それと―」
これが一番大事なことだ。
「私のことは言わないで」
出て行こうとする女性に対してもう一度念を押した。後々、私の言葉が悪い意味で思いもよらぬ事態になる可能性もある。それで逆恨みなんてされたらたまらない。
それはこの女性客だけではない。私は勝手に相談に来たどの女性客にもこの言葉を付け加えていた。
「わかってるわ。話を聞いてくれてありがとう」
女性は満面の笑みで感謝の言葉を私に残したあと、カフェを後にした。
私はふうと息を吐き壁にもたれた。話を聞いただけなのに一気に疲れが出た。
「よく思いついたね、あんな方法」
女性が見えなくなったら、うさぎが小声で話しかけてきた。
「思い出したんだよ、うちの親のこと」
「怜の親?」
「うちの親、デキ婚なんだよ」
「そうなの?」
「大学在学中に妊娠が発覚して卒業後すぐ結婚したんだよ。幸いなのか父は就職先が決まっていたから金銭面はそれほど苦労はしなかったらしいけど」
それでも順番はどう考えても間違っている。当時、母方の祖父とかなり揉めたらしい。そのとき一発殴られたと、その二人は実家で笑いながら話していた。
「母が言ってたんだ。当時は母は父に妊娠を告げたとき、最初はめちゃくちゃ驚かれたけどすぐに父は腹括ったんだって。『後悔させないくらい幸せにしてやる』とかめちゃくちゃ恥ずかしいセリフを言われたって」
聞いててこっちが恥ずかしくなったわ。結婚してから数十年だっても夫婦仲は当時とあまり変わっていないらしい。一緒にアニメのイベントや聖地巡礼に赴いたり、一緒にアニメを視聴したりもしている。歳を重ねてもアニメや漫画に対しての熱量がまったく冷めないのも夫婦仲がまったく変わらないのも我が親ながらすごいとしかいいようがない。
「うちの親もフィギュアの収集癖とかあるけど、リビングとかに進出するほど溢れてない。まぁ、たまにあるけど。それでもちゃんと双方とも趣味と衣食住のお金は使い分けているほうだと思う」
子どもが生まれて趣味を自重しない人間もいるが自重する人間もいる。両親は自重してはいなかったが家計が火の車になることはなかった。自分たちが自由にできるお金の中で十分に満足し人生を謳歌しているからだ。それを考えたら両親はお金の使い方が上手いと思う。
「まぁ、あの人の彼氏は自重するかどうかわからないけど」
結婚後の未来なんて結局は誰もわからない。子どものことや結婚のことは最終的に二人が決めるものだ。第三者の言葉よりもそのほうが現実的である。
「そういえば、あの女性になにか言いかけたよね。なにを言いかけたの?」
“あの、そもそもあなたは………”
「あぁ、恋人のこと好きなんですかって言おうと思った。なんだか好きだから結婚したいんじゃなくて焦ってるから結婚したいって聞こえたんだよね。でもやめたわ」
この質問、青臭い質問だと思ったからだ。結婚をすぐ恋愛感情に結び付けてしまうあたり私もまだまだ子どもなんだと思う。6年も付き合っていたら感情よりも安定や現実、長く育んできたものを優先することもあるかもしれない。。
「わかんないなぁ、まだ私には」
理解はできるが共感はできない。私は男性と付き合ったこともなければ恋愛経験もない。
結婚の『け』の字すら今の私にとっては縁遠いものだ。
「ねぇ、ちょっといいかしら」
「あ、はい」
壁にもたれていた私に客が手招きしながら呼んでいる。ぼんやりしている場合ではなかった。
あの女性は店を出たんだし、切り替えよう。
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