第47話私の中で警報が鳴っている

「レイ、ちょっと待って」


リーゼロッテは私の掴んでいた腕を軽く払い、座り込んでいる男のもとに行った。


あいつ、まだいたんだ。コンラッドの言うとおり早く戻ればいいのに。


「あの、大丈夫ですか?」


リーゼロッテは顔を伏せたまま動こうとしない男に声をかけた。


「もしかしてどこか怪我でも――」


手助けしようとすっと男に向かって右手を出した。


パン!


男はリーゼロッテの右手を手の甲で思いっきり払った。乾いた音が思いっきり鳴った。


「っ!」


リーゼロッテは唖然としながら払われた右手をさすった。男はゆっくりと立ち上げリリーゼロッテを睨み付ける。


「あ、あの」


「余計なことをするな」


「っ」


怒気を含んだ低い声色で言い放った。その声にリーゼロッテはビクっと肩を震わせる。まさか手を払われ、そんな言葉を投げつけられるとは思っていなかったんだろう。


「ちっ」


男は舌打ちをした後、早足でその場を去っていった。


「手、大丈夫?」


私は呆然としているリーゼロッテに近寄った。


「う、うん………だいじょう、ぶ」


まったく大丈夫に見えない。よっぽどショックだったんだろう。でも、私はあの男があんな態度を経った理由がなんとなくわかっていた。


「お礼、言われると思った?」


「え?」


私は小さくなっていく男の背を見ながら言った。


「私は言わないと思った。彼、これからちょっと大変だろうな」


正直、男に同情してしまう。


「どういう意味?」


「リーゼロッテの行為自体は正しかったけど彼にしてみればその逆だったということ」


私はリーゼロッテに向き直る。リーゼロッテは私の言葉の意味をまだ理解できていないようだ。


「彼は士官学校の訓練生だろ?それも成績優秀。そんな男がこんな往来で平民のしかも女に庇われるなんて周りから見たらどう思われると思う?」


リーゼロッテは、ハっとした表情を見せた。どうやら私がなにを言わんとしているか理解したようだ。


女に守られた訓練生。もし、私があの男だったら情けないって思うし、恥ずかしいとも思うかもしれない。そして助けてもらったに相手に八つ当たりに近い感情を抱くかもしれない。


「暴行を止めるのに必死だったから気づかなかったかもしれないけどけっこうな人が見てた。というより目立ってた。あんたが大声で怒鳴っている時。もし、あれが女、子供だったら何も問題ないし、お礼だって言われていたかもしれない。でも、彼は男でしかも士官の優等生だからね。たぶん、プライドとか傷つけちゃったんじゃない?」


彼は暴行されている間抵抗も反論もしなかったが、あの4人を怖がっているようには見えなかった。

むしろ、男たちに怯まず睨み返していた。とても女に助けられて素直にお礼を言うタイプには見えなかった。


おそらく彼にとってあれは今日、初めてのことではないのだろう。


「リーゼロッテはそういうこと考えなかった?」


「でも、あんなの一方的な暴力だよ?もし、止めていなかったらひどい大怪我を負わされていたかも知れないのに。気づいたら私、どうしても許せなくて」


「つまり、『私』が見ていられなかった?『私』が助けたかった?『私』は間違っていない?」


挑発するような物言いだと自分でもわかっている。遠まわしにリーゼロッテは自分の気持ちを最優先にしたエゴイストだと言っているのだ。


私の中で警報が鳴っている。これ以上はやめたほうがいいと。

でも、私はやめなかった。


「助けてそれでどうするつもりだった?」


「どうするって」


「どうせ何にも考えていなかったんだろうけど、あんたはあの男の士官学校に今以上に居づらくさせるきっかけを作ったかもしれないってこと?」


「私が助けたことによって彼に恥をかかせたってこと?」


「半分当たってる、さて問題だ。あの男は訓練生、そしてあの貴族も訓練生。このままあの5人が同じ場所も戻ったらどうなると思う?日常的にあの男にあの4人が絡まれていたとしたらこの後どんな目に遭うと思う?」


「っ!」


リーゼロッテは私の言葉をすぐに察したようだ。そして青ざめた。


「たぶんあの4人は周りにあることないこと言いふらすんじゃない?『女に守ってもらった情けない訓練生』だの『女に助けを求めた軟弱者』だの。自分らのやったことはぼかしながら。しばらくそんなレッテルを張られ続けるんじゃない?」


だからあの男はリーゼロッテに言い放ったのだ。『余計なことをするな』と。

士官学校は身分の高いエリートの集まり。おそらくあの4人のような平民を見下すことに何の疑問も抱かない貴族もたくさんいるはずだ。そんなところに平民が放り込まれたらどんな目に遭うか想像ができる。

屈辱的な暴力、言葉、視線。


でも、彼はそんな逆境にめげなかったはずだ。成績優等生であることがその証拠。しかし、それが一時の独善的な正義感で崩れるきっかけをつくってしまったかもしれない。だから彼はあんなにリーゼロッテを睨んだんだろう。



『それに……』


私はふと、壁際に座り込んでいた男をコンラッドが何かを言いたそうにしているのを思い出した。もしかして私と同じようなことを考えていたのではないか?


あの4人は貴族。そしてコンラッドも貴族。コンラッドの爵位はあの男たちよりも上でもあり、腕の立つ兵士でもある。今回のことを士官学校の上官に報告し、気ままに振舞っていた男たちを牽制することもできるかもしれない。


でも、それはきっと何の解決にもならないだろう。結局は一時しのぎにしかならない。あいつらは自分たちの振る舞いを見られた『後悔』はあるが、やったことに対しての『反省』はしないだろう。必要以上に牽制させると逆に贔屓にしていると周囲に勘違いさせ、今以上に苦痛を強いてしまうかもしれない。

コンラッドはそれを危惧したのではないか?


この構図、なにかに似ているし、見たこともある。小学校、中学校でのクラス内でのいじめの構図だ。担任の先生にいじめがバレたりしたら一時的にはいじめは収まるかもしれない。でも、結局はいじめっ子は基本いじめ自体の反省はしていないのでしばらくしたらまた再開する。最悪なのはいじめをしていないか目を光らせていたその担任が転任したり、クラス替えで担任が変わる時だ。止める人間がいなくなって結局はいじめは悪化する。加害者が一時的にいじめをやめるのは大人に怒られたり注意されるのが嫌だからだ。そもそも本当にいじめが悪いと思うのなら初めからやらない。



「ちっ」


胸のあたりがムカムカする。思わず舌打ちを鳴らしていた。


「じゃあ、どうすればよかったの?」


リーゼロッテは俯きながら呟いた。その声は震えている。

なんか、ムカつくな。


「あの二人が言っていた通り、憲兵とか呼べば?」


「いなかったら?」


「は?」


「もし、近くに憲兵がいなかったら?助けてほしいときに望んだ助けが来ない時だってある」


そういえば、リーゼロッテは憲兵に対して多少の不信感を抱いていた。もし、あのとき近くに憲兵がいたとしてもリーゼロッテは果たしてすぐに助けを求めることが出来たんだろうか?以前助けてほしいときに助けてくれなかった経験があった。だからこそ、自分がやらなきゃいけないと使命感を持ってしまったんだろう。


「さっきからずっと考えていた。今までは困っている人を助けたいと思った瞬間に助けないと後悔するし誰も幸せにならないって。でも、もし私の行動がただの自己満足でしかならないとしたらどうすればよかったのかな」


リーゼロッテはぎゅっと唇をかみ締めながら呟いた。


「見て見ぬ振りすればよかったのかな。それとも近辺にいるかどうかもわからない兵を探せばよかったのかな。でも……私は」


リーゼロッテは顔を上げた。琥珀色の瞳が少し充血している。考えなしだった自分が恥ずかしくてどうしようもない、そんな顔をしていた。


「私は助ける相手を選ぶような真似はしたくない」


彼女の心の中は今、羞恥心でいっぱいだろう。それを押し殺すかのように声を絞り出している。


私はそんなリーゼロッテに冷淡な視線を向けた。同じくらいの背丈なのに見下しているような錯覚を感じる。リーゼロッテはまさに乙女ゲームの主人公の鏡だろう。挫折や失敗を繰り返しても、自分を曲げない芯の強さを持つ。その意志の強さは攻略キャラクターたちに良い影響を与え、切り抜ける鍵となる。


なんて素晴らしい子なんだろう。

なんて出来た子なんだろう。

なんて綺麗なんだろう。


………………なんて不愉快なんだろう。



自分のやったことは間違いだったかもしれないと言いつつ、結局は綺麗事を口にする彼女を見ているとどうしようもなく傷つけてしまいたくなる。


「あんたは、あれだよね」


「え?」


「飼えないのに捨て犬や捨て猫にエサあげたり頭撫でるようなタイプだよね」


自分の中の警報が大きくなっていく。こんなこと無意味だ。子供っぽい八つ当たりだ。

でも、私はこの子を理不尽に傷つけたくてしかたがなかった。


「もしくは、弱っていたり生まれたばかりの猫は手当たり次第に拾ってしまって家の中が糞まみれになったり傷だらけになったりして、最終的には自分の食費を削ってペット達の世話代につぎ込んじゃうようなタイプだよね。それなのに『拾った優しい私』とか『世話している私』とか言って自分に酔酔っちゃう感じだろ?そして鳴き声とか糞とかで周囲に迷惑かけても今みたいに『自分は間違ってない』とか言って結局は猫を手放さない感じだよね」


私が言葉を次々と紡いでいるとリーゼロッテは苦しそうに言葉を失い、目を大きく見開いていく。


私の中で二つの声が同時に囁いている。

『もっと傷つけろ』という声。『もうやめろ』という声。


でも、前者の声のほうが明らかに大きくなっていく。


「人間と動物は違うか。いや、助ける相手は選びたくないって言っているのなら拾っちゃうか」


これ以上はだめだ。


でも止められない。止めたくない。


「そりゃ、助ける側は本当の意味で火の粉は降りかからないからな。自分が助けたという一時的な感情が満たされればそれでいいからね、今回みたいに」


一時的な感情で助けた側は助けられた人間の今後のことなんて考えない。精神面で『助ける』という本当の意味をわかっていない。


「あんたは後悔してるの?反省はしているけど後悔はしてないんじゃない?後悔していないって思い込んでるだけなんじゃない?まだ本当の意味で後悔させられるような目に遭ってないんじゃない?それまでまた今回みたいなことがあったら自分の都合のいい言い訳考えて同じこと繰り返すんだろ?」


彼女は何かを言おうとしている。でも私は言い返す隙を与えななかった。


「あの4人って貴族だよな?もしかしたら私たちに仕返ししようと考えるかもしれない。あんな今にも潰れそうなカフェ、貴族がその気になったらいつでも潰されるかもしれないよな?いや、潰す前に店の中やスタッフをめちゃめちゃにしてもみ消されるかもしれない」


「………あ」


リーゼロッテは胸に手を当ててこれ以上ないほどぎゅうっと掌を握り締めている。


震えている。

表情も、声も、指先も、体も。今にもガラスのように砕け散ってしまうそうだ。


私はどんな顔をしている?ざまぁ見ろって顔をしている?嫌らしい笑いをしている?

自分の顔がわからない。


「私はやだよ。例えアルフォードが気にするなって言ったとしても私はいやだから。そんな目に遭いたくない。遭いたくないって思うのが普通。私、おかしなこと言ってる?そういう目に遭うのは一人で十分だよな?いや、カフェだけじゃなくあんたの孤児院とか―――」


「おふたりさん」


突然、誰かが私たちの間にと入ってきた。

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