第19話子どもは苦手だ

「おい、あっちの方向でなにか音がするぞ」


「近いぞ。逃がすか」


荒い息遣いが近づいてくる。右の曲がり角から男たちが飛び出してきた。想像していた通りにチンピラの風体をしている。例えば街中で肩が少しぶるかったりしただけで金払えとか言って変な因縁つけてきそうな印象だ。


私は視界に入らないことを願いながら左に避けた。その時、かつんかつんと後ろのほうから音が響いた。


「おい、あっちだ」


男たちは私に目もくれず音のするほうへ駆けて行った。私は男たちが出てきた曲がり角のほうへ身を隠し息をひそめた。足音がだんだん小さくなり、消えかかったところでゆっくり息をはいた。


「レイ、もうこっちには戻ってこないみたいだよ」


うさぎが上空から何度も確認しながら言った。


「やっと行ったか」


私は胸を撫で下ろし左手で掴んでいたものをゆっくり離す。


「もう大丈夫みたい」


手を離した瞬間、男の子が姿を現した。


「このまま大通りへ出るよ」


私は声を潜めて言った。僅かだが男の子が頷いたのがわかる。私は男の子の手を引いた。できるだけ足音を立てず、男の子の小幅に合わせるように急いだ。握った男の子の掌は汗で熱く湿っているが、私の手を決して離さなかった。


しばらくしてやっと人通りに出ることが出来た。決して日光は強くないが私たちの身体を照らしてくる光に安堵せずにはいられない。


「はぁ、危機一髪」


私は建物にもたれた。


「よかったよ。ほんと」


「……あんたは見てるだけだったよね」


私と同じように胸を撫で下ろしているうさぎに軽くデコピンした。


「あ~あ、崩れてるかも」


私は持っている手提げ袋を見た。走ってる最中気に留めなかったので中身が崩れている可能性が大きい。


「でも、よく考えたよね」


「内心これでもすっごいビクビクしてたんだよ。二つ同時なんてできるかわからなかったし」


私はあの瞬間、両手のノアを発動した。まず、右手で落ちていた小石を音が聞こえる範囲まで飛ばした。しんとした細い石畳の裏路地なので小さな小石でもよく音が響いた。私は男たちと鉢合わせるぎりぎりまで待ち、寸前で左のノアを発動して左手で男の子の腕を掴み、姿を見えなくさせた。


私の左手のノアは“物や人を透明化する”ノアだった。


飛び出してきた瞬間、今度はより遠くまで小石を飛ばした。男たちはそれを子供の足音だと思い込みそのまま音のほうへ走っていった。


「どこが使えないの?けっこう便利だと思うけど?」


「使えない。だってこれ5秒くらいしかもたないから」


もちろん、左手も試してみた。左手にノアが宿っていない可能性もあるが、もしあるとしたら右手以上に便利なチカラであってほしかった。チカラの正体を知るためには色々試さなければいけないと思っていたがすぐにそれはわかった。


それと同時に落胆もした。


「もし、あいつらが足を止めたりしたら一発でアウトだった。そもそも左手の透明化って何に使うんだよ」


考えてはみたが、盗みやスリなど犯罪まがいのことしか思いつかない。しかも5秒しか発動しないためよっぽどの腕のよいスリじゃないと役に立たないだろう。


「おねぇちゃん」


「ん?」


そういえば、この子がいたことをすっかり忘れていた。うさぎはこの世界では私しか見えないため端から見たら一人でぶつぶつ言ってる危ない人間に見えていたかもしれない。でも、男の子は私のことを疑心の目ではなく純粋の澄んだ瞳で見上げてくる。


「ありがとう、おねぇちゃん」


男の子はおずおずとしながら私の手を両手で包み込むようにして握った。さきほどまでは薄暗くてよく顔は見えなかったが男の子は端整な顔立ちをしていた。長い睫が乗った瞼は大きな瞳を覆い、柔らかそうな赤毛が優しく頬をくすぐっている。駆けたせいか頬はうっすらと赤みを帯びていた。チンピラたちが狙おうとしていた理由もわからなくはないほどの美少年顔だ。

水分を含んだ瞳の色は青みを帯びた紫色をしており、綺麗な瞳が私を見上げてくる。


あれ?この子どっかで見たような。気のせいか。


「じゃあね。これからはあんまり一人で出歩かないほうがいいよ」


大通りに出ことだし、もう安全だろう。さっさとここから離れよう。私は掴まれていた手を引こうとした。


「………」


「………」


男の子は離さない。今度は少し力を入れた。


「…………」


「…………」


離さない。それどころか手を引くたびに離さないように力を入れてきている。

痛い。子供の力でも両手で握り締められて手がきりきり痛む。


「ねぇ、この子をこんなところに一人で置いていくの?」


うさぎが私に耳打ちしてきた。


「さっきまで怖い目にあったんだから一人にしちゃかわいそうだよ」


「え~?」


よく見るとふるふると震え今にも泣きそうな顔をしている。裏路地とは違ってここは人通りも多いし昼間なので明るい。よっぽどのバカじゃなかったらこんなところで大騒ぎしないはずだ。


いや、チンピラはそのバカの内に入るか。

しかたがない。しかたがないと思いたくないがしかたがない。


「君の家はどこ?送るよ」


「―――っ!」


途端に男の子の雰囲気がぱぁと明るくなった。表情は乏しいがさきほどまで男の子を纏っていた暗い空気が消えたことはすぐにわかる。


「じゃあ、行こう」


「うん」


男の子は両手で握っていた手を一度離し、右手で私の左手をぎゅっと握ってきた。その手はやはり小さかったがさきほどまでの震えが消えていた。


「ちょっと待って」


私は自分の帽子を男の子にかぶせた。帽子は男の子には大きすぎて目元まで隠れてしまった。私は視界が広がるように帽子をずらした。


「さっきの奴らがここら辺にいる可能性があるからね。君の顔はあいつら知ってるんだよね?これは気休め程度だけど念のため」


「……とう」


「ん?」


「おねえちゃん、ありがとう」


男の子はとびきりの笑顔で見上げてきた。


「――っ」


今までは子供は苦手で自分からは関わりを持とうとはしなかった。そのため純粋に自分を慕う子供の視線に慣れず思わず軽く目を逸らした。頬だけではなく耳まで熱がこもってくる。思わず耳にかけていた髪で顔を軽く隠すように流した。


やっぱり子供は苦手だ。

私はきゅっと私の手を握る男の子の手を握り返さなかった。


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