第27話 星を探して その3
きょとんとした百合子の前で、ウルサは小さな手でバスケットの上蓋を開けた。
スペースが作ったという怪しげなスポンジケーキに、優男のヴァニスタがマジパンで装飾を手がけた色あざやかなケーキを覗き込んだ。
ウルサは百合子に歯を見せて笑うと、ヴァニスタが入れておいてくれた、例のおしぼりを一つ、バスケットから取り出し百合子に差し出した。
「さあ、一緒にいただきましょう」
よくあるビニールに入った長細いおしぼりを、百合子は黙って受け取る。淡々と食べる準備をするウルサを、百合子は不思議そうに見ていた。
ウルサがバスケットから取り上げたケーキは、配色も美しく様々な花の形で、それは美しく飾られている。
ウルサは片手で器用に上蓋を閉めると、取っ手を下げて、平となったバスケットの上面にケーキをそっと置いた。
そして、親指についたクリームをペロっと舐めてから、百合子に口を開いた。
「僕はですね、ケーキを食べたいわけではないのですよ」
百合子は不思議そうに首を傾げた。
欲しいものは「百合子との時間」だと言うが、ウルサが受け取ったものは、バスケットの中のケーキである。
「では……あなたは、何のためにケーキを食べるの?」
百合子からの問いに答える様子はなく、ウルサは歯を食いしばり、おしぼりの袋を懸命に開けようとしているだけだ。
やっと開封すると、袋から両手を丁寧に拭きながら、
「あなたと一緒に過ごすためです。ケーキを食べることは手段であり、目的ではないのですよ」
百合子は何故だか、胸がきゅうと締め付けられた。目頭が熱くなり、こみ上げるものを抑えつつ、鼻をスンと鳴らした。
「……そうね、私もウルサと一緒にいたいわ」
百合子の答えに、ウルサは大きく頷いた。かと思うと、「この辺かな」と言って、ヴァニスタの渾身の作であるマジパンの上から片手をケーキに突っ込んでいる。
ハンカチの代わりにウルサは満面の笑みを持って、無理やり掴んだケーキを一欠片、百合子に無造作に手渡した。
「はい」
「あ、ありがとう」
ウルサはケーキまみれになった片手の指を、それはそれは幸せそうに舐め上げると、泣きそうな百合子に淡々と言った。
「いいですか? ここは泣く場面ではありません。さあ涙を拭いて、召し上がれ」
百合子はすぐにでもジーンを探しに行くつもりだったが、一緒にいたい、と言ってくれたウルサとの時間が、とても大切に思えた。
――いつから、こんな風に感じられるようになったのかしら?
紅葉のような手から渡されたケーキが、手のひらにのっている。
ウルサは一口食べ終わるたびに「絶品ですね」とか、ヴァニスタとスペースを褒めそやしたり、時折、百合子には、もっと食べるように、と原型を留めていないケーキを勧めたりしている。
夜空がどこまでも続く砂丘の上で、二人は多くの言葉を交わしたわけではないけれど、ケーキを分け合いながら、共に素敵な時間を過ごすことができた。
ウルサは「もうお腹パンパンです」と元からふっくらとしていた小さな腹をさすりながら、百合子に声を上げて笑ってみせた。
しわくちゃになったおしぼりで両手を綺麗に拭き上げると、ウルサはその場でゆっくりと腰を上げた。
「もう行くのね?」
ウルサはコクリと頷いた。
そして、座っている百合子に、紳士のように小さな手を差し出し、
「素敵な時間をありがとうございます。僕は幸せです」
幸せな気持ちになったのは、むしろ百合子の方だったかもしれない。
ワルツに誘われたレディのように、ちっちゃな紳士の指に自分の指を重ね、同じように立ち上がった。
残ったケーキをバスケットにしまうと、二人は手を繋いで砂丘を下った。
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