第5話 愛情もしくは支配欲
毒親という言葉を僕は最近よく調べるようになった。そのきっかけはまがうことなく僕自身の母親である。随分と間が空いたが、僕は半年の休養期間を経て大学へ復帰することになった。何を持って完解というかが定かではないこの精神疾患で、大学に復帰するというのはある種リスクを孕んでいることは承知の上であった。それでも復帰したのは、母親の強い勧めがあったからだ。しかし、僕にはこのころある疑問があった。それは、うつ病になり、大学を休むことになった時に母親が言った言葉だ。母親は僕に大学を辞めてもいいと言った。僕はこの言葉に大いに救われた。もうあの地獄のような空間に行かなくてもよいのだと安堵したのだ。半年後、自信を苦しめていた環境から距離を置くことで、僕の精神状態は非常に安定していた。それを見た母親が復帰できると判断したのだろう。次第に僕に早期の復帰を促すようになった。
やめてもいいのではなかったのか。その言葉が僕の喉につかえた。大学に復帰しても、違和感ばかりが目に付いてしまう。僕はもうこの分野で学びたくはない。この環境に居たくはないと毎日のように思った。もちろん今も思っている。
ここで、僕の最大の欠点が発揮された。僕は、生まれてこの方母親の言うことに反対したことがないのだ。もちろん幼少期のいやいや期などをのぞいてであるが、僕は常に母親の言うことは正しいと考えてきた。一度、どうしても納得がいかず、母親に反抗する手紙を書いたところ、翌日激怒した母親に、髪を鷲掴みにされ怒られてから、絶対に母親に文句を言ってはならないのだと学習したのだ。
僕は僕の意思を飲み込んだ。
それから、母親の要求は上がるばかりである。大学を卒業しさえすればよいと言っていたのははるか昔。大学に復帰すれば、大学院まで出なければ就職は認めないと言われ、ついには、大学院卒業後に国家資格を取らなければ就職は出来ないと言い出した。ここへきて僕はようやく母親の異常性に気が付いた。はたから見ればもっと以前から、僕らの関係はおかしいものだったのだろう。それでも僕はこの年になるまでその異常性に気が付くことはなかった。
母は、僕を支配したいのではないか。その考えが僕に浮かんだ。
僕の将来を心配しているようで、自分の考えから外れると怒りだす。成人をとうに超えた子どもの意思を頭から否定する。僕の置かれた環境が大変だと言いながら、自分の学生時代は体罰など当たり前で、もっと大変な思いをしていたという。自分の体調がいかに優れないかを訴え、健康な僕はそれだけで恵まれている、自分の思い通りに物事が進まないからヒステリーを起こしているだけだと言った。僕は、家族に心の安寧を求めることをやめた。
僕は、出版社に就職するといった。理系出身の僕が文系就職するのは容易ではないことなど知っている。それでも僕は理系の世界からできるだけ距離を置きたかった。それに対する母親の意見は、ありえない、だった。研究室の教授に文系就職をすることを告げたと母親に報告したら、相談もなしに勝手に決めるなと怒られる。僕の人生を僕が決めて何が悪いというのだろうか。大学で学んだ知識を使えない職場に就職することなどできないと母親は繰り返した。ことごとく僕の意見は否定され続けた。
おそらく母親は、僕に精一杯の愛情を注いでいるつもりなのだろう。僕の人生にことごとく干渉し続けることが愛情だと考えているのだろう。しかし、僕にはそれが支配欲の表れとしか感じられなくなった。僕が頑なに就職するといった夜。母親は号泣し、土下座でも何でもするから大学院を卒業してほしいと言った。
残念ながら、その涙で動かされる心はもう僕には残っていなかった。
僕が就職して早く働きたい理由はただ一つだ。
僕の人生を、両親から買い戻すためだ。
徒然うつ病日記 桜河 朔 @okazu965
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