第10話皇帝『ルキウル・ヴァイハルト』が抱いた疑惑

 イリス大公国の女王マギエール・イリスが、騎士ガルミア・ハイルヘルに白髪の赤子を託した15日後のことである。

 イリスの王城の貴賓室に、『貴賓』というにはあまりに至重な身分の男が迎えられていた。

 その男は皇帝ルキウル・ヴァイハルト。

 この世で恐らく最も身分の高い者であり、世界の中心たるヴァイハルト皇国の頂点であり、イリス大公国を含む4つの属国を統べる宗主である人物であった。

 ルキウルはこの時25歳。

 皇帝としては弱冠と思えるが、その兼ね備えられた風格と威圧を前にすれば、誰もが膝を折る、といわれるほどの器量であり<<英雄ゼルフの再来>>と世に知られた覇王であった。


 ***


「まったく……。せっかく、自らが馬を走らせて祝いに駆けつけてみれば『罪過の子』だっただと? とんだ無駄足であることよ」

 と、ため息をついてはみたが、皇帝たるもの、何か口実をつけねば外に出るのもままならぬのだ。

 今回のイリスの世継ぎの誕生の報せは、そろそろ外遊に出たかったこの俺にとっては、渡りに船というものであったことは否めなかった

「大変申し訳ございませんでした。皇帝陛下」

 マギエールが深々と俺に頭を下げてくる。

 少しやつれたか……?

 目の下に隈をのせている美貌を眺めて、俺はそう思った。


 少なくとも年に一度、俺はこの女と顔を合わせてることになっている。

 建国を記念する慶賀式典の度に、属国の国主が揃って皇国に参内してくるからだ。

 女にしては長身で、どこか武人風のマギエールを、俺はそれなりに好ましく思っていたのだが、目の前にいる女は、頬がやつれて血色が悪く、まるで病人のように思えた。

 罪過の子は悪であるとしても、その産みの親、ましてや叔母であるところのマギエールに罪は無論、ありはしない。

 俺の心に、不意に憐れみとも呼べる感情が首をもたげた。


「お前に罪はない。予もまた、お前を責めるつもりはない。今回は残念なことであったな」

「もったいないお言葉にございます……」

「だが、罪過の子は悪である。聞くまでもないことだが、すでに処理は済んでおろうな?」

「はい。かの赤子は既に火中にて葬っております」

「うむ……そうか。それは大儀であった。心中察するに余りあることよ」

「いえ、偉大なるゼルフ様が定めた絶対なる法です。従うに是非はありません」

「そうであるか……」

 我がヴァイハルトの建国の英雄ゼルフが、自らの命を絶ってまで厳命した法である。

 無論、破ってはならぬ法であるが、マギエールの物言いは些か物分りがよすぎる気がした。


 女王マギエールは情に脆い。

 世に『氷の女王』として知られるマギエールであるが、俺の目から見れば、それは一つの側面でしか無かった。

 この女は十のために一を犠牲にする決断が出来るだけであって、それはつまり裏を返せば、十を憐れみ、十に慈愛を注ぐ決断ともいえるのだ。

 一を捨てたことによる罪悪感、自責の念を覚悟した上で、それを決断できるのであるのだから、俺から見れば、それは自己犠牲の上に成り立つ純粋な愛でしか無い。

 ゆえに俺は思う<<マギエールは情に脆い>>と。


 そういえば、こんな側面もあったな……。

 <<マギエールは、時に我を通す>>

 俺はマギエールを好ましく思っていたゆえに、何度かこの女に縁談を持ちかけたことがあるのだが、その度に断られてきた。

 俺の目にかなった家格の、誠実なる男どもであったにも関わらずだ。

 その理由を紐解いてみれば<<マギエールには想い人がいる>>という至極単純な答えが導かれるのだが、皇帝自らの勧めを無下なく断るほどに、この女はその『我が儘』を通してきたのである。


 それらを思えば、マギエールは如何にも人間臭く、悪い意味ではなく、感情で動く人間だと俺は考えている。

 ゆえに思う……。

 マギエールにしては些か物分りが良すぎないか? と。


 ***


「お前はどう思うか? アルーカよ」

 俺はマギエールが去った貴賓室に、側近である『アルーカ・ユーラウス』を呼び出し、罪過の子を処したというマギーエルの是非を問うた

「さて、せつには分かりかねますな。……ぼくしてみますか?」

「頼む」


 ユーラウス家は、ヴァイハルト皇国において、預言者として皇帝に助言を与える役を負っている。

 予言は、すなわちぼくであり、占いによって未来を知ることであった。

 もちろんアルーカもその術に長けているのであるが、アルーカ・ユーラウスの名は、稀代の名宰相として世界に知られていた。

 我が右腕であり、政治の要であり、さらには軍部の要でもあるアルーカは、その実、俺にとって数少ない、本音で語り合える友人でもあったのだ


「……」

 アルーカは、水盆に張った水の上に小さな燭台を浮かべ、水面に映る火影と語り合っていた。

 <<炎と語り合い未来を知る>>

 これこそ、ユーラウス家に伝わる予言の秘術であるのだ。


 赤黒い外套のフードを深くかぶるアルーカは、生来の陰気さを数倍にしているように見えた。

 蝋燭の炎が少しコケた男の頬の陰影を際立たせて、アルーカを何処か死神めいた不吉な存在へと演出している。

 俺は思わず息を呑み、アルーカの予言を静かに待った

「ふむ……」

 アルーカは顔を上げ、フードを頭から外して声を漏らす

「して、どう視えたか?」

「……どうにもよく視えませぬな」

「そう……であるか」

 ユーラウス家の卜といえど万能ではない。

 むしろ視えぬことの方が多いくらいである。

 そもそも『卜』とは、当然にそういうものであろうし、未来が十全に視えるのであれば、とっくにヴァイハルト皇国はユーラウス家のものとなっていたことであろう。


「ただ、はっきりと視えぬまでも、炎が語ったことが幾つかありました」

「ほほぅ」

「まず、マギーエルを追求するな。罪過の子を追うな……と」

「む。つまりは、罪過の子は生きているということか?」

「分かりませぬな。その生存を問うことそのものが不吉としているだけであり、その生死を炎は語りませんでしたゆえ……」

「そうか。たしかに<<罪過の子を追うな>>だけでは、生死までは不確かであるな」

「そうなります」

「<<幾つか>>と言っていたな? 他に炎は何を語ったのだ?」

「断片的でありますが<<14年後>><<魔女>><<マラブの村>>と」

「わからぬな。魔女とはなんのことだ?」

「この世に魔女といえば『グリマラ』を指しますから、おそらくそれかと……」

彼奴あやつめ……まだ生きているとでもいうのか。マラブの村とは何処のことだ?」

「イリスの極北の寒村ですな。その北には迷いの森プルタンが広がり、更に北には凌雲山ウラノスがあるのみです」

「そんな辺境がなんだというのだ……」

「それもわかりませぬ。拙の予言は所詮はうらないに過ぎません。視えたものを繋げれば意味がわかることもありますが、このように断片的にしか視えぬこともあります。過信すぎず、あくまで参考程度に考えるのが良いかと存じます」


 <<マギーエルを追求するな。罪過の子を追うな>><<14年後><<魔女>><<マラブの村>>か……。

 後半を繋げるのであれば<<14年後マラブの村に、魔女が何かをもたらす>>というのが自然に思えるが、あくまでそれは憶測にすぎない。

 <<14年後に魔女が死に、マラブの村云々……>>といった繋げ方もできるからな。

 だが、少なくとも罪過の子を追ってはならぬらしいことは明確になっている。

 俺は、少なくとも今後14年間は、マギエールが処したという罪過の子について決して追求しないことを心に誓った。


「アルーカよ」

「はい、ルキウル様」

「予は、今後14年間、このイリスの地に産まれたという罪過の子については追求せぬ。そう決めたぞ」

「はい……。それがよろしいかと思います」

 俺とアルーカの視線は、自然と水盆に揺れる炎に向けられていた。

 蝋燭の上で踊るそれは、俺の心になんとも言い難い不吉な予感を植え付けていったのである。

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