2章
第8話イリス大公国の俊傑『ガルミア・ハイルヘル』
時は遡り、マラブの村の『罪過の子』カドー・スタンセルが生まれた、その2年後のことである。
イリス大公国の王家に、もう一人の運命の子供が生まれる。
***
イリス大公国には、女王の近辺を警護する『近衛騎士団』が存在していた。
組織でいえば、イリスの軍部であるところの『イリス騎士団』に内包された集団であるのだが、その独立性は極めて高いものであった。
近衛騎士団が王に近侍してその身を守る特殊な存在、という意味合いも勿論あるのだが、それ以上に近衛騎士団を掌(つかさど)る『団長』の存在が、その独立性を際立たせていたのである。
近衛騎士団の団長『オルガ・イェールド』は、軍部最高組織であるところの『イリス騎士団』の団長であった人物である。
イリス随一の豪傑でありながら、歴史に名を残すであろう軍学者でもあったオルガは、若干30歳にしてイリス騎士団のトップ登りつめた。
しかし、オルガが43歳の時、未だ衰えをみせずなお意気盛んであったのにも関わらず、彼は騎士団長の任を自ら降り、下部組織である近衛騎士団に退くこと王に求め、それを許されたのである。
能力も、人望も、人気も……それらが国内で最も高い位置にあった英雄がその団長になったのだから、近衛騎士団はほぼ独立した異質な部隊として、イリス大公国に存在していたのである。
「おう、ガルミア! 待っておったぞい」
巨熊の如く隆々とした体躯を揺らしながら、オルガ・イェールドが、その居室たる団長室にて私に声を投げかけてきた。
相変わらず腹に響く声だな……と私は思い、その威圧に耐えるべく身を固くして構えた。
オルガ団長は、現在45歳。
近衛騎士団の団長の任に就いてから2年を数えていた。
くすんだ金の髪や荒々しい虎髭に、僅かに白い色が混じってきているものの、丸太のように太い腕には見事なまでの血管が浮き出ており、その強大な膂力を想像させては、見たものを震え上がらせる迫力があった。
本人もそれを楽しんでか、筋肉を露出させたデザインの具足を好んで身につけるのだから本当に質が悪い……と、私は常日頃から苦々しく思っていたりした。
「団長、私にも都合ってものがあるんですがね……?」
自分の隊の訓練中だというのに呼びつけられたのだ、文句の一つも言いたくなるってものである
「ん、なんぞ急ぎの用でもあったのかのう? そいつはすまなんだ」
全く白々しい人だな。
オルガ団長は気楽な隠居を気取っているが、その実、近衛騎士団の全てを掌握し把握しているのだ。
前隊長である私が、どこで何をしているかなど彼が知らぬはずはないのである。
ちなみに、近衛騎士団には4つの部隊が存在している。
すなわち『前隊』『後隊』『左隊』『右隊』であり、王を中心として前後左右を守るものだと考えてくれれば分かりやすい。
私は2年前、つまりオルガ団長がその任に就いた時に、突然にして前隊長に抜擢された。
その時私が20歳であったことを思えば、それは異例の抜擢であったといえた。
確かに当時の私は、定例の武術大会などで上位に名を連ねていたし、学問の分野でも高い評価を頂いていて<<次代の英傑>>などと呼ばれていたから、いずれは隊長になれる……と自負していた部分もあったのことは否めない。
だがその出世は、そんな私からしても予想外に早いものだったのだ。
なぜ若輩な私を抜擢したのか?
オルガ団長に直接聞いてみたことがあるのだが
「儂は、優秀な者を遊ばせておくほど、人が良くないのでな。儂を楽させるために存分に働くがよい」
などと言って笑っていた。
私はその時から――なるほど、オルガ様とはこういう方だったのか、とさらに団長を崇拝するようになった一方、ならば遠慮はいらんと、気安く接することが出来るようになったのだった。
「まぁいいです。で、私に何の用ですか?」
私がそう問いかけると、いつになく真剣な眼差しで、オルガ団長が私を見下ろした。
普段にはない寒気のするような緊張感が、団長室を包み込んでいるように感じた
「陛下が、お前を欲しておる」
「は……?」
言っている意味がわからない
「陛下が……マギエール女王陛下が直々に、儂に請うてきたのだ。ガルミア・ハイルヘルを寄越せとな」
「それは……どういう?」
「分からぬよ。私兵として欲しいのか、はたまた側近として欲しいのか……もしかしたら、情夫として欲しているのやもしれぬな、グゥアッハッハ!」
「<<グゥアッハッハ>>じゃないですよ! 流石に陛下に不遜が過ぎますよ? 団長!」
「何を言うか! 儂ほど陛下に誠忠し、畏れている者などおらんぞ? あの御方の前では、儂ほどの武者であっても、さながら猫になってしまうからのぉ」
「虎の間違いでしょう」
「ニャーン」
「やかましいです」
「ともかく、陛下には逆らえぬ。儂は只今をもって、お前の前隊長の任を解く……恨むかの? ガルミアよ」
「どうでしょう。その後の処遇が分からぬゆえなんとも……。惜しむらくは、今後は団長を楽させることができなくなることが、心残りではありますね」
「そうさのぉ……」
少し緩んだ空気の中、団長は慈しむような表情を浮かべ、私に語りかけた
「儂はのぉ……ガルミア」
最後になるかも知れない訓示を決して忘れぬように、私は全身でオルガ団長の嗄(しわが)れた声を受け止めるべく、僅かに胸を張った
「儂はのぉ、お前こそ、このオルガ・イェールドの後継者に相応しいと考えておったのだ。近衛騎士団の団長ではないぞ? 歴史あるイリス騎士団の団長……つまり、この国の守り神として、だ」
「何をおっしゃいますか!? 私にはそんなことはとても……」
「謙遜は時に不才に繋がるぞ、ガルミアよ。奢るのは罪であるが、己の力を知らぬことも罪と知るのだ。お前は天才だよ……しかも努力を惜しまぬ善き男だ」
「……」
「このまま励めば、儂をも越えることができよう。そんなお前を手放さなければならぬ儂を……どうか憐れんではくれまいか?」
「もったいないお言葉です……」
「儂はお前をもっと鍛えたかった……。お前をもっと誉めたかった……。お前をもっと叱りたかった……。お前ともっと語らいたかった……」
「オルガ……様……」
「お前の今後は、もはや儂にも分からぬ。しかし、逃げたくなったら、嫌になったら、いつでも儂のところに戻ってこい。お前は儂の息子だよ……いつでも頼るが良い」
「フフフ……でも、私が逃げ帰ってくれば、貴方は私を殴るのでしょう?」
「ああ、もちろんだ! そんな情けない息子には喝をいれてやらんとならんからな。グゥアッハッハ!!」
「フッ。ありがとうございます。私は貴方に認められたことを誇りに、陛下の望みを叶えてまいりましょう」
「ああ、頼んだぞ、息子よ」
「はいっ!」
私はオルガ団長に背を向け、王の間へと歩を進めた。
無意識に涙が頬を伝っている……。
深い愛と叱責を与えてくれた団長は、私にとっても父そのものであったのだ。
私には父がいない。
母が私を身籠っていたとき、イリス騎士団に所属していたという父は、何者かに殺されたのだという。
だから私は、父という存在を、この世に生を受けたときから一度も感じたことが無かったのだ。
故国の英雄を『父』などと思うことは、実に高慢なことなのだろうが、この2年間、団長が私に与えてくれた愛情は、父親というものを私に教えてくれていた。
そのオルガ団長が私を認めてくれたのだ。
自らの後継者として認めてくれたのだ。
――私はこれで、どんなことがあっても戦っていける
そう思えば、王の間へと向かう私の足取りは少しずつ軽いものとなっていったのであった。
王の間へと続く扉を守っているのは当然、近衛騎士であり、その所属は『前隊』、つまり私の部下であった者であった
「ガルミア隊長! いかがされましたか?」
「陛下に呼ばれていてな、通っても良いだろうか?」
あえて<<もう隊長ではない>>と言う必要もないだろうと、私は当番の騎士である彼に、陛下への取次を頼んだ
「はいっ! 聞いてまいりますので、しばしお待ちを……!」
勤勉な部下は、キビキビとした所作で私に立礼を取ると、陛下に伺いを立てるべく、王の間へと向かっていった。
「陛下がお会いくださるそうです。どうぞお通り下さい」
王の間から戻ってきた(元)部下は、どこかソワソワとした様子であった。
たとえ近衛騎士の隊長であるといえども、陛下にお目通りがかなうことなど殆どないのであるから、彼が私の用件が気になることは至極当然だろう。
それでも、それを私に問わないあたり、本人の資質も勿論あるのだろうが、自分のこれまでの隊の運営に、少なからず私は誇りを覚えたのだった。
「陛下! ガルミア・ハイルヘル、ご用命に従い只今参上いたしました」
王の間へと足を踏み入れた私は、目を伏せて玉座の前へと進むと、左膝を立てて片膝をつき、玉座に居るであろう女王『マギエール・イリス』に目を合わさぬまま、深く頭を下げた。
許しなく王と目線を交わすことは、無礼であるとされているからだ
「面をあげなさい……」
凛としてよく通る美声が、私の頭上に降り注ぐ。
恐らく、初めて間近に仰ぎ見たマギエール女王は、絶世、傾国の冠が当然に思い浮かぶほどに美しく、そして強烈な王気を放っていた
――なるほど、オルガ様のおっしゃる通りだ
<<この人の前では、豪傑もまた猫になる>>
私も、素直にそう思わざるを得なかった。
「……」
震える猫のように身が縮まる中、私は陛下のお言葉を待っていたのだが、一向に語られる気配が無かった。
どうやら話すタイミングを計っているようにも見えたので、不遜であるかもしれないが、私から陛下に問いかけることにした
「陛下、無礼かと存じますが、発言をお許し下さい……。光栄にも、なにやら私に任をお与えいただけると、そのようにオルガ団長より聞き及んでおりますれば、何卒、その任務の内容についてお聞かせいただけませんでしょうか」
「そうね……。あなたは近衛兵団前隊長なのだから、忙しい身ですもの……。本当にごめんなさいね」
「と、とんでもございません! すでに前隊長の任は解かれておりますれば……なんなりと、お命じ下さい」
女王はその翠色の瞳を大きくしたかとおもうと、ふっと、密かなため息をついた
「まったく、ほんとにオルガさんは豪快な人だわ……」
「それはどういう意味でしょうか……」
「ガルミアさん、わたくしはね、オルガさんに<<ガルミアさんの力を借りてもよいか?>>と、そう尋ねたのよ。決して<<前隊長の任を解いたうえで>>なんて言っていないの」
「そう……なのですか?」
「ええ、そうよ。でもね、わたくしがそれをあなたに頼んで、あなたがそれを承諾してくれたとするならば、いずれにせよあなたは、前隊長の任からは外れることになるでしょう。オルガさんは、わたくしの願いがそういう性質のものだのだろうと推し量って、あなたの退路を絶ってくれたのね……。どうかオルガさんを恨まないでちょうだいね」
「なるほど、そういうことでしたか。無論、恨みなど持つ理由はございません」
それは本心であった。
オルガ団長の元を離れることは、勿論辛いことではあるのだが、そもそも私の剣は女王に捧げているのだ。
女王の命令には是非もなく、喜んで受け入れる準備がこの時の私にはあった。
「では、我が剣ガルミア・ハイルヘルよ。わたくしのお願いを申します」
「はい……!」
「あなたの人生をわたくしに下さい」
女王はそう言うと玉座から降り、私に向かって深々と頭を下げたのであった。
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