第3話

 私は幼い頃をよく憶えていない。言ってしまえば……他の記憶も大して残っていないのだ。私にとって重要なのは「何を成したか」では無い、「これからどうするか」である。


                         ――ズダール(詩人)――




 怒れる正義の執行者、三堂果奈代が異世界へと介入を完了した日から遡る事二年前――標的である「野口夫妻」は、尋ねて来た友人とその妻を殺害した後、程無くしてクーノスを出国した。


 しばらくの安寧を楽しめそうだ――考える二人を急かしたのは、突然現れた一人の男であった。香菜代と同じく執行者であった男は、二人が寝静まったと思われた深夜、扉を蹴破って襲撃を開始した。


 男は持っていた狩猟刀を振り回し、少しずつ集まっていた調度品を斬り付けながら、寝床へと走り寄って行った。毛布を乱暴に取り払った時、男は虚を突かれて立ち止まる。膨らみは縫いぐるみであった。


 何処だ、何処にいると叫ぶ男は、寸刻を置かず生娘のような悲鳴を上げる。興奮の余り背後から忍び寄る孝行の斬撃をまともに受けてしまい、熱湯を被るような痛みを覚えた。


 それでも男は体勢を整え直すと、暗闇に立つ孝行を目掛けて狩猟刀を振りかざす。次に彼を襲ったのは音も無く飛来した「銃弾」だった。柄を握る彼の両手首を丁寧に貫通する銃弾に、間も無く男は戦意を喪失、武器を握れずその場で跪いた。


 悪かった、見逃してくれ。男は見栄を捨てて懇願した。子供がいるんだ、などと情に訴えもした。


 男の傍に屈んだ女――ユリカが囁いた。


 私達の質問に、答えて頂けますか。


 何でも答える、だから見逃してくれ。


 私達は今、機構から「どのような扱い」を受けていますか。


 男が一瞬懊悩すると、すかさず孝行が彼の右耳を削ぎ落とした。


 聞こえない耳は要らない――孝行が低い声で囁くと、男は小便を漏らしながら流暢に答え始めた。


 機構が「常時募集案件」として、あんたらを貼り出している。何をしたのかまで書かれている。どちらかを殺せば一〇〇〇万円だ、きっと俺以外にも来る、本当だ。


 ユリカが頷き、貴方一人ここに来たのですか、と問うた。


 男は壊れた玩具のように何度も頷いた。頷く度に右耳の名残が痛んだ。


 頼む、もう話せる事は無いんだ。赦してくれ――。


 再び懇願を始める男を無視し、孝行とユリカは何かを相談し始めた。やがてそれも終わり、ユリカが男の額にソッと触れた。


 、ご存知ですよね。


 彼女の柔らかな声に男は知っている、と答え、即座に違う、違うと慌て始めた。


 お子さんが待っていますよ。さぁ、どうぞ――ユリカは落ちている狩猟刀を拾い上げ、最早両手を使えない男の前に置いた。


 しばらくの間、孝行とユリカは並んで男の前に屈み、黙する彼を見据えていた。


 唸るような声がした。男の腹の底、喉を通らずに響く「慟哭」に似た音だった。男は狩猟刀の柄に噛み付き、標的を目掛けて一矢報いろうとした。


 結局――男は「口で柄を保持する」経験が無く、赤子が積み木を齧るように、唾液を床に撒き散らすだけだった。


 必死に口を開閉する男を他所に、孝行とユリカは屋外に人の気配を感じた。騒ぎを聞き付けた野次馬が集まり始めたからだった。


 一人の老婆が恐る恐る家の中へと入って来た。老婆が恐怖の余り硬直した瞬間、男は残る力を振り絞り、「野口夫妻」の真実を大声で叫んだ。


 コイツらは、人殺しだ、凶悪犯罪者だ――と。


 一秒後、男のこめかみをユリカの拳銃が撃ち抜いた。野次馬は老婆を併せて五人いた。


 温厚で礼儀正しい彼女が、何故――そう五人が思う間も無く、孝行は狩猟刀を腰に構えると、一気に屋外へと走り出た。


 老婆は首を刎ねられた。残る四人はそれぞれが腹部を横に斬られ、鮮血と共に雪の上で果てた。


 孝行が野次馬を処理している間、ユリカは屋根の上に跳び上がると、小型の榴弾を拳銃に装填、六発を狙いも定めず、近隣の民家へと無差別に発砲した。混乱を生み出し、逃走に必要な時間を作る為だった。


 ユリカの試みは功を奏し、クーノス国軍の警備兵は四方に立ち上る爆炎を認め、大規模な襲撃を受けていると誤解した。


 孝行とユリカは予め用意してあった「非常時用鞄」を手に取り、そのままクーノスを脱出した。逃走中、やはりユリカは榴弾を建物に発砲し続け、二人が出国を完了するまで三五人の死傷者が発生した。


 そして二人は国境付近を移動していた行商人を襲撃、殺害。馬と荷物を強奪すると、そのまま南西の方角へ逃げ続けた。


 恐るべきが消え去ったクーノス国は、その後如何なる運命を辿ったか?


 未曾有の爆発事件が発生してから三ヶ月後、密かにクーノスの国土を狙っていた新興国が来襲した。クーノスの三分の一にも満たない侵攻軍を先導したのは、成り上がりを夢見た転生者の少年だった。


 少年は新興国の軍上層部まで上り詰めるが、夢半ばで彼を狙った別の執行者に殺された。手柄を上げた執行者も――一ヶ月後、別の任務で標的の転生者に反撃を受け、死亡した。




 夥しい死を土壌とし、この世界で新しい「命」が芽生えたのはクーノス国滅亡から半年後である。


 与えられた名は「野口キユリ」。母譲りの美しい顔を持った女子であった。


 今……キユリは母の腕に抱かれ、父の差し出した人差し指を握っている。


 罪深き両親の間で育つ命に、無き咎を背負わせるには余りに酷である。


 キユリは無垢である。無垢が故――何色にも染まる事が出来た。

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