第14話

 怒りを操作出来ぬ者は、全く半端物の扱いを受けるべきだ。


                       ――クァルザン(哲学者)――




 額に浮かぶ血管を微動させ、平川は絞り出すような声で反論する。


「…………馬鹿にしているのは、お前らの方だろう? ノグチの妻が変わっているだけじゃない、『昔の記憶が曖昧だ』なんてほざきやがるし、『昔から妻だった』なんて宣う女もいる!」


 なるほど、あんたのせいか――平川はユリカを見据えた。


「妙な魔法でも使って、ノグチの頭をおかしくしたんだな?」


「魔法、ですか……生憎……私は使えませんが」


 ユリカの困り笑いに腹を立てたのか、平川の肩が震え始めた。そして彼は大きく深呼吸し……怯えたままのルクルクに言った。


「帰ろう、ルクルク」


 えっ……とルクルクは声を上げた。


「な、何で……」


「どうやら、ノグチはもう――


 困惑する妻の手を引き、平川は勢い良く立ち上がった。


「ノグチ。ハッキリ言うが、お前は何もかも間違っている。記憶も、道理も、全部が異常だ。この世界に居続けたせいか、そこの女のせいか……もしくは両方か。狂った男には、狂った女がお似合いという訳だな」


 ゆっくりと顔を上げ……孝行は座ったままで返す。


「人は変わる、考えだって交友関係だって……全ては変わり続ける。記憶が違っていても、頭がおかしくなっていても、それでも俺は野口孝行という人間だ。ヒラカワ――」


 お前の中で、俺という人間を完結させるな。


 しばらくの間……二人は見つめ合った。先に目線を外したのは平川だった。


「安心しろ。。手が穢れる」


 そう平川が言い終えた瞬間――ユリカは笑みを浮かべた。




 さて、頃合いですね……。ユリカは思い、




「……フフッ」


 不意に聞こえた笑い声に、玄関の扉の前で平川が立ち止まった。


「出来もしない癖に……」


 俄に平川が振り返る。憤怒の形相を浮かべる彼を、ルクルクが抱き着き……必死に宥めた。


「駄目! 駄目だよぉアナタぁ! お友達なんでしょう、お友達を殺しちゃ……その奥さんを殺しちゃ駄目だよぉ! ねぇ、お願い! 帰ろう、一緒に村に帰ろうよぉ!」


 ルクルクは泣いていた。涙を流して夫の「過ち」を未然に防ごうと努力した。


「あ、あの! ノグチさん、ユリカさん! どうか赦してください、アタシ達が間違っていました、お節介でごめんなさい……だから、アタシ達を村に帰らせてください!」


 何を仰います? ユリカが優しい声色で返した。


「私達は嬉しいです、平川さんとルクルクさんが遠路はるばるクーノスへ来られて、『助けになります』と仰ったんですよ? そのお心だけで、私達は本当に幸福です。でも……どうにも平川さんは、私達の関係を良く思われていないご様子……それに、私の事はともかく、孝行を『狂っている』と蔑みましたよね」


「それはアタシが謝ります! 本当に――」


「ルクルクさんが謝る事はありませんよ? 孝行の記憶を如何にも『改竄された』と仰り、更には『殺せば穢れる』と馬鹿にした方――平川さん、貴方に私は腹を立てているのです」


「……事実を述べる、それの何が悪い?」


 ハァ、と溜息を吐くユリカ。心底呆れるように彼女はかぶりを振った。


「狂っているのは、そちらでしょうに……。私、愚鈍な方は好きではありません」


 ユリカの言葉。これを切っ掛けとして――。


 この日、白亜食堂は「狂乱」に巻き込まれる事となる。

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