第6話
選択肢を間違えた――と喚く者を私は見た事がある。すぐに私は喝破した。「馬鹿者、正否を持つ選択肢など無い」と。
――ランシューバリ・フェンポレオ(哲学者)――
「うぅ……寒いなぁ。アタシ、あんまり寒いのは得意じゃないんだよぉ……」
「奥さん、どうしてそんな格好で来たのさ? クーノスじゃあ、洗濯物を外に出す事は無いんだぜ」
毛深い体毛に覆われた馬が牽く乗り合い馬車の中で、ルクルクは身体を震わせながら「だって」と口を尖らせた。乗客の男が訝しむように薄着の彼女を見つめる。
「ここまで寒いだなんて、あの占い師さんは言わなかったんだものぉ……ねぇアナタ?」
「いや、言っていたよ、ハッキリと。『アタシは大丈夫』って笑っていたのは何処のどいつだ」
呆れながらルクルクの夫――平川は羽織っていた上着を脱ぎ、彼女の肩に掛けてやった。風防代わりの木板の隙間から、寒風が容赦無く平川を襲う。
「ふわぁ、温かいなぁ」
機嫌を良くしたルクルクは、腰部から生える獣人特有の大きな尾を左右に振り、やがて平川の身体に巻き付けた。
「はい、温かいでしょぉ?」
「……別に」
平川は両手をズボンのポケットに埋め、呼吸すらも「放熱の挙動」と恐れ、モゴモゴと口を開かず無愛想に答えた。
「旦那、俺の酒でも飲むかい? グッと呑んで、カァーッと身体を火照らせていりゃ、その内クーノスに着くぜ?」
「……すいません」
「アナタ、ほらぁ、ちゃんと手を出しなさいったらぁ」
「……あぁ」
ポン、と手を叩いたルクルク。
「そうだぁ、アタシが呑ませてあげるねぇ」
男から酒の入ったコップを受け取ると、ルクルクは平川の口元に持って行き……振動で多少溢しながらも、果たして全量を呑ませた。
「……っ! 結構キツいな、これ……」
ヘローヴェと呼ばれる酒だった。「泥酔液」と渾名されるこの酒は、低所得者でも気軽に購入出来る酒類であったが、渾名の通り「酔えれば良し」を前提に作られている、所謂粗悪品の為……。
「アナタぁ、どうしたのぉ? お腹痛いの?」
「旦那、一体どうしたんで?」
「…………大丈夫、です」
飲み慣れない者が口にした時、大抵は「悪酔い」の洗礼を受けるのだった。更に馬車の揺れが加わり、途端に平川の顔色は白さを増していく。
「…………ルクルク」
「うぅん? どうしたのぉ?」
「…………袋、袋」
刻一刻と喉元へやって来る「逆流」は、平川から明瞭な会話能力を奪い去った。
「袋ぉ? あぁ、あの袋ねぇ?」
馬車に乗る前、平川とルクルクは小さなパン屋を訪れていた。そのパン屋が用意する持ち帰り用の紙袋が独特なデザインとして、ルクルクはいたく気に入ったのだ。
「ねぇー、あの袋可愛かったねぇ。もう一枚欲しかったよねぇ」
「奥さん、もしかして旦那……吐きそうなんじゃ――」
刹那……馬車の床は平川の吐瀉物が撒き散らされ、男は即座に両足を宙に上げた。
「お客さん、何があったんだよ! 何しているんだよ、おい!」
外から御者の慌てるような声が聞こえた。
「す、すいませぇん! 何か拭くものありますかぁ!」
なおも嘔吐く平川の背中を摩り、ルクルクが叫んだ。
「ふ、拭くって……何を拭くんだよ!」
「え、えーっとぉ……水、水ですよぉ!」
「水なら何でそんなに慌てているんだよ!」
「えぇっ、いやぁ……ちょっと汚れている水ですぅ!」
数秒後、馬車は勢い良く制動されると、怒り狂った御者が幌を開けた。
平川とルクルクの尋ね人――ノグチがいるとされる国、クーノスまで残り一五キロメートルの地点だった。
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