第4話
手を取り合いましょう。目を合わせましょう。歩く速度を同じにしましょう。どんな言葉よりも、まずは行動を。
――ハレア・コークル(宗教家)――
「孝行……憶えている? 高校生の頃を……」
常夜灯代わりの蝋燭が揺らめく病室は、ユリカと孝行の二人だけがいた。顎髭の医者は孝行の「抱き寄せ」に大いに涙し、今は病室を後にして私室のベッドに寝転び、大きな鼾を掻いている。ユリカ達以外に患者はおらず、果たして病室は事実上の貸し切りとなっていた。
毛布を丁重に掛けられ、孝行はボンヤリと宙を見上げている。彼の冷えた手を、ユリカはゆっくりと擦りながら、懐かしき青春時代を回顧していた。
「私、孝行を……最初は怖い人かなって、思っていたんです……フフッ。すぐにそんな事は無いって分かったけど」
頷きもはにかみもせず、孝行は天井の木目を見つめていた。
「孝行が転校する時……ほら、私達……話も出来ずにお別れになったでしょう。結構、辛かったんですよ」
そう話すユリカの目は実に優しげで、温かな愛のみが充満しているようだった。
「でも……今、こうして考えるとね? あれで良かったのかも、って思います。きっと……神様とか、そういう方が、私達の関係をずっとずっと……強くする為に、そうしたのかなって」
孝行の握られた手は冷えたままだった。ユリカは根気良く、幾度も優しく擦り続ける。
「何年も経って、何回も泣いて……エヘヘ、こう言うと変だけど……それでも私、不思議とこういう結末が来るって信じていたんです。孝行もそうでしょう?」
問われてもなお――孝行は答えない。虚ろな眼球はピタリと前、即ち天井を見据えたまま動く事は無かった。瞬きの回数も極端に減り、眼球に感じるはずの乾きも今の彼は意識していないようだった。
「恥ずかしがり屋なところ……変わらないですね、孝行は。私は変わりましたよ、身体も成長したし、身長もちょっぴり伸びました……それにね、心が強くなったかなぁって、フフッ」
蝋燭の火を求め、窓の外から羽虫が入って来た。二度三度と火の回りを飛び回り、不運にも羽を焼かれたのか、床にポトリと落ちて苦しそうに藻掻いた。
「……孝行が、まさか同じ仕事に就いているだなんて……予想外でした。孝行もそうでしょう? でも……私達、似た者同士って事ですかね?」
あぁ……と、ユリカは溜息を吐き、込み上げる幸福に落涙した。
「……ごめんなさい、泣き虫で……。でも赦してください、ようやくこうして孝行とお話出来て、一緒になれて……何だか夢みたいで……。アハハ、涙が止まらないな……悲しくないんですよ、嬉しくて、本当に嬉しくて……」
怖いぐらいなんです――グシグシと涙を拭い、ユリカは「孝行」とやや緊張した様子で問い掛けた。
「今後の事ですが……まだ孝行は本調子ではないだろうし、しばらくは人目を忍んで……という感じですよね。でも大丈夫、私がいるから。……何人も、いえ、きっと沢山……襲って来る人がいるでしょうけど……」
ユリカは身を乗り出し、動かない孝行の首に手を回して微笑んだ。
「何があっても、私は孝行の傍を離れません。一蓮托生と言うでしょう……」
蝋燭が揺れ始めた。既に爪ぐらいの長さにまで縮んでいた。
「……今日はもう寝ましょうか。孝行が先に寝てください、貴方が眠るまで……ここにいますから」
孝行は黙したまま……しかしながら睡魔に、あるいは強い精神の負荷に耐えきれないのか、渋々と瞼を閉じていく。その様子をウットリした目で見つめるユリカは、彼の胸に手を置き、一定の調子で軽く叩いた。
「お休みなさい、孝行。明日からもよろしくね――」
愛する夫が寝息を立て始めた頃、ユリカは病室を音も無く離れ――医者の眠る部屋へと向かっていた。部屋が近付くにつれ、医者の大きな鼾が鮮明に聞こえた。
「ご覧、綺麗なお星様……夢を見る頃、輝いて……」
ユリカは幼い時、強い感銘を受けた『夜の星』という詩を口にした。国語の教科書に載っていたこの詩を、少女ユリカは下校中、何度も唱えては空を見上げたのである。唱え終わると毎回決まったように、空には一番星が輝いていたのだった。
「草木の間を走り行く……白くて眩しいお星様……」
病院の廊下は照明も無く、しかし月光が窓から差し込むので、ユリカは躓く事無く……医者が眠る部屋の前に到着した。
「暗い、暗い夜の道……スイスイ走るお星様……何処もかしこも明るくて……」
幸い、部屋の鍵は開いていた。扉は微かに軋んだが、打ち消すような鼾が彼女の「侵入」を助けた。
「空から下りたお星様……誰も寂しくさせないよう……皆の手を取り笑います――」
ユリカは懐に手を差し入れる。間も無く現れた拳銃を、ガァガァと鼾を鳴らす医者のこめかみに向けた。
「お医者様、どうもありがとうございました。そしてお医者様……」
お休みなさい……。
カチャン、と消音器の付いた銃口が鳴った。射出された弾丸は医者のこめかみを貫き、反対の方から鮮やかな血と共に飛び出すと、木製の壁を傷付け、止まった。
部屋から鼾は聞こえなくなり、扉をゆっくりと閉める音だけが響く。ユリカは孝行の眠る病室に戻ると、彼が安眠出来ている事を喜び、編み掛けのマフラーを手に取った。
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