ある夫婦の食事

「ねぇ、そろそろ食べない?」


「あぁ……勿体無い事をしたもんだな、俺達も」


「仕方無いわ。馬が死んだのは、私達のせいじゃないんだもの……」


 同時に溜息を吐いた一組の男女。二人は夫婦で、妻は垂れた獣耳を持つ獣人だった。


「最初は出来ない、怖いって言っていたわね、貴方も」


 クスクスと笑う妻は、顔を赤らめた夫の頬を悪戯っぽく指で突いた。昔、夫婦がある港町に頃、妻が買って来た家禽などをどうしても解体出来ず、夫は近所の精肉店に頼み込んで「可食状態」にまで加工して貰っていた。


 現在、夫は慣れた手付きで携えている刀を使い、一時間程前まで連れ添っていた馬を「馬肉」へと変えていた。慎重に臓物を抜き取り、皮を剥ぐ彼の手には、まだ温かい血がベットリと付着している。


「昔、獣医学の教授から聞いた事がある。部位をキチンと理解していれば、一本で綺麗に解体出来るらしい」


「へぇ、やっぱり専門の人は凄いのね。そう言えば貴方の大学って、理系だったの?」


「一応な。獣医学には入れなかったけど、それでも講義はコッソリと受けていたよ。多分、教授側でも黙認してくれていたんだろうな」


 妻は柔らかな尾を左右に振り、夫の語る「理系じみた小話」を楽しげに聞いた。それでも夫は手を休める事無く、汗を垂らしながら解体を続けていく。


「単為生殖をするザリガニの話」を終えた時、夫婦の前にはすっかりと部位毎に分けられた馬肉が、皿代わりの大きな葉に載せられていた。


「良し……ちょっと洗って来ようか、ここで待っていてくれ」


「大丈夫よ、血生臭くても。時間が勿体無いもの」


 一応ね……と、妻は鞄から肉の臭みを消す木の実を取り出した。


「ここがロース、だと思う。好きなだけ食べてくれ、なるべく栄養を付けないとな」


 コクリと頷いた妻は、木の実を一齧りしてから、ロースらしき部位を口に運んだ。噛む程に血が滲むようだった。


「……うん、やっぱりちょっと臭いかも」


「ほら、言った通りだろう。そうだ、ニンニクみたいな野菜があったよな、それと食べたらどうだ」


 これと食べ合わせたら良い、この部位は美味い、この部位は固い……などと夫婦は語り合いながらも、空腹に任せて馬肉を貪った。


「結構残ったな……燻製に出来れば、もしくは日持ちもするだろうけど……」


 下腹部を擦りながら妻がかぶりを振る。満腹を楽しむ為ではなく、「胎内」への栄養供給が済んだかどうかを調べる、一種の儀礼のようなものであった。彼女は身重だった。


「火は駄目よ。『ここにいます』ってアピールするようなものでしょう」


「……捨てて行くしかないんだろうな」


「葉に包んで、今晩食べる分だけ持って行く?」


「そうだな、そうしよう。残りは……行くか」


 それが良いわ――妻は手早く生肉の弁当を拵えると、残りを掻き集めて一塊にした。肉塊を持ち上げた彼女は、そのまま……巨木にもたれ掛かる「男の死体」の前まで歩いて行った。


 その死体には頭が無く、股の辺りに切断されたが置かれていた。


「どうぞ、召し上がってください。来世はこのような事が無いよう……私達は祈っております」


 両手を合わせ、真剣な面持ちで祈る妻の傍に立った夫は、押し黙ったまま死体を見下ろしていた。


「……どう思う?」


「どう、って?」


「コイツの言葉……『これはチャンスなんだ』って」


 妻はジッと死体を見据えたまま、「多分」と低く言った。


「……何となく、何となくよ。私達――」


 もっともっと、誰かを殺さないといけない……。


 潮垂れた妻の獣耳を、夫はソッと撫でてやった。


「辛いか、キティーナ」


 名を呼ばれた妻はゆっくりと立ち上がり、夫の胸に顔を埋めた。


「腹も段々と膨れてくる……やっぱりアトラシアに行くか? 知り合いの軍人に話せば、恐らく――」


「ううん、大丈夫よ。それに……貴方が言ったじゃない、迷惑は掛けられないって。もしかしたら、私達の味方が……ふらっと出て来るかもよ」


「それは分からないが……。とにかく、俺はキティーナと――子供が心配なんだ、何かあったらすぐに言ってくれ」


 妻は頷いた後、パッと顔を上げた。


「……貴方」


「何だ」


 細い指が、夫の背後を指し示した。道ならぬ道が続いているその先を、酷く警戒するようだった。


「……なるほど」


 キティーナの言う通りだ、夫は微笑みながら妻の手を引き、森の奥へと進み出した。


「正当防衛は何人まで許されるんだろうな……」


 間を置かず、妻が答えた。


「大丈夫よ、貴方」


 この世界は、懐が深いから――。

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