第5話

 アトラシアの関所を目指す道すがら、ユリカと荒山は取り留めの無い雑談を交わした。ユリカとしては沈黙を貫き、荒山の声を聞かずに済めれば良かったのだが……。


 久しく同郷の、それも「外見」は淑やかで麗しい女に飢えていたらしい荒山は、当初の目的など忘れたように次々と質問を投げ掛けた。


「大里さんは、元の世界では一人暮らし?」


「えぇ、はい」


「ケーキとか好きなの? 俺、元の世界に戻ったら行きたい場所があってさぁ」


「あら、そうだったのですね」


「俺、あんまり高校時代は良い思い出が無くて、でも一つだけ、今でも嬉しかった事があったんだ。一人で帰ろうとした時、丁度大里さんみたいな女子が――」


 途中、ユリカは欠伸を五度噛み殺した。「自分に似た女子に淡い恋心を抱いた」という話をようやく聞き終えた頃、ユリカは荒山から寄せられる好意を悟った。


 出会って間も無い相手に運命を感じるなど……彼女は蔑みそうになったが、自身が似た理由で孝行を好いている事を思い出し、滑稽な面白味が頬を突いた。


「嬉しいなぁ、俺……」


「何がでしょう?」


 荒山はヘラヘラと、しかし何処か女性馴れしていない青臭さの浮き出た笑みを見せた。


「こうやって、女性を笑わせた事、殆ど無いからさ……」


 あんまり、殆ど――回数を明確化せず、煙に巻く表現を多用する人間から、果たして面白い話を聞けた試しが無い……ユリカなりの統計だった。




 こういったタイプの人間、特に男性はあらゆる行動に予防線を張り巡らし、その中でだけ努力した振りをする。そして失敗した時には「予想は出来ていたから」と頭を掻いて反省はしない――私は、そのような男性が大嫌い。




「実は最近、本当に最近だ。機構からアナウンスが入るまで、失敗続きで明日の生活資金にも事欠いていたんだ。……だから、色々と悪行も重ねていた」


 まぁ、可哀想なお方……などと言って欲しいのだろうか? ユリカは深刻そうに頷き、頭では孝行と再会を果たした際、何と言おうか考えていた。


「仕方無かったんだ、生きる為にそうしなきゃ……分かるだろう、大里さん」


「えぇ、分かります。私も綺麗な生き方をして来られた、とは思っておりません」


「ハハハ、やっぱり俺達は似た者同士みたいだな」


 他者との距離感が分からない人間ですね、この男……ユリカは病人を見舞うような目で荒山を見つめた。その視線に彼は気付き、何故か「喜んでいる」と勘違いしたらしく――。


「絶対に、生きて帰ろう」


 宙を見上げ、青空に帰還を誓った荒山はまさに……「英雄になれず、燻りながらもそれを夢見た」弱き男であった。


 蛹のまま息絶えた蝶が、再び外気に触れる事が出来ないのは当然である。荒山は自然の摂理に反した罪人だった。「弱さ」という蛹の中で胎動する少年じみた希望と欲求は、とうに生を終えて土塊に還ろうとしているのに、それを許せない、否、許す勇気が無かった荒山が、強制的に延命を施しているのだ。


 弱いが故に、執行者である彼は標的に敗北した。


 弱いが故に、敗北者である彼は悪行に手を染めた。


 弱いが故に、犯罪者である彼は「正義」を取り戻したかった。例えそれが、一組の男女を殺害して得られる金気臭い正義であっても。


 異世界に取り残された荒山は、阿桑田ユリカと出会い――「模造品の如き転生者」へと成り果てた。


「あっ、あの建物……」


 浮かれた顔で前方を指差す荒山。関所、と呼ぶにはごく小さな丸太小屋が建っていた。それでも甲冑に身を包んだ兵士が二人、凜々しい相貌で小屋の左右に配置されている。


「申し訳ありません、ちょっと私……隠れていても良いですか」


 男性が苦手。偽りの設定は意外にも便利だった。監視カメラの無いこの世界で、アトラシア全体に「殺人犯」の顔が割れている事は考えにくかったが、それでも余計な橋を渡る努力は要らなかった。


「大丈夫、そこで隠れていて」


 自分に酔っている荒山は、得意気にユリカを木陰に移動させると、堂々たる風格で兵士達の方へ歩いて行った。彼に触れられた肩の辺りを見つめ、ユリカは手で何度も払った。


 五分程が経ち、荒山は木陰に戻って来た。表情から鑑みて、有益な情報は手に入らなかったらしい。


「ここは関所じゃなくて、軍隊の通信所だとさ。……標的の事もキチンと聞いたけど、あんまり見ていないって――」


「あんまり?」


「あぁ、いや……見ていないらしい。この奥はアトラシアの国有林になっているから、入るなら立入許可証と調査研究内容の証明が要るとさ。柵とかは無いけど、無断で入ると罰則があるとか、何とか」


「……標的も、ここを抜けて行ったとは考えにくいと」


 大袈裟に褒めるような荒山の頷きが、なおもユリカの眉を微動させる。


「どうやら、この辺りは獣人自体の数が少ないようだ。日に五、六人くらいはここを通ろうとする奴がいるけど、獣人は見ていないとさ……」


 別の場所を捜すか――荒山は面倒そうに元来た道を振り返ったが、一方のユリカは「国有林」の方を見つめていた。


「……どうしたんだ、大里さん」


「この先は国有林、研究者や学生さんぐらいしかいない、でしたね」


「あぁ、そうらしいよ。手続き自体はそこまで難しいものじゃ無いって――」


「柵とか、そういったものは無い……ですよね」


「えっ、あぁ、うん……」


 それからユリカは兵士達の目が届かぬ場所まで、呼び止める荒山の言葉も無視して歩き続けた。


「大里さん、大里さん! いい加減に返事を――」


 シッ、とユリカは人差し指を口元に当てた。歩速を速めていた荒山はつんのめり、そして口を噤んだ。


「……声を潜めてください。恐らく、標的はこの森へ入ったでしょう」


 荒山は目を見開き、「何で」と食い下がった。


「人を隠すなら人の中……とは言いますが、夫婦の内、妻は獣人です。それも獣人はこの辺りでは珍しい、となると……『罰則に護られた空間』である国有林へ消えるのが、ベターな選択かと」


 ユリカは風になびく髪を、右手でソッと抑えた。


「森林浴は、お好きですか」

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