第3話
昔……噂でユリカは「異世界に取り残された執行者」の話を聞いた。
曰く、彼らは「機構」から救済措置を施されるでも無く、唯――己の不手際と弱さを悔やみながら異世界で生きていくだけ。元の世界に帰還する方法は、決して無い――はずだった。
荒山の提案が、何処かで歌っている男の声が、酒の匂いが、焼き煙草の臭いが……まるでユリカには実体を持たない「嘘」に思えた。
孝行、そして彼に付き纏うペットのキティーナ、一人と一匹の守護こそが、結局は自分にとって最善かつ最速の「幸福獲得道程」であると、波動の魔女は語っていた。
荒山が語った異常事態が真実であれば、まさに――自身を守護者として昇華出来る最良のタイミングだ……ユリカは考えたが、すぐに懸念すべき事柄が湧き出して来る。
一体いつから、機構はこの世界に執行者を送り込んでいるのか? 一体何人が、この好機を狙って牙を剥いて来るのか?
何もかもが不透明、そのような状況をしかし彼女は幾度も潜り抜けて来た経験がある。どのような敵が襲って来ようとも、孝行の為なら絶対に殺してやろうという気負いもあった。
不安があるとすれば……「孝行とそのペットが、本当に私を味方だと信じてくれるだろうか」という一点だ。
常住坐臥を危機と暮らし、逃げ延びようと奔走する彼らに追い付き、「私は味方ですから、安心して受け入れてください」と願えば、「それは良かった。共に戦いましょう」と快諾してくれるはず――そう結論するのは……。
余りに稚拙……! ユリカは歯噛みした。
孝行とは見知った関係であり、「以前の未熟な阿桑田ユリカ」を謝罪すれば、多少なりとも警戒を解いてくれるかもしれない。問題は傍にいるであろう
もし獣人が「この女は信用出来ない」と喚けば? もし獣人が「他の女と一緒にいたくない」と騒ぎ立てれば?
ユリカは酒を飲む振りをして考える。
感情を捨て、唯々「想い人を独占したいという女」の思考論と向き合えば……私の立場は非常に不安定なのは明白!
「そんなに難しい顔をしないでくれ、大里さん」
駆け巡るようなユリカの思考を妨害する荒山は、何処までも楽観的な声色で豆を食べ続ける。
「信用出来ない、ってんだろう? そりゃあそうだよ、金も命も懸かっているんだ、いきなり信じますなんて言われる方が怖いよ」
「……いえ、荒山さんは優しそうな方ですし、是非とも協力させて頂きたいのですが……」
色めき立った荒山は何度も頷き、「言ってみなよ」と笑った。
「俺の武装は何か、とか? 俺は『鉄車弓』を使っているんだ、これに使う矢が便利でな、近接戦闘でも短剣の代わりになるんだよ」
聞いてもいない、しかも命取りな情報を語る荒山に、ユリカは到底「相棒」としての素質など無いと溜息を吐くも……。
キラリと脳内で瞬く、一番星のような思い付きが生まれた。
そうよ、何もそこまで気にする事は無かったのよ。どちらにせよ、この人は孝行の敵、最期は決まっているのだし……。
「……実はですね」
ユリカは潮垂れた様子を演じ、上目遣いに荒山を見やった。
「あんまり……男性の方に良い思い出が無くて……」
「失恋とか?」
「はい、お恥ずかしいのですが……それで、荒山さんのような方でも、もしかしたら失礼な態度を取ってしまうかもと考えてしまって……」
荒山は憐憫と「期待」とが入り混じったような相貌となり、「構わないよ」と声を低めて答えた。
「良い機会だと思いなよ。過去に大里さんを傷付けた男がいる、でも……『少しはマシな男もいるんだ』って思えるように、俺も頑張るよ、いや……頑張りたいんだ」
「……荒山さん」
媚びて泣くような声が、このような愚者には何故か効果的――ユリカは種々の学習から知っていた。
「元の世界に戻って、大里さんが素晴らしい人生を送れるように……俺も手伝いたい。出会って間も無い俺達だけど、何だか……最高の相棒になれそうな気がしているんだ」
気持ちの悪い男……ユリカは微笑み、喉の奥で蔑んだ。
「明日、俺はこの町を出て標的を捜しに行く。……大里さんも、一緒に来てくれないか。……ごめん、何だか変な感じになっちゃったな」
ハハハ……荒山は初心な少年じみた笑顔をユリカに向ける。努めてユリカも初心な乙女を演じて、照れたような笑いで返す。
「それって……プロポーズみたいですね?」
全身に寒気が走るユリカ。欺し切る為に仕方無いとはいえ、限界がすぐそこまで訪れていた。
「えぇっ、いやいやいや……そんな意味じゃ……そう聞こえた……かな」
果たしてユリカは荒山と別れ、女主人の待つ宿へと戻った。無事で良かったと溜息を吐く彼女に謝り、冷えた料理が置かれた自室へと向かう。
「温め直すよ」という申し出は嬉しかったが、それでも彼女は丁重に断りを入れた。扉を開け、寝床へ横たわるユリカは……枕を抱き締め、静かに泣いた。
「……ごめんなさい、孝行……」
ユリカは荒山としばらくの間、旅を共にする事を決めた。当然ながら恋愛感情など抱かない、唯の「駒」扱いだったが……。
それでも――彼女にとって明日からの行動は、愛する孝行に対しての裏切り、いわば「浮気」に類するものだった。
孝行とそのペットから信頼を受け取る為とはいえ、受け入れ難い「作戦」を思い付き、また実行する事自体が、ユリカの精神をゆっくりと蝕んでいくのだった。
ふと、荒山の笑顔を思い出した。
ユリカは更に泣き、呟いた。
お願い、荒山さん。早く貴方を殺させて――。
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