第5話

 翌日――町の近くで三人分の斬殺死体が発見された。現場検証を行ったザワーク国兵による報告は以下の通りである。




 犯行現場、ザワーク第二市街とマピン町を繋ぐ無料交易道、マピン町方。


 被害者計三名、何れも男性。氏名不明。犯行時刻は未明と推定。


 加害者の痕跡、確認出来ず。刀剣類による犯行と推定。


 被害者は何れも金銭等の所持を確認出来ず、強盗目的の犯行と推定。


 争った痕跡は認められず。何れも一撃で絶命と推定。


 目撃者無し。近隣住民への聞き込みから、叫び声等の得られた情報は無し。


 加害者は殺害行為に長けた人物として、捜査続行の必要あり。


 報告者、ザワーク国軍マピン出張所所属フォートス一位兵。




 結局、本件の加害者の行方は判明しなかった。二名の容疑者がマピンにて浮上したが、どちらも正確な不在証明を行えた為、今回の殺人事件で逮捕される事は無かった。


 事件発生から一八六日が経ち、そして現在――「犯人」である男は、犯行現場から遠く離れた村に居を構えている。虫干しを終えた毛布に腰を掛け、床の染みをジッと見つめていた。


 突然に聞こえたアナウンスをどう「処理」しようか……彼の頭は懊悩している。


「ねぇ……どうかしたのぉ?」


 いつに無く様子のおかしい彼に声を掛けたのは、夫婦の契りを結んでからまだ日の浅い妻である。学問への素養は無く、時折村へやって来る怪しげな行商人に毎度欺されそうになる彼女は、しかし人一倍他人の、特に夫である彼の変化には敏感であった。


 誰かが喜んでいれば自分も嬉しくなり、誰かが悲しんでいれば大きな「尾」がクルリと股の間に巻き込まれてしまう彼女は、異国出身の獣人である。


「……うん?」


 夫は顔を上げた。オロオロと洗濯物を抱え、居心地の悪そうに身体を揺する妻がいた。


「何で……そんなに難しそうな顔するのぉ? アタシがこの前、消火石とかいうのを買いそうだったからぁ?」


 ごめんねぇ……妻のピンと立った獣の「耳」が、力無く頭上でへたり込んだ。


「いや、違う。怒っていないよ、本当だ」


「……本当ぉ?」


「本当に本当だ」


 妻は顔を輝かせたが、すぐに「じゃあ」と問うた。


「他に何かあるんでしょ? どうしたのぉ?」


 男は思い悩んでいた。


 果たして、彼女に「過去」を伝えるべきか――伝えるべきなら、何故もっと早くに打ち明けなかったのか……。


 この問題を抱えたまま、男は眼前の女と夫婦になった。その為に精神が時々不安定になり、心無い言葉を彼女にぶつけてしまう事がある。


 一方の妻は……泣きもせず、ただ黙して落ち込むだけであった。男は罪悪感に苛まれ、寝室を飛び出して居間で眠ろうとするが、決まって妻がやって来て、無言で傍に寝転び、彼の頭を撫でた。


 貴方は悪く無い――彼女にそう言われるようで、男はなおの事「申し訳無さ」を加速させていく。言い出せない過去が心に住み着いている為に、罪の無い妻を傷付けるのがたまらなく嫌だった。


「……むぅ」


 押し黙る夫を見下ろし、妻は不満げに頬を膨らませて洗濯物を畳み始めた。


 男はやや離れた位置に座る妻を見やった。正面から見た笑顔、気持ち良さそうに眠る姿、火照りと共に「愛」を求めて来る肢体……無論全てが好きだったが、あえて序列を付けるとしたら、彼は表情の見えない「後ろ姿」を一番に選んだ。


 自分が死ぬまでに、何度後ろから彼女を眺められるだろうか――最近になり、彼は朧気な予想をするようになった。


 いつもの鼻歌が聞こえる。妻曰く、故郷に伝わる家事の歌らしかった。今日は珍しい事に「歌詞」があった。


「歌詞があるのか」


 妻が振り向くよりも先に、柔らかな尾がピクリと動いた。


「うん、あるんだよぉ。……聞かせた事、無かったっけ?」


「……あぁ、無いな」


 小さく咳払いをした妻は、歌いながら再び洗濯物を畳み出した。




 お山に登った父様に 手を振り笑う母様が


 作ったご飯はお預けよ 皆で囲むは朝昼晩


 小鳥の歌も可愛いが 我が子の駄々が一番と


 終わらぬ家事は辛かろが まこと今こそ幸福ぞ




「……エヘヘ、確かこんなのだったかなぁ。母ちゃんがよく歌っていてねぇ? お洗濯が多い時とかぁ、そういう時に――ふぇっ?」


 ビクリと妻の身体が震えた。静聴していた夫が不意に……背後から抱き着いて来たからであった。


「どっ、どうしたのさぁ?」


「今から――」


 男が言った。


「お前に話したい事がある」


「い、良いけどぉ……このまま?」


 小麦色の頬が紅を差したようだった。


「駄目か?」


 妻がかぶりを振った。


「……最初に言っておく。話を聞いて、俺の事が恐ろしくなったら――」


 振り返らず、出て行ってくれ。


 妻は微動だにせず、黙して続きを待っていた……。

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