第9話

「失礼だけど、波動で読ませて貰った。彼とその女は……刺客に追われているんだろう?」


「……えぇ、その通りです。ですが……何故、あの女も纏めて護るのですか? 全く理解出来ません」


 語気を強めるユリカ。なだらかな肩が小刻みに震えていた。


「仮に私が手を下さず、あの女が死んでくれさえすれば……それは喜ぶべき事でしょう。後は孝行の隣にいれば――」


「それじゃあ、彼の心に空いた穴を埋めるのはとても難しいよ? あんたは穴なんて空いていないって思うだろうけどさ、現に彼は他の女に現を抜かしている最中だよ」


「抜かしてなどいません、欺されているだけです!」


「ユリカさん。それはあんたの推測、もしくは希望でしかないでしょ? よく、よーく……感情を込めないで考えてみな。何処かであんたは、確かに二人が夫婦の形を取っているって知ったんだよね? あえて今は、その情報が正しいものだと思い込むんだ。思考転換さ」


 レガルディアはユリカをベッドに寝かせ、目を閉じるよう指示した。


「落ち着きなよ。ほら、目を閉じて……あんたは死に、そして生まれ変わるんだ。泥の除去が終われば、あんたは新しい自分に出会える……。嫉妬を抑え込み、害敵すらも護る慈愛を持ち、愛しい彼が振り向くのを、微笑みながら待つ事が出来る胆力を手に入れる……」


 視界が黒一色に染まる。瞳を閉じているからだった。続いて色取り取りの閃光が瞬き、消えて行くのをユリカは認めた。閃光の一つ一つが、自身の心に渦巻く感情に思えた。


「あんたは狂った女じゃない。狂っていないから、多岐の未来を観測出来る……気分のままに、その女を殺す未来……全てを諦めて放蕩する未来……想い人が、最後には自分を選んでくれる未来……」


 下腹部の辺りが、ジンワリと温みを持ったようだった。天気の良い日に、降り掛かる陽光を肌で感じるのに似た温感は、少しずつ……ユリカの精神に起きた波を打ち消していく。


「この世界は醜い。敵の血を器に注いで、剥いだ皮を漬け込んでから食べる……そんな人間で溢れているから。この世界は尊い。泣いている敵に訳を聞き、恨みを忘れて手を貸すような……そんな人間で一杯だから」


 レガルディアは昔話を子供に読み聞かせるような……柔らかな声で続けた。


「……万が一にも、自分を責めるのは止めなよ、ユリカさん。私も、そしてきっと……お婆ちゃんも、あんたと同じように……いや、それ以上に人間を殺して来た。私達の一族はね、波動を捨てようとさえしたんだ。波動ってのは、特に闘争との相性が良いから……それに、長生きが続くとね、大小問わず戦乱に巻き込まれるものさ。誰かと仲を深めれば、その分……敵も増えるんだ」


「では……後悔を……?」


 強い眠気がユリカを襲う。言葉の節々が力無かった。


「うん。したよ。沢山ね。でも、そんなの無駄だって考える事にした。悔やんだって、自分を責めたって、殺した人が生き返る訳無いし。仕方無かったって諦めるのが、結局は唯一の手なんだ。……いつか、私は死ぬ。誰かに殺されるかもしれない。それはそれだ、恨む事は無いよ。生を終える順番が回って来ただけさ」


「……順番」


「万物は、誰かが書いた筋書きの上をなぞるだけさ。……その筋書きを了解するか、否定するかはあんた次第。あんたは快楽で殺人を犯したんじゃないんでしょ? それしか方法が無くて、必要に迫られて殺したんでしょ? 私もあんたも……幾ら禊ぎを繰り返しても、決して背負った罪が無くなる事は無い。罪なんてね、生きていれば絶対に背負うものだからね」


 段々と温感が強くなっていくのに連れ、ユリカを襲う睡魔も強大になった。レガルディアの言葉が、遙か遠くから聞こえる神託のようにすら思えた。


「同じ大罪人としての、ちょっとしたお言葉さ。あの墓で眠っている魔女も……多分、そう言うと思うよ。幸い、あんたはあの魔女と違って生きている。希望も絶望も、まぜこぜの混沌もタップリと味わえるんだから」


 さぁ、そのままお休み。起きたらあんたは、何でも出来る……レガルディアの発言を合図に、ユリカの意識が暗い温もりの中へ、ゆっくりと溶けていった――。

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