第3話
「……さぁ、ユネス君。復習しましょうね、『坊やは誰?』」
「はい、僕はユネスです。お母さんと二人で暮らしています」
「『どうして私のところへ?』」
「オーフェン村で、キティーナさんの噂を聞きました」
「『何をして欲しいの?』」
「お母さんのお腹に、悪いものが入っています。家で寝ているお母さんの為に、薬を作ってくれませんか」
「『私が見に行ってあげようか?』」
「それは大丈夫です、大人の人に感染するらしいので」
「『分かったわ、ところでお母さんの名前は――』」
ユリカとユネスは山小屋の近くに残る切り株に座り、歌うように戯けるように……より良い「演技」の練習に打ち込んだ。
時折ユリカは「偉い子偉い子」とユネスの頭を撫で、またユネスもはにかんで身体を嬉しげに捩った。傍から見れば二人はまさに――優しげな若親と、素直な息子に映ったであろう。更にはすぐ近くに繋がれた青毛の馬が、良い意味で素朴な風景に拍車を掛けている。
「……さて、と。じゃあお腹減った子ー!」
ユネスがケタケタと笑いながら手を挙げた。ユリカは心底「子供は可愛いな」と感じつつ、持っていたパンにジャムを塗ってから、小さく千切って食べさせた。
「美味しい?」
「うん」
「あら、お口に付いていますよ……ほら、綺麗になった」
両足をパタパタと前後させ、ユネスは「ねぇ」と興味深げに、ユリカの背負っている鞄を指差した。
「何が入っているの?」
「この中ですか? 私の宝物が一杯入っていますよ」
「見せて、見せて」
ユリカは困り笑いを浮かべ、「それは出来ません」とユネスの頭を撫でた。
「どうして?」
「ユネス君には、宝物、何かありますか?」
「あるよ、お母さんがね、作ってくれた木の剣」
「まぁ、それは羨ましいですね。じゃあ私ににくれませんか?」
ブンブンとかぶりを振ったユネス。
「でしょう? 人間ってね、ユネス君。誰かの宝物を見たり聞いたりすると、不思議と欲しくなっちゃうんです。その人にとって、全然要らないものでも……何故か、『良いなぁ、私も欲しいなぁ』って思うものです。ユネス君も、友達が持っている大切な玩具……欲しいって思いません?」
「思うよ。僕もそれで遊びたい」
「そうですよね、私もユネス君の剣で遊びたいですもの。……だから、誰かが宝物を見せて、と言っても……『はいどうぞ』と見せちゃいけないんです。大事なものは、滅多に見せちゃ駄目なんです」
「でも気になるよ」
困ったユネス君ですね――ユリカは微笑み、ソッと彼の小さな手に触れた。
「じゃあ、お利口なユネス君にだけ、教えてあげますね」
「うん、何なの?」
「手袋です」
ユネスは「何で?」と小鳥のように首を傾げた。
事実――ユリカの大きなリュックサックの奥深くには、綺麗に包装された紙袋が鎮座している。中には灰色の手袋が一組、互いに握り合うように入っていた。
ユリカは孝行と出会ってから、殆どの事柄――例えば勉強、運動、料理など――を他人よりも優れたレベルでこなす事が出来たが、数少ない「苦手分野」として、編み物があった。
彼女が編み物を始めようとした切っ掛けは、冬のある朝、孝行が寒そうに手を擦り合わせたのを目撃した事による(無論、遠隔からの監視を行っている最中)。「努力を重ねても満足のいかないものもある」と気付かされたのもこの頃だった。
早速にユリカは手袋を編んで、何らかの手段を講じて孝行に贈ろうとしたが……幾ら編めども、何組拵えようとも、「これだ」という傑作は出来上がらない。時には根性の悪い土筆のように、時には不揃いの芋虫達のように仕上がる手袋は、次々とゴミ箱に放り投げられた。
三組目で項垂れ、七組目で泣き出し、九組目で手を切り落としたくなる激情を覚えたユリカは、作成開始から三ヶ月後、ようやくに「これだ」という至高作が完成する。
しかしながら……気付けば季節は春に差し掛かり、まだ冷える日がチラホラあるとはいえ、流石に手袋のプレゼントは時期が悪かった。
ならば、今年の初冬に――ユリカは泣く泣く手袋をしまい込み、夏を迎え……突如、孝行が消えたのである。
「その手袋は、私の大事な人に、どうぞってあげるものなんです。だから、ユネス君であっても、誰であっても……見せてあげる事は出来ないんです」
ユネスは駄々を捏ねる事は無く、しばらく押し黙った後……不意に立ち上がり、道端に咲いていた一輪の黄色い花を摘むと、それをユリカの右側頭部に添えた。
「これは?」
「僕からあげる。この花、あんまり咲かないんだって、お母さんが言っていた」
「……お母さん、お花が好きなんですか?」
「うん、大好きだよ。お花好き?」
「はい、大好きです。……でも、どうして私に?」
後ろで手を下に組み、ユネスは恥ずかしげに言った。
「一緒の宝物なら、秘密にしなくて良いよね」
「……そう、ですか。…………似合っているかな」
軽く頭を傾げ、ユリカはユネスに花を見せた。
「お母さんと同じくらい、似合っているよ」
ユリカは口を噤み、ユネスを呼んで膝に乗せると、ボンヤリと空を見上げた。
二人が馬に乗り、「計画」の為に動き出したのはそれから一五分後、血で潤う山小屋の中を大きな蝿が飛び交い始めた時である。
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