第7話

「この世界に来たのはごく最近、その時に機構から『介入している執行者は』と聞いていた」


「二人? 私の時よりも減っている気が……江井崎さんは私よりも早く来たのですか?」


「それは違う。一人は標的にって。ベテランの同業者さんだったらしいけど。……続ける、貴女は前の世界で事件を起こしたでしょう、殺人の」


 ふと、ユリカはアパートでの一件を思い出した。


「指名手配されているの、貴女は。写真も公開されていた。その写真を見た時、私は思った訳。『あ、同業者さんだ』って。私と似た空気を感じたの」


「……それって、余りにも短絡的過ぎませんか? 論理も何も成立していないのでは?」


「かもしれない。でも思ったから仕方無い。時には理論よりも勘を優先すべき場面もあるから。……テレビを見ていた私は、一つの推測を立てた。殺人事件を起こした後、消えるように行方不明、どうにも同業者さん臭い、という事は……」


 さんは、標的を追って行ったという訳。


 江井崎は続けた。


「私、小説が好きなんだけど、ある一冊に貴女そっくりな登場人物がいた。自分を捨てた恋人を追って、どんな犯罪でも平気で犯しながら、何処までも何処までも、世界の果てまで追って行く女。荒唐無稽な作り話と言えばそれまでだけど、でも私は直感した。『この人も小説と同じだ』って」


「ちょっと理解に苦しみますね……最初に二人も標的がいるなら、それも同業者が一人殺されているとしたら、そこで二の足を踏んでも良さそうですが。本当にそんな理由で?」


「だって異世界に小説の登場人物がいるんだから。面白そうじゃない? 私、居ても立ってもいられなくて、こうしてやって来たという訳」


 自身の理解が遠く及ばない地点、そこにこの女はいる――ユリカは忌避するような目で江井崎を見つめるも、当の本人は気にしていないようだった。


「小説の登場人物が貴女と同じなら、きっと男の方は殺さず、女の方だけを狙っているはず。なら、『女を殺して男を匿う』事を計画する。……あの男達にキティーナという情報だけを与えたのもその為、もし男の名前を出せば、仮に貴女を見付けられても、『知りません』と嘘を吐かれるはず。だってその方が得策だから」


 よく分かりました――ユリカは立ち上がり、江井崎に歩み寄った。キョトンとした表情で見上げる彼女に、ユリカは柔和な笑みを向ける。


「全く意味不明な理由で私を追い掛けて来てくれたのですね。ご足労をお掛けしました。……それで、貴女の求める阿桑田ユリカにこうして出会えた訳ですが、さて、この後はどうするおつもりで?」


「元の世界に帰る準備をする、卒論もあるから」


「なるほど、では元の世界に帰るには標的を処理するのですね」


 江井崎はコクリと頷いた。


「貴女の推測が正しければ、私は江井崎さんを妨害もしくは殺害すると思うのですが? それに対してはどう対処されますか?」


「やっぱり、標的の男が好きなんだ」


 いいえ――などと見え透いた偽証はせず、ユリカはゆっくりと、動作を味わうように頷いた。


「はい、江井崎さんの推理通りです、隠してごめんなさいね。好きというか、私はあの方の妻になる女ですから。ただ夫を捜しているだけ……という事になりますね」


 でも――江井崎は返した。


「貴女も元の世界に帰る事になる。悪いけど」


「それはそのまま――孝行かれを殺すという事ですね。素晴らしい度胸ですね、それで……私に勝てると?」


「争う必要は無い。ただ阿桑田さんには理解して貰うだけ。男は他にも沢山いるし、そもそも貴女を放って置いて獣人と一緒になる男を、好きになる必要は無い訳」


 ユリカの胸奥で燻る苛立ちは、しかし江井崎の前に顕現しない。精神状態の露呈を犯したのは、孝行と夕暮れの運河でのが最後だった。


「好きなのは仕方ありません。理由は無いのです」


「よく読んだ? 依頼書。獣人のに合わせて、阿桑田さんの夫? は性交渉をしているんだよ。浮気とかそういう次元じゃない訳。浮気ってのは二人以上『好きな女性』がいないと成立しない。貴女――」


 捨てられたんだよ、アッサリと……江井崎は頷いた。


 ユリカは笑いもせず、怒りもせず――ただ一言呟いた。


「殺してあげましょうか?」


「いいや、殺されたくないよ。阿桑田さん、忠告だよこれは。貴女達の過去に何があったかは知らないけど、普通貴女を好きなら、他の女を妻のように扱わない」


 諦めなよ、野口孝行は……。


 江井崎の妖しげな双眼がユリカを見据えた瞬間、即座に二人は扉の無い玄関を見やった。


 何者かが後ろにいた――鍛え抜かれた両者の「感覚」は、見窄らしい外套を纏った少女ツキーニの残像を認めた。

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