第6話
オーフェン村に古来より伝わる儀礼「
一つは村民一人一人の心音を察知し、生死を遠隔管理出来る村民命板である。不可思議な石版は当代村長の自宅に置かれ、管理を全て引き受ける事となっている。
オーフェンに籍を置く者は、暮らし始めてから一四日後(これは村で生まれた新生児、移住者を含む)に、近隣の沼地に設置された祭壇に向かい、供物の菓子を捧げて「ある人物」から護法を受けるのだった。
護法を受けた者は村民命板に名前が記され、死亡するか一四日間オーフェン村を離れれば名前が消えてしまう――というものである。
もう一つの継承物――これは当代村長の体内にある。
現在より遡る事一三〇年前、オーフェン村は遊牧民に扮する盗賊の襲撃を受けた。男は労働力、女は欲求の捌け口、子供達は貴重な「交易物」として彼らに回収された。残る少数の老人は両手両足を縛られ、近隣の沼地に捨て置かれたのである。
恐るべき村の結末に悲嘆した村長は、倒木に腰を下ろす女を認めた。大きな帽子を被り、重厚な布を幾重にも身体に巻き付けていた女は、老人達の縄を解いてやった。
女は言った。
「見たところ、貴方達は尊厳と自由を奪われている。何故、悲しむだけなのか」
老人達は口を揃えて返す。
「奴らは剣と盾を持っている。戦いを知らぬ我々に抵抗は出来ない。生きる為に仕方の無い事だ」
沼地を渡る風に髪をなびかせ、女は首を傾げた。
「貴方達は幾年も生きただろう。ハッキリ言おう、貴方達は戦って死ぬべきであって、若者は安泰に生き延びるべきだ」
じゃあどうすれば良いんだ――息子夫婦を連れて行かれた老爺が叫んだ。女は泥濘みから泥土を一掬いして、それに息を吹き掛けた。
女の白い手の中で、暗色の泥は小さな丸薬へと姿を変えたのである。
「貴方達はこれを飲み、賊に斬られて死ぬべきだ」
「死ぬとどうなる」
村長が食い下がる。女は表情を変えずに言った。
「命が終わる時、全身に走る液体が飛び散り、触れる生物を腐らせる事だろう」
女は続けた。
「冗談ではない――と思う者もいるだろう。私はその考えこそが、『冗談ではない』と思えるのだ。何故、貴方達は戦わない。何故、このように命を捨てるだけで敵を討てる薬を飲まない。貴方達よ、今すぐ死ぬのだ。死とは終わりではなく、継続を促す一行為である」
老人達の顔に「覚悟」が滲み出した時、女は声調を強めて言い切った。
「今、貴方の息子は涙を流している。今、貴方の娘は服を剥かれている。今、貴方の孫は数枚の金貨と同等に扱われている。今、貴方は――」
戦いの時を迎えている。
皺の中に埋もれていた老人達の「双眼」が、強く輝いた瞬間――彼らは女の手渡した丸薬をすぐに飲み込んだ。
盗賊を追って次々と老人達が駆け出す中、村長は振り返って女に問うた。
「貴女は一体、何者なんだ」
女は泥を掬い、団子状に丸めてそれを飲み込んだ。
「遠い昔、この世界に渡った――罪深い女である。かつてこの村が勇者で溢れていた頃、私は彼らに救われた。今度の災難は貴方達だけで解決が出来る、もし、出来ぬ時が来たれば――」
この私、泥飲みのクレーネが死ぬ時である。
女はゆっくりと沼の中心に向かって行き、やがて暗い水の中に消えた。
果たして村長は「勇敢な自殺」を行う事は無かった。女と会話を終えて盗賊達に追い付いた時、粥のように溶けた憎き賊の亡骸と老人達、それに縋って泣き喚く村民がいた。
爾来、オーフェン村は外敵に襲われる事は無かったが――村長は「勇敢なる死」を届けた女、クレーネを守り神として崇め、沼地に祭壇を建てて七日に一度の礼拝を欠かさなかった。
この村長が老衰で亡くなる前日、祭壇には薄らと輝く石版と丸薬が一つ、何者かによって置かれていた。次代の村長は石版を抱え、丸薬を飲み、クレーネの話と伝統を引き継ぐ事にしたのだった。
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