悪鬼胎動
第1話
ユリカが観光客に危害を加えた――翌日の事である。
放課後に彼女は担任の教師に面談室へと呼び出され、顛末を語るよう指示されたが……。
途端にユリカはポロポロと泣き出し、「怖くて無我夢中だった、本当に申し訳無い事をした」と教師へ縋り付いた。
最初は教師も「泣き落としなど効かん」と素気無く吐き捨てたが、どうにもユリカの涙に込められた後悔を悟ったらしく、一時間程の説教でお咎め無しと相成った。
俺から謝っておくから――教師は彼女の頭を撫でてやり、面談室を出た。しばらくの間、ユリカは嗚咽を漏らしていたが、他人の気配を感じられなくなると、ピタリと落涙は収まった。
一目散に彼女は帰宅すると、最初に制服を脱いでシャワーを浴びた。教師に撫でられた箇所を入念に洗う為だった。三度の洗髪を終え、次に自室で「自己改造」と銘打たれたノートを開いた。
「えーっと……今日は教師を嘘で欺せたでしょう……三人と会話したでしょう……あぁ、そうそう……上位カーストの集団に取り入らなきゃ」
ユリカは孝行のアドバイスを利用し、クラスに上辺の友人を作り始めていた。
上辺だけの友人も必要だ――孝行の教えが何度もユリカの頭を駆け巡る。
一番の理解者である孝行の言葉は、そのままユリカの思考を変革させるに相応しいものだった。
彼の言葉は、いわば彼女にとって法律であった。
一晩を使い、彼女は孝行の求める「理想の女」へと自己改造する事を決意したのだった。
あの人の理想……それは社交的で、キチンと中身のある正常な女性。そうだ、きっとそうに違い無い――。
出来るわ、私なら。ユリカはノートを閉じた。
スマートフォンを取り出し、今日の昼に撮影した写真を眺める。廊下を歩く孝行の後ろ姿だった。
何となく……辛そうな雰囲気。今日、貴方は私と話してくれなかった。放課後も一人で、急いた様子で帰って行った……。
ごめんなさい、孝行。寂しいでしょう? でも許して、私も凄く凄く……寂しいの。もっと貴方とお話したい、もっと分かり合いたい……。
心配しないで。私と貴方は似ている、だから貴方の気持ちも考えも……全部分かってみせます。待っていて、孝行。貴方の欲しい女になるから――。
ユリカは涙ぐみ、しばらく項垂れた後に通学鞄を開き、教科書とノートを取り出した。
「どうせなら……頭の良い女を傍に置いておきたいですよね」
彼女が始めたのは今日の復習……そして明日以降の予習であった。余り好きではなかった勉強が、しかし孝行の事を思えば一切が苦にならなかった。
むしろ――非常に楽しいものだった。
教科書に羅列された数式を解く毎に、孝行との距離が縮まっていくようだった。評論を理解する毎に、彼の持つ思考が流れ込んで来るようだった。英語の長文を翻訳する毎に、互いの溝が埋まっていくようだった。
全ての知恵、技術は孝行の為に。
ユリカの脳内に掲げられたスローガンであった。
二ヶ月が経つ頃――阿桑田ユリカはクラスの中心人物となった。入学当初と打って変わった彼女は、男女隔て無く好かれており、全教科の成績が学年一〇位以内を保持していた。
毎日を笑顔で過ごすユリカであったが、しかしその笑みはただの「飾り」に過ぎない。
授業の合間に駆け寄って来る女子達に微笑みながら、心奥では「孝行が見えなくなるでしょう、消えてください」と唱える。
デートに誘って来る男子にはやんわりと断りながら、内心「孝行と比べて何と劣る顔面の作りなんでしょうか」と蔑んだ。
ユリカは装着する仮面の重さに疲れた時、決まって孝行の写真を眺めて自身を癒した。
日を追う毎に増える写真を現像し、金庫にしまうと――データは全て消去した。
彼を好いている事が露呈するのは構わなかったが、しかし孝行自身が不快に思う事を恐れたのである。
夏期休業を数日後に控えた頃、別れは――突然に訪れた。
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