第71話 「別れたくない……」

「おはようございます、レン」

「おはようございます、琥珀先輩。今日は正門前の掃除ですか?」

「はい。テストも終わって暇になりましたので」


 竹ぼうきを持って落ち葉を掃いている琥珀先輩に挨拶をされ、蓮は立ち止まる。

 琥珀先輩の小さな額にはうっすらと汗が浮かんでおり、正門とは別の場所も清掃していた様子が伺えた。


「本音を隠すのが本当に上手ですよね。生徒会長とはいえ生徒のためにここまで動けるなんて、そう出来ることではないですよ。琥珀先輩が暇じゃないのは分かってますから」

「あら、それは褒めてくれるのかしら?」

「ええ、勿論」


 あざとく首を傾げ、なにかを試すような薄ら笑いを浮かべる琥珀先輩に蓮は大きく頷く。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、琥珀先輩の笑みに目を奪われていたのは事実だった。


「ふふっ、朝からレンに褒められるとは嬉しいですね。ありがとう」

「お礼を言われる事ではないと思います。……あぁそう、今回のテストの手応えはどうでしたか?」


「レンのお陰で手応えは十二分に感じましたね。資料まとめの件は本当に助かったわ」


 琥珀先輩は竹ぼうきを片手に持ち替え、蓮に向かってソッと白い手を差し出してきた。


「この手は……?」

「感謝を伝える時はこうするでしょう? 周りの目もあるので、この握手を断ればレンに非難、、が飛びますよ?」


 蓮が疑問を浮かべる中、琥珀先輩はゆっくりと距離を詰めて逃げ場を閉ざした。

 握手を断れば批難される。学園で人気のある琥珀先輩の握手を断れば『アイツは何様なんだ』との感情を抱かれるのは間違いない。

 琥珀先輩はその立場を上手く使ったのだ。


 そして……蓮は批難されることだけは避けなければならなかった。それは印象を下げることに繋がるのだから。


「もしかして、俺が印象を上げようとしてること知ってます……?」

「さて、それはどうでしょうか」

「……はぁ、降参です」


 最大の弱みを握られた以上、この握手を断るわけにはいかない。


「それじゃ、失礼します」

 蓮が琥珀先輩の手を握った瞬間、琥珀先輩も細く長い指先で小さな力を入れてくる。

 朝から掃除をして長時間空気に晒されていたからであろうか、琥珀先輩の手は少しひんやりとしていた。


「……これは少し恥ずかしいわね」

「琥珀先輩がこう仕掛けたんですけど……」

 周りの視線がこちらに集中してくる。こんな正門で琥珀先輩と仲良さげに握手をしていれば当然そうなってしまう。


『早く手を離そう』そう思った蓮が力を抜いても、その手は離れることはなかった。

 そう、琥珀先輩がさっきより強い力で蓮の手を握っていたのだ。


「琥珀……先輩?」

「私との握手がそんなに嫌だったかしら? そんなに早く離そうとするなんて、女のプライドを傷付けさせようとしている事と同義ですよ?」


「そ、そんなつもりは無いですけど……」

「少し顔が赤くなってるわね。もしかして私に手を握られて興奮でもしてるのかしら?」


 前のめりになってさらに顔を近付けてくる琥珀先輩は、蓮の耳元で一言。


「……なーんて冗談ですよ、ふふふっ。それでは、私は裏門の掃除をしてきます。レンの彼女が私を怖い目で見てますので」

「えっ?」


 手を離した琥珀先輩は、後ろを振り向くことなく裏門側に向かって言った。蓮が背後を振り向けば、そこにはパンパンに頰を膨らませた真白と、批難の目を向けている可憐が居た。


「むぅぅうう……!!!」

「蓮、教室で説教だから。覚悟しとけよー」

「いや、これは……」


 そんな情けない声を漏らす蓮に、これ以上の言葉をかけることもなく真白と可憐は教室に向かっていった。


「な、なんかあの男、滅多打ちにされてなかったか……?」

「琥珀先輩の手を握ってたんだぞ? そりゃ滅多打ちにも合うって」

「琥珀先輩、このタイミングを見計らってたような……」

「それは気のせいだろ、気のせい」

「真白さんが物凄く嫉妬してたような……」

「それも気のせいだろ、気のせい」


 ……そんなヒソヒソとした生徒の話し声が蓮の耳に聞こえていた。



 ========



『真白、今朝の件はごめん。……今日一緒に帰れないか?』

 授業開始5分前。蓮からメールが届いた。


『今日は事務所から呼び出しが掛かってるのですみません……! それと、琥珀先輩と手を繋いでたこと、わたしは許しませんっ!』


 真白は蓮が送ったメールに怒りのスタンプをつけて返信する。真白の怒りは最高潮を迎えていた。

 

『……ど、どうすれば許してくれるんだ?』

『……わたしが事務所から帰ってきたら電話してください。……寝るまで電話してください……』


『分かった』

『約束ですよっ!?』

『ありがとう、約束だ』


 授業開始数分前だからこそ、簡単なメールしか出来ない。しかし、このメールだけで真白は少し安心が出来た。


「い、いつまでもウジウジしてたら蓮くんに嫌われちゃう……。れ、蓮くんだって悪気はない……はずです。こ、こうなったら……急いで事務所の用事を終わらせていっぱい電話するんだからっ!」


 そんな意気込みを持って、事務所に足を運んだ真白だったが……そこでは地獄が待っていた。



 ==========



「一体、どう言うつもりなのでしょうか。真白さん? アイドル事務所に所属してあるにも関わらずこの男とベタベタ、イチャイチャ。……うちでは恋愛は自由ですが、それは表向きだけ。暗黙の了解があるということを知らないわけではないでしょう?」

「そ、それは……っ」


 学園の受験が終わり事務所に着いた後、真白の正面に座る金髪の男。


 それはこのアイドル事務所の社長の息子であり、真白とは顔を数回合わせたほどでしかない。

 そんな金髪の男が机にばら撒いたのは、腕を組んで帰っている真白と蓮の姿。恋人繋ぎをして帰っている姿。蓮が自分の自宅に入る姿。そんな類いの写真だった。


 現像された写真は高画質で、はっきりとした顔も写っている。それは誤魔化すことなど出来ないほどに。


「当然、これを見過ごすわけにはいきませんねぇ。もし世間の目に触れられればうちの事務所の評価はダダ下がりになる。アナタもそれは分かってるでしょう?」

「ほ、本当にすみません……」


 真白は頭を下げる他なかった。事実、暗黙の了解は存在する。それを真白は分かっていたのだ。


「オレがなにを言いたいのか分かりますね?」

「……」

「…………早く別れりゃいいんだよ!」

「い、痛っ!」


 金髪の男の態度、口調は突然と豹変し、無言になった真白の髪を利き手で掴んで力強く引き寄せた。

 どれほどの強さで引っ張られたらそうなるのか、机上に真白の手入れされた茶髪が数本千切れ落ちる。


「そして、オレと付き合え。結婚なんて面倒だ。身体の付き合いだけでいい」

「や、やです……!」


 身体だけの付き合いがなにを指しているのか、それはこの歳になれば誰だって分かること。

 好きな相手以外にしたくはないのは誰だって同じことだ。


「へぇ〜、オマエは今置かれている状況、立場が分かってて言ってんの? ほれ、こっち写真に写ってんのは二条城蓮の家だ。……つーまーり、彼氏の住所が既に割れてんだよ。このオレになぁ」


 金髪の男が机にばら撒いた写真の中から、一枚の写真を手にとってヒラヒラと見せる。


「そ、それだけは許しませんっ!!」

 真白は敵意ある眼差し。……しかし、立場に圧倒的差がある今。それは相手を面白がらせるだけだった。


「オレは嫌がらせをするなんて一言も言ってないけどねぇ……。だが、オレにそうさせようとしてるのは、オマエ、、、が原因であることに違いねぇんだよ」

「……」


「別にアイドルをやめても良いよぉ? その場合、他のアイドル事務所に入れないようにオレが手を打つけどねぇ〜」

「やめて……」


「そーれーに、その場合は二条城くんが学校に行けないぐらいの悪戯するけどねぇ〜。オマエのせい、、、、、、でな!」

 

 真白はなにもかも察した。この男は蓮を巻き添いにするつもりだと……。

 自分が一番して欲しくないことをしようとしているのだと……。


「っ、ぐすっ……や、やめて……ください……っ。れ、蓮くんには手を出さないで……。お願いします……っ」


 蓮になにをされるか分からないからこそ、真白は必死に願う。好きな相手……彼氏にはなにもするなと、そう訴えるように。


「アヒャヒャ、泣くってなんだよ泣くってよぉ! それでも高校生かよオマエ」

「……お願い……、蓮くんだけにはなにもしないで……。なにも手を出さないで……」


「オレは悪魔じゃねえ。条件を呑んでくりゃ、二条城くんには手を出すことはない。……まぁ、二条城くんを庇いたけりゃ、オマエに残された道は一つしかないわけよ。分かる?」

「……ぐすっ……っ」


『別れろ。そしてオレと付き合え』金髪の男は本気でそう脅しているのだ。


「んじゃまぁ、その顔を拝見っと」

「……っ」


 金髪の男は涙ぐんで下を向く真白の顎先を掴んで強引に前を向かせ——ニンマリと鳥肌の立つような不気味な笑みを浮かべる。


「ヒヒッ、良い顔してやがるぜ……。はぁ、こんなオマエをたっぷり楽しめるのかよぉ……。やっべぇ、早く楽しみてぇ〜」

「ひっくっ……やめて、ください……っ」


「泣いてる状態でヤれるってのも興奮もんだなぁ、おい。……だがまぁ、オレは悪魔じゃねぇからオマエに3日も時間をくれてやるよ。そこで二条城くんと最後の別れを楽しみな。……マァ、この3日ってのはオレの用事があるだけだがなあ!」


 そして、金髪の男は言いたい事を全て言い終えたのだろう、椅子から立ち上がった後に個室の扉を開ける。


「……三日後、可愛がってやるよ〜、ベッドの上でな! アヒャヒャヒャ!」

 腹を抱えながら不気味な笑い声を漏らす金髪の男は、個室の扉を閉めて出て行った。


 ーー真白は無人の空間で嗚咽を漏らしながら泣き続ける。……自分の無力さを感じながら。


「ぐすっ、蓮くん……。いやだよ……こんなの、嫌だよ……っ。別れたくないよ……っ」


 頰を伝う大粒の涙は、手に持ったスマホの画面上に次々と落ち続ける。

 そこには、夕焼けに染まる教室で撮った蓮とのツーショット写真が映っていた……。


 止まらない涙。止まらない嗚咽……。その最中、『カチッ』と何かの音が混じったことに真白は気付くことは無かった。

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