第48話 制限ルームで……

『んーんー』

 制限ルームに入室して数十分が経ち、モカは既に泣き止んでいた。その場所は……レオの膝の上。

 モカはレオの膝枕を堪能しているのだろう、頰をずっとすりすりとさせている。


 異性として意識していたモカ……及び真白がこんなスキンシップを取られ、平常心を保てるレオではない。


『モカ……。そろそろ離れーー』

『ヤです……』

 と、さっきからこの会話を数回に渡って繰り広げているのだが……レオだってこんなに甘えたモカが嫌なわけではない。寧ろ好ましいと思っていた。


 ただ……一つだけ、今までと違う認識をしなければならないことがある。


 今、レオの膝上に居るモカの正体は、現実世界のアイドルである真白ということに……。


『ほ、本当に真白なんだよな……』

『えへへ……そうですよぅ、せんぱい』

 甘えきった声でレオに反応するモカ。


(なんだが、昔飼ってたペットみたいだな……)

 そんな感想を抱きながら、小動物らしく甘えてくるモカの頭を、レオは優しく撫でてみた。


『んっ……』

『あ……す、すまん』


 少し艶かしい声を上げて身体をピクリと動かしたモカに、レオは直ぐに手を退ける。その反応をされるのは男として非常に困ることなのだ。


 だが……モカはそんなことを気にするまでもなく、再度甘えてきた。


『せんぱい……もっとぉ……』

 モカはレオの片手を両手で掴んで自分の頭に持ってきたのだ。それはまるで、『早く撫でて……』と催促するかのように。


『……こ、これでいいか?』

『ん、きもちいです……』


 モカの髪は細かな繊維のように手に馴染む。その感触は上質なぬいぐるみを撫でているようであった。

 ぬいぐるみ……。そんなワードが浮かび、レオはあることを思い出した。


『モカ……?』

『ん』

 レオはモカの頭を撫でながら質問する。


『この前、スマホに付けてた小さいぬいぐるみの名前……確かレオくん三号だったよな……? あと、抱き枕がレオくん二号だったっけ……』

『……っ!?』

 ビクッと、モカの身体はレオの膝上で大きく揺れた。


『それって、俺のプレイヤーネームから取ってたりするのか……?』

『…………は、はぃ……」

 そうして、語尾が縮んでいくモカ。


『まぁ、別に怒ってるわけじゃないんだが、どうしてその名前を使っているのが気になってだな……』

 現在自分が使用しているVRの名前を、ぬいぐるみに名付けていたらどうしても気になってしまうのは仕方のないこと。


『だ、だって…………、レオくんのことが忘れら……っ、そ……そんなこと言わせないでくださいよぅ……』


 もぞもぞと膝上で寝返りを打ったモカは、レオに顔を見られないように小さな背中を見せた。


 その不意打ちは、レオの思考を一瞬にして奪う。

 言葉を濁しても『忘れら……』なんて言われたら、その先に続くであろう言葉を明確に汲み取れるからだ。


(お、落ち着け……)

 どうにか気持ちを鎮めるレオに、モカはさらなる甘え攻撃アタックを仕掛けてくる。


『せんぱい……手、止まってます……。もっと……』

『……お、おう……』


 レオは再び手を動かしながら、あることを考えてしまっていた。

(モカが……真白が俺の恋人になったら、こんなに甘えてくるんだろうな……)と。


 その一方で、モカもレオと同じようなことを考えていた。


(せんぱいが……わたしの彼氏さんになってくれたら……こうして甘やかしてくれるんだな……)

 レオが優しく頭を撫で、その気持ち良さにモカは瞳を閉じながら……妄想の世界に入っていた。


 ーーしかし、妄想から生還するのは一瞬で、心の中のモヤモヤが発生していた。それはまさしく嫉妬心の表れだ。


『せ、せんぱいは……女の子の髪を撫でるの、慣れてます……』

 慣れている。

 それは、他の女の子の髪をたくさん撫でている。ということになる。


(わ、わたし……どうしてこんなにも独占欲があるんだろう……)

 モカ自身、何故こうも独占欲が強いのか分からなかった。昔の女の子のことなんて関係ないのに、どうしても嫉妬してしまう。


『髪を撫でたことがあるのは実の妹とおかげだと思う。妹の髪を乾かしたり、髪をといたりしてたから、そこで慣れたんだろうな』

『ほ、ほんと……ですか?』


『なんでそこで疑うんだよ……。俺がモテてないことぐらい知ってるだろ?』

『そ、それはせんぱいが鈍感さんだから……女の子の好意に気付かないだけです……』


 モカは知っているのだ。皆が憧れの先輩、学生会長の琥珀先輩が蓮を狙っていることを……。


『ま、まぁ……妹にも鈍いとか言われるが、流石に相手の好意には気付くぞ? ってか、好意に気付かない奴なんていないだろ』


(いー、いるじゃないですかぁ……!! わたしのココに……)

 モカは胸中で思ってることを爆発させるように、人差し指をレオの膝にツンツンと何回も刺していた。


『おい……少しくすぐったい』

『せ、せんぱい……一つ、いいですか?』

『改まってどうしたんだ?』

 ツンツンを辞め、膝上で再び寝返りを打ったモカはレオに視線を向けた。


『こ、こんなのことを聞くのは不謹慎なんですけど……」

『ん?』

『せんぱいは……わ、わたし以外の女の子でも……翔先輩から守ってましたか……?』


 こんなことを聞くのはおかしいことだと分かっている。……でも、やっぱり気になっていたことだった。


『……それはその時の状況次第だな。……その時に勝機があれば飛び込んでいくし、勝機がなければ様子を見る』

『……』


 その答えを聞いて、『せんぱいらしい……』とモカは感じていた。でも、その答えは……自分わたしだから助けてくれたわけではない、そう言っているようなものだった。


『ただ…………助けようとした相手が真白だったから、あんなにも怒りを覚えたのかもしれないな』

『えっ……』

 レオは不意にそんなことを呟いた。


 ーー蓮はあの時、翔先輩の腕を本気で折ろうとしていた。


 相手を無力化させたのだから腕を折る必要などなかったはずなのに……蓮は無力化してもなお、後に響くようなダメージを与えようとしていたのだ。


 それは……蓮の怒りが理性を勝ったからで、他の女性だったならこんなにも怒りを覚えることはなかったのかもしれない。……と、冷静になってそんなことを思ってしまう。


 だからこそ、蓮は本音を一言だけ伝えた。


『俺は……真白を助けたかった。それだけだ』

『せんぱい……』

 笑みを浮かべることもなく、天井を見上げて表情を隠すレオを見て、今までにない高鳴りをモカは覚えた。


 それだけではない……抑え切れないある衝動が、今ここに来て襲ってきたのだ。


『……わ、わたし……、せんぱいにお礼がしたいです……』

『そんなもん気にしなくていいって』


『ダ、ダメですよ……。そ、そんなの……』

『じゃあ今度、飲み物でも奢ってくれ。それで俺は満足だ』


 冗談を含めたレオの言い方に、モカは神妙な面持ちのままゆっくりと上半身を起こした。


『わたし……ここでお礼がしたいです……』

『ここで……?』


『……だ、だから、せんぱい……。目を瞑って下さい……』

『目を瞑る? 別にそのくらいなら構わないが……それでお礼が出来るのか?』


『う、うん……』

『それじゃあどうせなら、今してもらおうかな』


 レオはモカの指示に従い素直に目を瞑った。……レオは知る由も無い、モカが何をしようとしているのかを。


『せんぱい……絶対に目を開けちゃだめですから……ね』

『開けて良い時には教えてくれ』

『ん……、せんぱい。……わたしのお礼、受け取って下さい……』


 視界を閉ざすレオに、真っ赤に染まるモカの顔がゆっくりとレオに向かって近付いていった……。













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